第2話 下唇を噛んで『ヴァ』
キョウタは土の上に仰向けに寝ていた。
空は広く青い。雲三つくらいの晴れ空だ。
たぶん花色木綿の布団の中で死んで、賽の河原で天使に進路志望を確認されて、そしてここにいる。ということを頭の中で確認する。
全裸だった。パジャマ代わりのTシャツとトランクスという格好で寝たまま死んだはずだ。
服装さえも装備なしで放り出されていたのだった。
爽やかな風が流れる。
体を起こす。
見回すとここも河原であった。三途の川は対岸が見えないほどの大河らしいが、キョウタはよく見てなかった。
賽の河原にいたときはそういえば自分に体がなかったような気がする。
なんのためにここにいるのか、これからどうなるのかを考える気にもならないまま、周辺を見回す。
堤防の上が道路になっているらしく、人通りがあった。遠くてはっきりしないが、映像作品などでしか目にしないような服装をした人ばかりだ。袖のふくらんだ服とか、足首の締まったひらひらな布のズボンとか。生前──いや前世か──のキョウタの行動半径で見かける服装の人はいないようだ。少なくとも今の自分のように全裸の人はいない。はっきり見えていないがそれは確信していた。
こんなところに全裸で突っ立っていてもしょうがないのでその眺めていた上の道路に向かう。
土がただ踏み固められた路面だった。突き固めるような一種の舗装はされているのかもしれないが、アスファルトや、石畳のようなものではなかった。
路肩に立っていると、あまり多くない行き交う人が珍しいものを見る目でひと目キョウタを見ては目をそらして何もなかったかのように歩いて行く。
そりゃまあ全裸で突っ立っていれば目は行くしそらす。
全裸で隠れていても何もならないとだけは思っていた。全裸なのは自分のせいではないと思うと堂々と全裸でいられた。ごく一部のことは
どん。と後ろからぶつかられた。不意をつかれてふらっとし、体勢を整えながら振り返ると、キョウタより頭三つは大きな男が立っていた。
「どこ見てんだ」
大男はキョウタを見下ろし睨む。
「ああ、ごめんなさい。ぼんやりしててすいませんすいません」
キョウタはぺこぺこ頭をさげながらその運動を利用して後ろへ逃げていく。エビが逃げるときのように。
大男は不機嫌な顔のままエビさがりしていくキョウタとの距離が開かないように歩を進める。
逃がしてくれないらしい。こんなに謝り続けているのに。
「ごめんなさい。右も左もわからないんです。すいません。これからどうしていいかもわからず」
とにかく謝罪と言い訳を繰り返す。
こんなに低姿勢になっているのに大男はキョウタの髪をむしっとつかみ、持ち上げた。
きっとここに来るまでに小さなストレスを重ねてきたのだろう。たまたまキョウタにぶつかった瞬間に堪忍袋ゲージの上限に達したんだろう。そういう理不尽が通用してしまうくらいの文化レベルで社会成熟度なんだろう。
キョウタはあきらめるためにそんなことを考えていた。
どうせ一度は死んだ身だし、全裸だし、見知らぬところで人生やり直しする方法もわからないし、全裸だし。
しかし、しばらくしても髪の毛つかまれてぶら下げられたままだった。殴られも、罵倒されも投げ飛ばされもしない。
見ると、大男は驚愕の表情で何かを見上げていた。
キョウタからすると真後ろなのでぜんぜん見えないが、大男の視線の角度からするとかなりの巨大なものが来ている。その足音は固かった。
「そこの兄さん。彼を離してやってくれないか」
後ろの巨大な何かが言った。声は地上から五メートルくらい上、今のぶらさげられてるキョウタからは三メートルくらい上から聞こえる。少し中性的な男の声だった。
助かったんか? そんな巨人が俺を助けてくれるんか? とキョウタは命永らえる期待を持った。
「は、はい……」
さすがに大男とはいえ身長は二メートル弱しかない。推定五メートルには逆らえないらしい。
そっとキョウタを地に降ろす。
(この人のストレスはこのショックで霧散したんやろうか。かえってストレス増して他の人に迷惑かけるんやろか)
と、いらぬ心配もするキョウタ。いらぬ心配をする余裕があるのではなく何が重要で中心に考えて良いか混乱していた。
大男は三歩ほど後ろ歩きしてから、しっかり背を向けて走って逃げていった。
キョウタは振り返り
「ありがとうございます。助かりました」
と下げた頭を上げると、そこにはたしかに頭が五メートルくらいの高さにある者がいた。
後ろ足で直立した馬だった。
(馬ってでかいんやなぁ)
とキョウタは感心した。
四脚の動物は基本、四つ足ついた状態での頭頂高がその「高さ」である。生後半年の赤ちゃんがはいはいしていたところから突然二足で直立したら、急に大きくなったと錯覚するはずだ。元々人よりかなり大きい馬ならばなおさらだ。はいはいしかできなかった赤ちゃんが急に腰の入った直立を見せるより、馬が二本の後ろ足でしっかり立っているほうが当然威圧感は大きい。
「ウルシバラ・キョウタだね」
「はいそうです。
ちなみにキョウタがここまで大阪弁をしゃべってないのは、
「これからよろしく」
右前足を出してくる。蹄は五つに分割され、指のようになっていた。普通の馬とは違うらしい。
キョウタは握手としては経験ない急角度に腕を上げて右前足をつかんだ。
「私はマヴァロン」
「まばろん」
「『マヴァロン』。『ヴァ』は下唇を噛んで。『ヴァ』」
下唇を噛んで、
「ヴァ」
「そう。もう一度言って。『マヴァロン』」
「『マヴァロン』」
『マ』のときにすでに下唇を噛む準備をするのがコツである。
「オーケー」
彼は前足を降ろして普通の馬な姿勢をとった。
あとにマヴァロンから聞いた説明によると二足直立姿勢は戦闘状況に応じて前足を使わなければいけないときや(さっきのように)威嚇のための姿勢で〈
「私が君の最初のパーティメンバーだ。君の情報はある程度知っている」
二足直立から四足状態になると目線の高さは半分ほどになる。そのせいでマヴァロンの目が知性のある者のそれであることが見て取れた。
「お迎えに来てくれたんですか」
なんとか言葉をひねり出した。状況に思考をついていかせようとすることだけで大変だからだ。
「パートナーだからな」
ニヤリとした表情を馬はしてみせた。
キョウタにはパートナーになる理由がさっぱりわからなかったし、マヴァロンがキョウタの名前を知ってるのも疑問だし、なんで馬がしゃべるのにびっくりしなかった自分にも疑問だが、見知らぬ世界で何も持たずに生活を始めるのは恐ろしいので深く考えるのはやめた。
「さあ、ひとまずこれでもまとってくれ」
マヴァロンが差し出すシーツだかの白い大きな布をキョウタは受け取った。
適当にかぶると、マヴァロンが紐も出してきて、適当に服になるように着せてくれた。
※
「すいませんね。背に乗せてもらってしまって」
マヴァロンの乗り心地は良かった。鞍もちゃんとついていたし、シートポジションも良好である。キョウタは生前、馬に乗ったことはなかったので普通の馬と比べることはできないが、この高さは何か偉くなったような気分だった。
「気にするな。馬上で剣を振るう必要もある。あと、堅苦しくなるな。もっとフランクに話そう。仲間だろう」
「仲間っていってもさっき会ったばっかりで助けて貰っただけ……。剣?」
「馬上で
「あぶない。怖い」
ろくに殴り合ったこともないキョウタである。
「度胸がないな」
マヴァロンは小さくヒヒヒヒと馬らしい声で笑った。
「ちょっと前まで不登校引き篭もり高校生やったのに、いきなり剣持って戦えって言われても」
「そりゃそうだ。だが心配はいらない。まずは私がついている」
落ち着いた自信をマヴァロンから感じ取れた。どうせこのお馬さんに頼るしかないやん、とキョウタは深刻に考えるのをひとまずやめた。
(考えてみりゃ、テレビヒーローやら映画の主人公なんか、剣や銃で
馬上で妄想する。
◇
「貴様が勇者キョウタか」
「そうやで。かかってくるか?」
「いかいでか」
キョウタは自分の身長より巨大な幅広の剣を軽々と奮って魔王の手先と切り結ぶ。
しばししのぎを削ったのち、一歩さがるキョウタ。
剣に念を送る。
敵は警戒してかかってこない。必殺技の準備中に攻撃しないマナーとも言う。
剣を目の高さで水平に持ち、必殺技のセットアップが完了する。刃に光が走る。
◇
(えーと。必殺技の名前どうしょう──)
とか考えるキョウタ。
高校へ通わなくなってから、死んだ後も流されて生きている。
死因も分からず、なんで親切なお馬さんに乗ってるのかもよくわからない。
キョウタを乗せたマヴァロンはギルドに向かっている。ここで言うギルドとは職業組合であり、
(必殺技の名前はコズミックインパルスにしよ)
ぐっと拳を握るキョウタであったが、カタカナ語をつないだだけで意味はわかっていなかった。
※
石造り三階建てのこの周囲では大きめの建物がギルドであった。
『シヅテ村職業組合及び職業安定所』
と看板に書いてあった。
キョウタは普通に漢字カタカナひらがなで読めていることに違和感はなかった。読めないほうが不都合だから気にしない。馬がしゃべるよりは不思議じゃない。馬がしゃべってることの不思議を感じる余裕もなかったし。
建物の中にマヴァロンと並んで入る。馬お断りではない。
その証拠が入り口のドアである。それなりに大きいのだ。キョウタの元いた世界の建物のように170センチ前後の身長に最も都合良く作られたものではない。さすがにマヴァロンの直立姿勢『
人間と比べてかなり小さい種族用ドアも別にある。
入るとロビーになっており、壁面に求人や指名手配などが多数張られている。
ロビーに人がまばらにいたが、馬が入ってきたことに大きなどよめきはなかった。しかし、この村は人間が主に暮らしているところらしく、見かけない異人が来た空気にはなっていた。
その奥に窓口があった。
市役所のそれのように窓口は要件別になっているようだが、真ん中に手前に突き出た総合窓口カウンターにまっすぐ向かう。
「いらっしゃぁい」
AV女優──じゃない、大天使ルミルがそのカウンターにいた。この挨拶も大阪弁イントネーションである。
キョウタは見知った顔に安心していいのか不安になっていいのかわからず無表情に言った。
「おじゃまします」
ルミルのスーツ姿は女教師じゃなくてOLの方だった。
「あんたの望んだ世界へようこそ」
「望んだ?」
「そうやで。あんたが望んだ通りの世界がこれから繰り広げられていくんやで」
『くりひろげられて』にエロい語感をなぜか感じたキョウタであった。
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