あした
落ちている。
落下速度はどんどんあがっていく。あと数秒で、ぼくはビルの屋上にぶつかってしまう。
(あまりいたくありませんように……)
せめて、そう願って目を閉じた。
でも、ぼくと違って、小練さんはまだあきらめてはいなかった。
「あっ、そうだ! 大きくなれっ!」
ぼくのあたまの上から聞こえる声。いったいなにを大きくするつもり……と、思ったとき。
ぐ、っとぼくの胸を何かがおした。
「う、わ……!」
むく、むく、と「何か」が形をかえていく。
それは、パジャマの胸ポケットにおさまり切らないほどに大きくなって……
『あ、そうだ。これ、かえすね』
小練さんの言葉が思い出された。ぼくがマジックに使ったゴムボールが、ぼくの体の下で僕の体をこえるサイズに膨らんでいた。
そして、ぼくはそれにあおむけにのったまま、ビルの上へ……
ボヨンっ。
ゾウの遊び道具になりそうなぐらい大きくなったボールがぼくの体の下で大きく弾む。
今度は、ぼくの体はうえへと投げ出された。
「う、わ、わわわっ!」
体がぐるぐる回っている。空と地面が交互に見えた。
いや、その間に、もう一つ……
「勇生くん!」
くり色の髪をはためかせた小練さんが、ぼくに手をのばす。
今度こそ、ぼくはその手をにぎった。
☂
ばさっ。
カサを広げたってパラシュートの代わりになんかならないはずだけど、きっとこれも魔法の力なんだろう。
「ふー、びっくりしたぁ」
「びっくりしたのはこっちのほうだよ」
ぼくたちはふたりでそのカサにつかまりながら、木の葉が落ちるようにふわふわと舞い降りていく。
「はなさないでって言ったのに」
「それは……し、しかたないでしょ。はじめてだったんだから」
おもわず小練さんのスカートに目がいきそうになって、あわてて視線をそらす。どうして手を離したのかなんて、彼女にいえるわけがない。
視線を逸らした先に、ぼくのゴムボールが顔の高さに浮かんでるのが見えた。命をすくってくれたそれを、ぼくはそっとにぎって胸ポケットにもどす。
「そっか。そうだね。次はもっと気を付ける」
「次もやる気なの?」
「もちろん! だって、楽しかったでしょ?」
「楽し……かった、な、うん」
本心から、ぼくは答えた。いっしょに、空を飛んで。それいじょうに、ぼくのことを思ってしてくれたのがうれしかった。
「勇生くんが、自分のことを好きになれるようにしてあげたいの」
小練さんはカサの真ん中あたりにつかまっている。だから、少し上からぼくのことをみて、そして、笑っていた。
「もっといっぱい楽しい思いでをつくれば、もっと自分のこと、好きになれるよ」
笑顔を見上げながら、ぼくは……
ぼくは、ちがうことをかんがえていた。
一本のカサの下。左に小練さん。右にぼく。
これって、まるで……
(相合傘、みたいだ)
小練さんの笑顔にみとれているうちに、ビルの屋上に足がついた。
小練さんがカサをたたんで、ぼくたちはいっしょに、夜の街をみまわした。
「きれいだね。きょうからここがわたしの街なんだ」
そうだ。小練さんは引っこしてきてさいしょの夜を、ぼくのために使ってくれたんだ。
「小練さん、なんていうか……」
「マシュマロでいいよ。ううん、そう呼んで」
「じゃあ……マシュマロさん」
「なに?」
月のあかりのしたで、宝石みたいにかがやく青い瞳をみつめながら、ぼくはきいた。
「どうして、ここまで……ぼくのためにしてくれるの?」
マシュマロさんはいちどまばたきしてから、すぐにほほえんだ。
「だって、勇生くんのこと、好きだから」
こんどこそ、ふたりきりで。
屋上で、街をみおろしながら、そういわれて。
『それってどういう意味?』とは、聞けなかった。ううん、聞く必要がなかった。
なにもお返しなんかできないのに、ぼくのことが好きだからってだけで、ぼくのためになにかをしてくれる人がいるってことが、ほんとうにうれしかった。
ぼくは目をぐっとつぶって、あふれてくるものをおしとどめるようにパジャマの袖で顔をぬぐった。
「……ありがとう」
「どういたしまして!」
それだけこたえて、マシュマロさんは閉じたカサを僕にさしだした。
「見つからないうちにかえろうよ」
「……今度は、さかさまになっちゃだめだよ」
「だいじょうぶ、安全運転にするから」
ぼくは大きく深呼吸してから、マシュマロさんのカサをにぎった。
明日がくるのを楽しみにおもいながら。
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