裏窓

.裏窓


 ぼくはひとり、帰りみちをあるいた。

 さっきまで体じゅうにこもっていた力がすっかりしぼんで、靴底がよわよわしくアスファルトをこする音がやけに耳についた。

 学校から家が近いのはさいわいだった。こんななさけない姿を、あんまり多くの人に見られなくてすむから。


「ただいま」

 家の出入り口を閉める。すぐわきには、夏やすみの宿題を入れたカバンが朝のままそこにあった。

 宿題のことであわてていたのが、もうずっとまえに思える。


(宿題を忘れてなかったら……)

 こんなことにならなかったんだろうか?

 あさ、小練さんに出会ったのがぼくじゃなかったら。

 マジックなんてみせなければ。

 魔法なんて、知らなかったら。

 かんがえてもしかたないけど、そんな思いが頭の中をぐるぐるとまわっていた。


「おかえり」

 出入り口から一番近い部屋。お兄ちゃんが顔を出していた。

「なんかあったのか?」

 玄関にたったままのぼくをヘンに思ったらしい。

「お兄ちゃんってさ」

 くつをぬぎながら、返事の代わりに聞いてみる。

 年のはなれた兄弟って、あんまりふたりだけで話すことがない。お兄ちゃんはちょっとだけうれしそうだった。


「背、ひくいよね」

 でも、やっぱり僕の質問にはがっかりしたらしい。鼻をいちどならしてから、肩をすくめた。

「他の言い方があるだろう。牛若丸みたいだねとか、マイケル・J・フォックスみたいとか」

「だれ?」

「わからないなら、いいよ」

 なぜか悲しそうに目を伏せた。


「でも、しかたないだろう。遺伝ってやつだよ」

 そう。お兄ちゃんも、お父さんも、あまり背が高くない。

 将来大きくなって、からかってくるやつらを見返してやりたいけど、それはむずかしい。

 だから、身長のことからかわれたって、あんまり強く言いかえせない。


「気にするなよ。体が小さくても、心が大きいほうがいいだろ?」

「でも、テレビで人気なのもほとんど背が高い人でしょ」

「背が高いとテレビに出やすいってだけ。ほかのこと全部にまで関係してるわけじゃない」

「でも、ぼくが何してても『背がひくいから』っていわれる」

「全員がそう言ったって、関係ないものは関係ない。ほかの人がみんな間違ってることだってある」


 ぼくはため息をついた。

 たしかに、背がひくくてもテストの点が悪いわけじゃないし、歌うのが下手ってわけでもない。でも、いつもみんなからバカにされてたら、背がひくいとなにしてもみとめられないのと、たいしてかわらないじゃないか?

「ひとりにして」

 そう言い残して、ぼくは階段をあがった。お兄ちゃんは何も答えなかった。



 🌂



 その日は、夜までぼんやりとすごした。

 外に出かける気にもなれないし、ゲームで遊ぼうと思ったけど、なんだかみょうにイライラして、すぐにやめてしまった。

 部屋の窓から外をながめているうちに時間がたって、気づけば夕食。

 お父さんやお母さんもぼくがため息をつくたびに心配してくれたけど、どう相談していいかわからなかった。


 お風呂に30分以上つかって、のぼせそうになっていた。ひとりでしずかなところにいると、もやもやが心のなかで積もるようにふえてくる。

 パジャマに着替えて、歯を磨いて……

 部屋の電気を消すころには、それでも少し落ちついたような気がする。

 カーテンを閉め切って暗い部屋のなか。ベッドにうつぶせになっていた。


「小練さんにあやまらなきゃ」

 もやもやのいちばんうえにうかんだのは、そんな気持ちだった。

 せっかく、元気づけようとしてくれたのに、つめたくしてしまって。嫌われたかもしれない。

 ぼくのこと、やさしいって言ってくれたけど、ぜんぜんそんなことない。がっかりさせたかもしれない。

 とにかく、イヤな気もちにさせたのはまちがいない。ちゃんとあやまらないと、ぼくもずっとひきずりそうだ。


 コン。

 部屋の窓に何かがぶつかる音がした。

 虫が、ガラスにぶつかったんだろうか。カーテンを閉めてるのに、不注意なやつ。


 不注意といえば、ぼくもぼくだ。

 種井が絶対にからかってくるのがわかってたんだから、無視してすぐかえるべきだった。

 星田さんにまかせておけばよかったんだ。いつもああやって、男子と女子を代表して言い合ってるんだから。

 あした、また何か言ってくるだろう。その時は、無視するようにしないと。


 コンコン。

 また、窓から音。

 虫じゃなくて、鳥かもしれない。人の家の窓であそばないでほしい。


「はぁっ……」

 また、ため息が漏れた。

「明日、学校に行くのめんどくさいな……」

 二学期がはじまっていきなり、こんな暗い気分になるなんて思わなかった。

 いっそ、一日くらい休んでしまえば、みんな今日のことをわすれてくれないかな、なんて頭をかすめる。

 ……かえって気にされるよね、たぶん。


 コンコココンコン、コンコン。

「もおっ、なんだよ!」

 人がかんがえごとしてるのに、なんどもなんども。虫でも鳥でも、おいはらってやる。

 そう思って、ぼくがカーテンを開けると……

「あっ、よかった」

 花のような笑顔がみえた。

「こんばんは。窓、開けてくれる?」

 くり色の髪に白い帽子をかぶった、小練マシュマロさんがそこにいた。



 🌂



「ここ、2階……」

 いいかけて、彼女がふわふわと浮かんでいることに気づいた。

 脚の間に日がさパラソルをはさんで、それにまたがって飛んでいる。

「やっぱり、魔法使いなんだ……」

 もしかして昼間みたのは何かの勘違いだったのかも、と思ってたけど、今度こそ、信じるしかなさそうだ。


「て、ゆうか、誰かにみられたら……」

 さいわい、ぼくの部屋の窓は道からは見えない位置だけど、まわりの家の人が気づくかもしれない。もしそうなったら、せっかくのヒミツの関係が……じゃなくて、小練さんが困ったことになってしまう。

 いそいでカギを開けて、ガラス窓をスライドさせた。

「ありがとう。……あ、靴で上がっちゃダメなんだよね」

 そういって、彼女は窓辺に座った。たしかに、靴ははいたままだった。


 いうべきことがたくさんあった。でも、まずは……

「さっきはごめん。イライラしてた」

「ひとりで歩いていっちゃうんだもん。もっと話したかったのに」

 薄暗い中、月を背中にした彼女は、確かに、ほかの人とは何か違うフンイキを漂わせていた。青い目は、夜になるとますます明るく見えるきがした。

「でも、あやまってくれたからゆるします」

 冗談めかして、彼女はうなずいた。ちょっとだけ、体がかるくなった気がした。


「心配だったから、こっそりついていったの。それで、ここがおうちだってわかったから」

「こんな時間に来なくてもいいのに」

「夜のほうが、めだたないとおもって」

 めだちたくないなら、ふつうに玄関から訪ねてくればいいのに。そう思ったけど、どうも小練さんが言いたいのはそういうことじゃなさそうだ。


「あ、そうだ。これ、かえすね」

 そういって、帽子のすきまから何かを取り出す。小さなゴムボールだ。

「ほんとに何にもしかけないんだね。ねえ、どうやったのか、今度おしえてよ」

 マジックに使ったボールを受け取りながら、ぼくは首をふった。

「こういうの、かんたんにおしえちゃダメなんだよ。昔の人ががんばってかんがえた技だから」

「そっか。ざんねん」

 肩をすくめる小練さん。そんなにざんねんそうには見えない。


「このために、来たの?」

 ボールをパジャマの胸ポケットにしまいこむ。このためだけに来たんなら、ちょっとやりすぎだ。

「ううん。もうひとつ」

 そういって、彼女は手のなかの日がさをぼくに差し出した。まるい柄を握れ、といわんばかりに。

「勇生くんにも、魔法をかけてあげる」

 そしていたずらっぽく笑って、片目をつぶった。

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