激突!

 その日は、夏やすみが終わって最初の登校日だった。

 学校に行って、始業式をして、夏やすみの宿題をだすだけ。それだけの日になるはずだった。

 おきるのも、顔をあらうのも、おかあさんがつくってくれた朝ごはんを食べるのも時間どおり。2階の自分の部屋できがえて、ランドセルをせおって、登校の準備はばっちりだ。

 夏やすみの宿題だって、手さげカバンにまとめて玄関においてある。

 カンペキに時間どおり。まちがってもチコクなんてしそうにない。


勇生ゆうき、でかけるのか?」

 玄関でくつをはくとき、すぐそばの部屋からお兄ちゃんが声をかけてきた。

「大学生とちがって、今日から学校なの」

「なんだ、映画、いっしょにみようとおもったのに」

 小学5年生のぼくからすると、大学生って、いつもヒマしてるようにみえる。

 お兄ちゃんは家にいるときはいつも部屋にこもって、むかしの映画ばっかりみているみたいだ。


「学校サボって、一緒にみるか? 『メリー・ポピンズ』」

「みるわけないでしょ」

 ため息をついて、ぼくはくつをはく。はきなれたスニーカーがぴったり足の形にあわさって、すこし体がかるくなった気がした。

「いってきます!」

 家族に声をかけて、家のドアノブに手をかけた。

「いってらっしゃい」

 おかあさんと、お兄ちゃんにみおくられて、ぼくは家をでる。

 そとはよく晴れていて、水色の絵の具をうすくのばしたような空に、わた雲がふわふわとうかんでいるのがよくみえた。


 今日から二学期がはじまる。



 🌂



 ぼくの家は学校からちかい。5分もあるけば校門にたどりつく。

「おはよー」

「ひさしぶり」

 くつばこのまえで、ひさしぶりに顔をあわせるクラスメイトたちとあいさつをかわす。元気だったり、ねむそうだったり、夏やすみのまえより日やけしてたり、いろいろだ。

 ぼくがくつをはきかえようとしたとき……


 ドンッ!


 と、横からなにかがぶつかってきた。

「うわっ……!」

 ころびそうになって、よろめきながらくつばこに手をつく。ふりかえると、にやにやした顔が目にはいった。


多加良たから、いたのか。小さかったから、みえなかったぜ」

 にやついているのは、おなじクラスの種井たねいだ。背がたかくて、顔はひやけでまっくろ。

 自分の体が大きいからって、背がひくいぼくのことがみえないはずがない。こうやって、よくぼくをからかってくるのだ。

 訂正。種井は同級生みんなをからかっている。


「ああ、そう。早くはきかえてくれない? ぼくが、くつをしまえないから」

「ちょっと待ってくれよ。おれはおおきいから、動きがおそいんだ」

 くやしいことに、種井のくつばこはぼくと同じ列にある。それがわかっていて、わざとゆっくり、立ったままくつを片方ずつぬいでいく。

 顔にのりではりつけたみたいにニヤニヤを浮かべたまま、種井はくつをうわばきにはきかえた。

 かたっぽだけうわばきにはきかえた、中途半端な格好で、ぼくがうでぐみしてるのをおもしろがっているのだ。


「またせたな」

 ドン!

 またわざと肩をぶつけて、かかとをふみつぶしたうわばきをペタペタいわせながら、あるいていく。

「ちぇ、何がおもしろいんだか……」

 ぼくはよろめきながら、その背中をにらみつけた。


「あいつ、かわらないよな」

 そのぼくをなぐさめるように、別のクラスメイトが声をかけてきた。ひょろっとした印象の男子。こっちは種井とは反対に、ぜんぜん日やけしていない。

「おはよう、横平よこひら

「おはよ」

 横平はもうくつをはきかえている。ということは、ぼくをまってくれているらしい。べつに、かまわないのに。


「あんまり気にしないほうがいいよ。いつものことなんだから」

「気にしてないって。いこう」

 さっさとうわばきにはきかえて、廊下をあるきはじめる。

「横平は夏やすみ、どうしてたの?」

 話題をかえる。この話をあんまりひっぱったら、まるでぼくが種井にからかわれて、くやしがってるみたいじゃないか。


「フツウだよ。ゲームしたり、ゲームつくったり……」

「ゲームつくるのはふつうじゃないとおもうけど」

 横平は低学年のころからゲーム好きで有名だったけど、最近はつくるほうにも興味があって、シュミでプログラムなんてするらしい。こんど、成果をみせてもらおう。

「多加良は?」

「うーん、毎日あそぶかゴロゴロしてばっかりだったような……」

「ちゃんと宿題やった?」

「それは、あたりまえ……あれ?」

 いいかけて、ふときづいた。


「宿題……?」

 ぼくはたちどまって右手をみる。何ももっていない。

 左手をみる。やっぱり、何ももっていない。

「……わすれてきた!」

「ええっ?」

 せっかく、手さげカバンにまとめておいたのに! お兄ちゃんが余計なこというから、もつのをわすれちゃったんだ!


「せっかくやってきたのに、ええと……」

 まよっている時間がおしい。ぼくはふりかえって、早足であるきはじめた。

「あ、多加良? どうするんだ?」

「もどって、とってくる!」

 家までいってかえってくるにはすこしおそい時間だけど、とちゅうの道をはしればまだまにあうはず。学校の廊下じゃ、はしれないのがもどかしかった。


「わすれたくらいで先生もおこったりしないとおもうけど……」

 うしろのほうから、横平の声がきこえた。でも、ぼくにとってはおこられるかどうかはどうでもよかった。いままで宿題をわすれたことなんてないのに、今日がはじめてわすれた日になるのがイヤなのだった。



 🌂



 くつばこでもう一度スニーカーにはきかえる。さっきとくらべて、生徒の姿はすくない。もうほとんどが登校しおわっているみたいだ。二学期の一日目からチコクなんて、みんなしたくないもんね。

 だれもみていないのをたしかめて、ぼくは校門にむかってはしりはじめた。

 ちぇ、さっき、種井にここでカラまれなかったら、もっと時間があったのに。

 やめよう。種井のことなんか考えたら、また気持ちがおちこんでくる。

 ぼくが、校門からとびだしたとき……


「あぶない!」

 と、声がきこえた。

 おもわずたちどまって、車道をみる。でも、いまは右からも、左からも車はこない。

「どいて、どいてー!」

 今度は、さっきよりもちかくからきこえた。女の子の声だ。……だけど、その女の子のすがたがみえない。

 フシギに思ってると……


「うえ、うえ!」

 顔をあげる。夏の日ざしをさえぎるみたいに、空中になにかがみえた。

「えっ……?」

 太陽がまぶしくて、じっとみていられない。でも、何かまるいものを持った人影がふわふわとおりてきているような……

 そして、それはどんどん、ぼくのほうにちかづいてきて……


「ぶつかるーっ!」

 影が目のまえにせまってきたとおもった直後、ぼくはその影と激突していた。

「あいたたっ……」

 何がおきたのか、よくわからない。ランドセルのおかげで頭はうたなかったけど、まぶしくて目をあけられない。ということは、ぼくはあおむけにたおれているみたいだ。


 と、ぼくの顔にかかる日ざしを何かがさえぎった。

「だ、だいじょうぶ?」

 逆光のなかに、空よりももっと濃い、宝石みたいに青い目がみえた。

 女の子だ。たおれたぼくにのしかかるみたいにして、顔をのぞきこんでいる。さっきみえた「まるいもの」は、彼女がさしたカサだったらしい。晴れているから、日がさだろうか。それじゃあ、この子は、カサをさして、空から落ちてきた……?


「えっ、あ、ええっと……」

 なにもいえなかった。おどろいて混乱していたのもあるけど、なぜかドキドキして、うまく言葉がおもいうかばない。

 たぶん、はしっていたせいだと思う。きっと。

 彼女のかみのけが左右からたれてきて、シャンプーのにおいなのか、花のようなかおりがしていた。


 なにもこたえられないぼくに、その子はきょとんとしてから、

「あ、ごめん! わたし、のったままだ」

 女の子がぱっとたちあがって、ひろげたままのカサをとじる。それから、ぼくのほうに手をさしだしてきた。

「どこか、いたくない?」

 そのしぐさのどれもが、テレビのコマーシャルになってもおかしくなさそうなくらい決まっていて、ぼくはおもわずみとれていた。


「え、っと……」

 何秒かしてからさしだされた手の意味にようやくきづいて、あわててたちあがる。

「だ、だいじょうぶ、ひとりで立てるから」

 あらためて、その子のほうをみる。日の光をあびて、くり色のあかるい髪がきらきらかがやいているみたいだった。

「よかった。ケガはなさそうだね」

 ほっと息をつく彼女の顔をまっすぐみられなくて、ぼくはおもわず首を横にむけた。


「き、きみは……だいじょうぶ?」

「うん。あなたがうけとめてくれたから」

 そんなつもりはなかったんだけど。でも、おこる気にはなれない。なるわけがない。

「あ、そうだ!」

 ぽん、と彼女が手をうった。

「ひとつ、きいていいかな?」

「な、なに?」

 ききかえしていた。宿題のことなんて、とっくにわすれていた。


「職員室って、どこかわかる? わたし、今日、転校してきたの!」

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