最終話
地下水路の奥まで辿り着くと鉄の梯子の上に分厚い黒い扉が2人の視界に入った。少女が手で押すと土埃を落としながらゆっくりと開く。
扉から外へと出ると王城の中の一室であるようだった。黒々とした石板の水路を抜けて窓から差し込む光を浴びた帽子は眩しげに目を細めると、少女に目配せして部屋を出るよう促した。
かつて聖騎士団長と戦った大広間を通り、埃を被ったシャンデリアのかかる大理石の廊下を歩いていく。
『私は、王と盟約を交わした身だ。』
黒帽子が普段と変わらない調子で少女に呼びかけた。
『様々な事を知っていたのは私ではなく王の力だった。私の夢がそうさせただけだ。
……英雄の物語に、いや。聖剣に憧れたのは、お前じゃない。私の方だった。』
「『私達』が、憧れてるんだ。」
少女は笑った。
「仲間外れにするな。英雄譚、カッコ良いじゃないか。それに、僕とクロ坊はもう2人で1人だ」
階段を上がり、城の頂上に立つと景色が突然開けた。白い天井は崩れ、青い空が見える部屋と言うには広大すぎる空間の奥に。
玉座に座する1人の男がそこにいた。
髪は白く毳立ち、その長く伸びた束の間から深い海の底のような、瑠璃色の瞳が覗く。
「僕は」
少女が王座へと歩きながら、静かに、だがはっきりと辺りに響く声で言葉を紡ぐ。
「今迄ずっとひっかかっていたんだ。
それは、多分僕が英雄じゃなくて人殺しのただの亡者なんじゃないかって事とか、なんであの人達は死ななきゃいけなかったのかとか、そうゆうものもあると思う。
…でも、それだけじゃない」
剣を抜き、一度震えるように息を吸うと目の前の、遥か遠くにいた筈の王を見つめる。
「この世界に生きる人々は、死者達はもう、王を必要としていない」
少女が剣を構えたのを目にした王はゆっくりと王座から立ち上がり、自らの持つ巨大な槍を構えた。少女はそれでも歩みを止める事は無い。
「玉座を継ぐ必要は無い、呪いを存続させる必要も無い、この世界には。僕等は変わらなければいけない。」
『嗚呼、お前はそう言うと思ったさ』
頭上から何度も戦いの中で聞いた声がした。
『戦うんだな』
「力を示すんだ」
『英雄は…孤独だと思うか?』
少女は問いに肩を竦める。
「僕の導きがいる」
少女の瞳には今迄で最も強い輝きがあった。
「確かめたいんだ。確かめるんだ、この世界の事。だから、きっと、これは身勝手な私利私欲で振るわれる、血で汚れた剣だけど。
それでも僕は僕の信じた正しさを貫きたい。例え世界や神を敵に回したとしても!」
突如として、少女の構えた剣に巨大な力の奔流が現れた。帽子の瞳には一瞬驚愕の表情が宿ったが、2人は互いに目線を合わせると静かに頷く。
王の放った槍を自らの剣で受け止める。腕に走る衝撃は身体中に嵐のように伝染し、余りにも絶対的な力に顔を歪めながらも少女は剣を握る力を緩めずに眼前を見据えた。
瑠璃色の瞳と視線が交錯したその瞬間、少女は誰かに命ぜられたかのように、口を開いた。
「
『ーーーーーーそれは、赤き瞳の英雄。太古から統治した地を奪われ、呪いを振り撒いた人間』
少女の瞳に、赤い、月の輝きが映った。それは一瞬だけひときわ大きく輝くと、静かに瞳の奥に隠れて消えた。
王が今一度槍を掲げるのを見た時も少女は冷静だった。
「
『ーーーーーーそれは、琥珀色の騎士の英雄。かの騎士は人を裏切り、暗闇に閉じ込めたが、それでも世界を愛していた。人よりも世界を守ろうとした。
…なればこそ、私達は曲がったとしても、どの英雄よりも人を愛さねばならない。』
王の振り下ろした槍を少女を取り巻くように現れた白く輝く霧が受け止める。一度大きく光を放った閃光が搔き消えると、先程より勢いは衰えたがそれでも少女を搔き消し足り得る一撃が眼前に迫ってきた。
「
『ーーーーーーそれは、王家の血を受け継ぐ英雄達。最後の大見栄をはる為に少女に託された、国を守る2人の命の輝き』
少女の剣に、虹色の閃光が走った。少女は剣を今一度盾に槍を防ぐ。言葉は途切れず、呪文を唱えるように、宙に浮いた文字を読み上げるかのように声は続く。
「
『ーーーーーーそれは、たった1人眠りに落ちた誇り高き英雄。今もなお、私達に力を与える暗闇の中の光』
光を放つ剣に少女の腕から現れた黒い靄が纏わりついた。それは剣を守るようであり、また付け足された新たな刃にも見えた。
巨大な槍と幾重にも光を重ねた剣は拮抗したように見えた。だが少女は自らの腕が、骨が、身体が目の前の力に耐えきれずひび割れていくのを目にした。
「
『ーーーーーーそれは、少女の持つ最後の武器。倒れたとしても、何度でも彼女を立ち上がらせる。英雄と私の、剣その物だった』
白い閃光と黒い靄が剣を取り巻きながら曲線を描くように混じり合い、ひときわ大きく輝く灰色の光が少女の剣に与えられた。それは今迄見てきた死者達の瞳の色であり、少女の血と埃で汚れた髪の色でもあった。
「
『ーーーーーーそれは、月の導き。
…愚かで捻じ曲がった物語の紡ぎ手として、私は語ろう。死ねぬ程に英雄になりたい者の話を。導きの聖剣に憧れた、ただの煤けた帽子が。
この魂を以て全てを伝え、そして導こう。
これは…一人の亡者が、世界を変える英雄譚である!』
もう身体が悲鳴をあげることは無かった。剣を振り上げ、力の限りを尽くした一閃を放つ。
狙うは王冠。呪われた闇に向けて、全ての苦痛を秘匿した王の力に向けて。
「暗き地に統べる者無し、僕はーーーー僕達は、王を必要としない!!」
少女は血を吐くように、大きく叫ぶ。
途端に地響きのような激しい脈動と雲の動く音が辺りに響き渡り、王冠は大きな音を立てて真っ二つに割れた。
少女は自分の身体が王冠の切り口から噴出した闇に取り囲まれていくのを感じた。
闇は少女の髪を大きく揺らし、何処までも深い暗黒色が彼女の身体のすぐ傍を吹き抜けていく。
そしてその闇の噴出が終わると、王冠とその主は命の抜け落ちた灰色の石像のように色を変え、割れた先からさらさらと砂に変わると風に流され空気に溶けていった。
雲が晴れるのを死者達は見ていた。
城にかかった霧が風に流されるのを亡者が窓から見守っていた。
森の中の暗がりに橙色の木漏れ日が差し込んだのを誰かが目にし、上を向いた。
道化師が孤児院の屋根の上で太陽を見ていた。
皆が皆、同じように空を見上げていた。
誰もが、世界は変わったのだと気づいた。
それが良いものか悪いものかはまだわからなかったが、それでも荒野に降る雨に、崖に差し込んだ光に、満ち欠けを繰り返す月の光に人々は祈りを捧げた。
そよ風が若草色に生い茂った木々の葉を揺らした。空には綿を千切ったような形の雲が流れ、城壁の外にある草原にまだらの影を落とす。
森と草原を隔てるように流れる小川から涼しげなせせらぎが聞こえてきた。鳥の囀りに風で草の揺れる音が混じっている。草原には名前もわからないような小さな水色の花やクローバーが群生し、小川の端を香り高い白いユリ科の花が彩っていた。
草原の中央で死んだように眠っていた1人の少女は聞き慣れた友の声に目を覚ます。
『……英雄のお嬢さん。私の声は、まだ聞こえているか?』
夢を見た。
遠い、いつか訪れるであろう未来の夢を見た。
少女の髪と瞳は身体中を吹き抜けた闇で黒く染まっていたが、決してそれは身体の内側まで侵食してゆく事は無かった。
彼女は旅をしている。遠く、世界の果て、自分のまだ見ぬ土地の何処かまで。その身に刻まれた死者の呪いに未だ侵されていない人々に死者達の英雄譚を伝える為に。
だからこそ、この物語は後世まで語り継がれるだろう。
ーーーーーーーーこれは、死体だった1人の少女と、運命を棄てた月の導きの英雄譚である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます