第15話



『ーーーーーー王城、アヴィオールの地下。光の娘が祭られた場所。見えるか、英雄気取り。この階段の奥が地下だ』

「見えているよ」

 石でできた階段の奥には暗がりが見えた。

 地下へと続く通路は少女が屈んで降りられるか降りられないかといった広さだった。靴音が階段に大きくこだまし、少女は壁に触れた手から伝わる石の冷えきった感覚に身を強張らせた。

 壁にかけられた燭台の光は頼りなく、足元を見るだけで精一杯だった。

 少し進むと開けた場所に出た。城に入った時は昼であったのに、地下の暗がりは少女に夜を彷彿とさせた。

「なにか聞こえないか」

 少女が耳をすませると石造りの部屋の奥から確かに声が聞こえた。

『元は地下牢だった場所だ。血族を封じる為に、王と聖騎士団は地下で治験を行なっていたそうだ』

「治験?」

 声を殺して頭上の声と対話しながら灯りを頼りに暗闇の中を進むと、人の息遣いが聞こえてきた。

『その成功作が“光の娘”だ。』

 歩を進めると人の気配はより濃くなっていったが、少女の心には不安が広がっていった。

 気配は一つではなく、大勢の人間のあつまりのように感じられた。

 曲がり角の向こうから床と布の擦れるような音が聞こえた。少女は恐る恐る、角を曲がりその先の景色を視界に映した。

 瞬間、少女は自分の身体から温度が喪われていくような、心の臓を異形の手で撫でられたような悍ましさを感じて口を手で覆った。


『…その過程には、恐ろしい数の失敗作も産まれた。王は騎士達に彼等を地下牢に隠すよう命じたと言われている』

 地下牢というよりは、拷問室のような所だった。長方形の部屋の左右に三つずつ、人を縛り付ける為の鎖が取り付けられていた。鎖の先には血で汚れた白い服を着せられ、頭に針で開けたような穴がある布を被せられた死者達が蠢いている。穴からは白く白濁した液体が漏れ出し、時折それは血に混じって赤く壁燭台の光を反射した。

 悲鳴を飲み込み、1人の死者に歩みよると囁くようにか細い声が部屋の中で奇妙に響いた。

「誰かいらっしゃるの?」

 はい、とは答えられなかった。恐ろしい光景に喉と舌が上顎に張り付いたようで、少女は話すことが出来なくなっていた。

「脳髄を、智慧をください…」

 隣の死者が体を海老のようによじりながら叫んだ。

「このままじゃおかしくなってしまいます、どうか、脳髄をください」

「体が痛いです、騎士様、騎士様」

「水の流れる音がする…もう、頭が空に向かって、夢を見てしまいたい」

「誰かいませんか?脳髄をください」

 途端に、さわさわと小さな囁き声が部屋を取り囲んだ。中には少年や、年老いた老婆の声も聞こえた。

 少女は一瞬の硬直の後に後ろに僅かに跳ね飛び、廊下の先の方へ向かって全速力で駆け出した。

 部屋の先は蟻の巣のように枝分かれし、更にまた人の縛り付けられた部屋が何度も何度も少女の視界の端に映った。

 時折、足元を白く歪んだ形の指が掠めた。足がもつれたが、ここで転んだら全てが終わってしまうような気さえした。


 気がつくと、大きな石の扉の前まで来ていた。

 拷問室はもう辺りには見えなかった。

 少女は気が進まなかったが、今来た道を戻ることも憚られた。力を込めて扉を押すと、重たい音を立てながらそれは開いた。

「さっきの人達は、どうすれば良かったんだろう」

『死者に救いも何もないだろう。光の娘はまだ死の呪いを受けていないらしい。まぁ、お前が見て決めればいい』


 広大な石造りの空間、部屋の中心に光の娘と呼ばれたであろう物がいた。それは月の光すら浴びてはいないのに白く輝き、遠目からでもどんな姿をしているのか少女にはわかった。

 頭が2つに分かれ、その中から珊瑚のように伸びた脳髄のような物が剥き出しになっていた。まるで化け物のような姿だったがその表情が苦痛に満ちているのを見て、少女は自然と失敗作を見た時のような恐れが引いていくのを感じた。

 光り輝く娘の元に駆け寄り、震える手で床に繋げられた鎖を外すと、娘の身体から発せられる光の残滓が少女の身体に僅かに付着した。

 もう大丈夫、と少女が口に出そうとした時、静かでどこか微かに甘いような響きの声が囁いた。

 ただ、それは言葉や文にはなっていなかった。

『狗を殺したお前なら、何を言いたいかわかっているんじゃないか』

 頭上の声が低く歌うように少女の身体の中に響いた。

「僕は英雄になりたいんだ」

 掠れた声で少女は俯く。

「これは、本当に英雄のすることなのか?僕は未だに殺しているだけで…人を救ったり、守ったりした事は一度も無いじゃないか」

『今、1人救えるじゃないか』

 それでも戸惑う少女を帽子は見下ろしていた。

「殺す必要はないんじゃないか。別に…このままだって、鎖は外したんだぞ」

『愚かな亡者が、恥を知れ』

 帽子は淡々と言葉を紡ぐ。

『そうだ、お前は鎖を外しただろう。なら最後までお前が決める必要がある。光の娘は人の姿を失って生き続けるのが幸福なのか?』


 少女は両手で剣を握ったが、必死に力を込めて握ってもその剣は震えた。

 剣を光り輝く娘に食い込ませると肉の弾力が僅かに感じられたが、直後柔らかな絹を裂くように刃は滑り呆気なく光の娘は床に倒れ伏せ、少女の顔に生暖かい血飛沫が飛び散った。

 少女が血を拭い、立ち上がると娘の身体を包んでいた光は闇の中に溶け込み消え去っていた。

 後にはただ化け物の死骸と返り血で赤く染まった少女が立ち尽くすだけだった。


「人殺しの化け物で、ただの亡者が英雄になれると思うか?」

『初めからお前はそうだっただろう』






 孤児院に戻ると、息を飲むような静けさが少女の身体にまとわりついた。そこは普段よりもずっと温度が感じられず、人の温かみを忘れてしまったようにさえ思えた。

 人の集まる部屋の中に向かうまで、孤児院の中の誰ともすれ違うことはなかった。

 少女は初め、孤児院の中に満ちた静けさと違和感は自分自身の心境の変化から来た物だろうと思った。


 広間に入ると、物陰から赤い血溜まりが飛び散っているのが目に入った。異様な予感に頭上の帽子と目を見合わせ血溜まりの元に駆け寄ると、アリアナが目を閉じて倒れているのが目に映った。

 胴体に大きな爪痕が痛々しく残り、赤い肉が覗いていた。


「どうして」

 少女は自分ではない、別の誰かが発したような声を聞いた。

 孤児院はどうしようもなく、静まり返ったままだった。

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