第13話




 遥か昔のことだ。


『……これが』


『これが、完全な英雄の姿であるならば私は不完全なままに完成された、唯一の英雄を求めよう。』



『お前は私に相応しくない、ゾーイ』


 それはきっと、本当ならば、全く反対の言葉であったのだ。私は何も、何も真実は言えなかったが。







 ーーーーーーーーーーーーー次の瞬間、激しい剣撃が少女に今一度襲いかかった。少女は剣を通じて身体に響く衝撃にも怯む事は無く、冷静に次いで自らに浴びせられる一太刀に備えた。

 自らの足元で靴が床に角を立て、金属質な音を立てるのを彼女は感じ取った。直後二人の身体は剣が合わさった事による反動で2、3歩後ろの方に弾かれる。

 少女は目を見開き床を蹴ってゾーイの鎧に勢い良く自らの剣を振り下ろす。ほんの一瞬、そこに静寂が訪れた。不意に少女は、この城の中にある一部屋に射し込む灯りが僅かに曇り、小さくなったように感じられた。

 少女は咄嗟に、自分でも何故そうするのかもわからないままに大きく後退り、操られるように聖騎士に向けて鋭い氷塊を作り出し、その身体の中心を貫くように放った。

 だがゾーイによる剣の一閃でそれは呆気なく打ち砕かれ、直後白い鉤爪に見える程に剣が光り輝くと騎士は水を切るように少女のいる方に向けて大きく剣を振るった。少女は自らの二の腕の肉が大きく裂ける音を聞いたが、その傷を見ようともせずに騎士の兜目掛けて炎の烏を飛ばした。

「驚いたな」

 ゾーイは炎の鳥を剣で防ぎ、そのまま切り落とすと少女の方に顔を向けた。

「王城の者しか知らない筈の魔法だ。それもこのような高位の物を一体誰から受け継いだ」

「僕は高位の魔法なんて使えない」

 直後、剣士の兜の僅かな隙間を目掛けて少女の剣の切っ先が恐ろしい速さで突き出された。

「隙を作る為の目眩しだ」

 咄嗟に後ろへと下がったゾーイに少女は激しい連撃を浴びせた。しかしゾーイは取り乱す風も無く冷静に少女の攻撃を見極め、自らの剣を持ってそれを受け流した。

 少女が僅かに隙を見せた瞬間、彼女の胸に深く騎士の剣が突き刺さった。

 自分の胸を見下ろし、口元にこみ上げて来る熱い鉄の味の液体を苦しげに吐き出すと途端に首元が真っ赤な血で染まるのを少女は見た。仄暗い澱みの中に身体が沈んでいくような感覚を少女は感じ取った。


 次の瞬間、少女は自分の胸に突き刺さった深い痛みが急速に引いていくのを感じた。血液がどよめき、布に染み込んだ物が宙を舞い開いた口から身体の中へと戻っていくのがぼやけた視界の中に映った。

 それは、魔女と戦った時に感じた“見えない引力”だった。引力は静かにその身体を起こし、少女の意識を一瞬くらやみの中に沈めこんだ。


 覚醒すると、少女は騎士に向かって幻影の氷塊が放たれる瞬間を見た。

 それは確かに自らが放った物であり、まだ手のひらには魔力の脈動が僅かに残っているのを少女は感じた。

 ゾーイの剣が強く光を放ちだすのを見た少女は、宙を切り裂く剣撃を床を転がりながらも避けてみせた。そして次は自らの意思で騎士の眼前に向けて巨大な炎の鷲を放った。


 少女が剣を振るい、騎士がそれを受け流しては彼女に致命的な一撃を与える度に少女は引力に引かれ、もう一度剣を握った。

「恐ろしいな」

 ゾーイは兜の隙間から覗く琥珀色の瞳を細め、剣撃を繰り返しながら呟いた。

「…まるで未来を見てきたかのような動きをするのだな、貴様は」

 ひときわ大きな一閃を少女は剣で受け切ったのを騎士は見ると、一度大きく後ろに飛びのいてもう一度騎士の礼をした。

「儀礼だ。誇りを忘れない為に、敵に敬意を表する為に。本来なら両者がこれを交えて成立する物だ」貴様もしろ、と言わんばかりのゾーイの物言いに少女は困惑しながらも、たどたどしく見よう見真似で騎士の礼をしてみせた。


 騎士は静かに頷き、少女が剣を構えるのを見ると強く地を蹴って少女に今一度剣撃を浴びせた。騎士の礼を二人が行ってからは、一度も少女は謎の引力を感じる事は無かった。

 長い間城に響いた鉄と鉄のぶつかり合う音が止んだのは、日が沈み、また登った頃の事だった。少女が騎士の銀色に輝く鎧の僅かな隙間に剣を突き立て、引き抜くと、一瞬の静寂の後に重たい音がした。

 力の抜けたゾーイの手から剣が音を立てて滑り落ちた。

「何故」

 少女の声は酷く掠れていた。

「戦わなければいけなかったんだ」

「おかしな事を言うな、お前は」

 ゾーイの声は、弱々しくはあったが暗さは感じられず、それどころか微笑しているようにさえ見えた。

「私はこの世界の為に戦った。お前は、自分が正しくある為に戦った。私は間違っていたかもしれないが、それは私ではなくこの世界が決める事だ。」

 凛とした女性らしい声だった。ふと、クロ坊の何処と無く客観視した話し方はこの目の前にいる琥珀色の瞳の騎士から移った物なのではないかと少女は場にそぐわぬ事を考えた。

『昔、私が〈お前は私に相応しくない〉と言ったのを覚えているか』

「ああ」

『そんな事は無かった。ただ……私達は、あまりにも望む物が違いすぎたんだな』

 そうかもしれない、とゾーイは言った。声は少しずつ小さくなり、最後に

「後はお前が、自分で考えろ」と言ったきり話さなくなった。


 ゾーイの瞳に灰がかかることは無かったが、少女はアリアナとの約束を果たす事にした。力の抜けた騎士の身体を椅子に横たえ、その場に縛りつける為の簡易的な儀式を頭上の声に従い行って城を立ち去る事にした。






 孤児院に戻った時、アリアナは少女に深い感謝を述べた後に窓の外を見ながら呟いた。

「善悪と賢愚は違う、とかの騎士は言っただろう。なら私達は、善く、ただ善く在るべきなんだ。


 …騎士も元老院も、みんな死んでしまったけど。」



 深い、深い静寂が夜の市街地を包んでいた。


 少女は、窓の縁にこびりついた黒い汚れを眺めながら何故騎士を殺さなければいけなかったのか、自らの危機に現れる謎の引力の正体は何者かを数度に渡り考えたが、やはりその答えが出ることは無かった。

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