第四章 王城

第12話

 はるか昔は人で賑わった場所だったであろう城門は人の手が入らなくなり、石の塔にはひびが入り全ての鮮やかな色が抜け落ち灰色になったようで、ただ冷たい市街地からの風が吹くばかりだった。

 埃の積もった白い大理石の床を歩き城の中に足を踏み入れると、人のいない空間の壁や天井に少女の足音だけが大きく響いた。


 小さな部屋の中を巡って行くと、机の上に分厚い本と小さな紙切れが落ちているのを少女は見つけた。本は自分の懐の中になんとかしまいこみ、紙切れを開いてみるとそれは掠れた黒いインクで書かれた短い手紙であるようだった。


《やあ、アメラ。子供達が元気であることを祈っている。旧市街地には帰れそうもないーーーー


 ーーーー城壁の外に逃げてくれ。元老院の剣士供が魔女の呪いを消す為に血族とやらを呼び出したらしい。恐ろしい化け物だ。聖騎士になって随分経ったが、私にはアレが厄災の象徴だとわかった。敵わないが、戦わなければならない。君には悪いことをする。

 最後に、愛しているよ。

 アルヴィス》



「アリアナさんは、聖騎士団が血族を呼び出したって言ってた」

『だが彼女は元老院の剣士だ。道化の言った言葉を覚えているか?〈王城の人間が、血族を呼び出した〉と。そしてこの手紙もそうだ。

 …呼び出した“らしい”。…………だろう?結局誰がやったかなんて奴等は知らない。ただ責任を誰かが押し付け合うようになり、それが噂として広まっていっただけだ』

 少女は手紙を丁寧に折り畳んで机の上に戻し、そのまま部屋を出た。困惑したように帽子の声を聞く。


「じゃあ聖騎士はやってないの?」

『やったかもしれないな。もしくは元老院か、はたまた王の導きか………………そもそも“どちらか”ではないかもしれない』

「元老院と聖騎士が血族を呼び出したかもしれない……」

『当時はそれ以外に道が無かったんだろう。結果的にはそれは破滅の道であった訳だがね』


 帽子の低い笑い声に顔を顰めると、少女は目の前の階段を上がり二階へと向かった。

 城の中は暗く、大勢の人間が交差した場を1人歩くのは少女に心臓を撫でられるような恐ろしさと何処かで食い違ったような違和感を感じさせるのだった。

 帽子は言葉を続ける。

『問題はその後のことだ、英雄気取りのお嬢さん。呼び出された血族の最後の一人を封じる為に国がした事がなんだったかお前は覚えているか?』

「確かクラウが言っていたな。光の娘のことか」

『そう。元老院と聖騎士達が袂を分かち、争うようになる理由そのものだ。』

 少女が少し前の記憶を探るように目を細めると、帽子は静かに頷いた。

『最早この世界に生者がいないのならば、城の地下で苦しむ光の娘を救ってやるべきだと元老院の剣士達は考えた。しかし、聖騎士達はそれを良しとはしなかった』

 頭上の話が途切れるのと、少女が城の中でも特に豪華で広い部屋に足を踏み入れたのはほぼ同じタイミングだった。


『城の中の大広間に入ったらしい。アヴィオールの主……フラム二世。国で唯一にして初めての禊となった我等が王。風の音を穏やかにし、空を凪ぎ、秘匿の場を湖に作り、そして市街地の人々を導き魔女を撃ち倒した生ける伝説。

 階段を進み大広間を抜けると、その先には我等が王を守る為に聖騎士達が並び立っていたという』

「その割には誰もいないな」

『ああ、お前もそうだろう。死者の呪いだ。かの者等は殆どが呪いを止める為に市街地へ向かったが、生ける亡者と結局は道を同じくしたらしい


 ………………1人を除いて』

 少女が頭上の帽子に言葉の意味を問おうとした時、彼女の目の前に巨大な扉が現れた。冷たく、見上げる程の扉にそっと手をあてがうと、それは少女が押さずともゆっくり音を立てながら開き少女を部屋の中へと招き入れた。




『聖騎士団長。王の傍で彼を守護する為だけに城に残った者。そして、なによりーーーーーー』

 帽子は少女の視線の先にいる人物を見て平静を保った声を歪める。それは普段の淡々と自分の知る知識を彼女に伝える為の声ではない、まるで別の誰かのような声だった。

『かつて私の主だった女だ』

 僅かに掠れながらも苦悩を供にした頭上の声に少女は目を瞠った。

 部屋の中央の椅子に座していた人物は立ち上がり、少女と黒帽子を見て静かに微笑んだ。


『久しいな、ゾーイ』

「まさか貴様が来るとは思いもしなかったよ」

 ゾーイ、と呼ばれたその人は、銀に輝く鎧を纏った騎士だった。兜が被られ、顔は見えなかったがその声は確かに艶のある女性のものであった。

 少女は聖騎士の方へと恐る恐る歩いて行くと、彼女は帽子を被った小さな英雄の方を向いて静かに語りかけた。


「世界を守ることは最も大切な事だ。だが私達は決して正義ではない、私達はその為に、時には善行と懸け離れた行いをする。それを私達は良く解っている。

 信念に則り他者の正義を押し退け、必要であれば多くの犠牲を許容する。」

 彼女の言う“犠牲”の意味が道化師から聞かされた王の娘の事や、元老院の事だと少女が気づくのにはわずかな時間すらかかりはしなかった。

「光の娘みたいに?彼女はまだ地下にいるのか、ずっと……今迄ずっと、助けようとはしなかったのか?!」

「ああ…彼女のように、哀れな者もいる。

 然し、善悪と賢愚は違うのだ。善悪の区別すら曖昧になった世だから私達は、ただ賢く在るべきなのだ」

 鎧兜の隙間からゾーイは凍りつくような視線を少女に投げた。その眼差しは息を呑む程に鋭かったが、確かに王宮に剣を捧げた騎士としての誇りが感じ取れる、強い物だった。

『昔からお前はそうだった』

 帽子は騎士とは違い、純粋な敵意の眼差しを彼女に向けている。

『完全すぎたんだ。何も、誰の助けも必要とせず、王から導きを得て魔物達から姫を救い、果ては竜と渡り合った。そこに一片の迷いすら無く。』

「それの何がいけない?」

 騎士の問いに帽子は自嘲めいた笑いで返す。

『最後は、必要ないと私を棄て、結果がこれだ。

 市街地の亡者供。地下墓地の死体の山。聖騎士達の末路すらお前は見ていない。世界の為なら自分の周りの全ての人間を切り捨てる。』

「貴様がいようといまいと、国の行く末は定められた運命だった。私は王に剣を捧げただけだ」

 口の端を歪めてゾーイは首を振った。

 少女は噛み締めた歯の隙間から絞り出すように言葉を紡ぎ、騎士を睨む。

「僕は地下にいる光の娘を救いに行く」

「何故?」

 ゾーイは鼻で笑った。

「死の呪いを受ける前から化け物になった。最早誰も彼女を救う意味などないとわかっているだろう。救えば、また血族が現れ、亡者を喰らうだけだ」

 少女はその言葉に目を伏せる。

「そうだろう。きっと。けれど、世界の為に人を利用し、苦しめるお前のやり方は気に入らない」

 聖騎士はその言葉に哄笑で返す。

「英雄様や聖剣気取りとは分かり合えないらしいな」


 ゾーイは剣を鞘から抜き、自らの前に翳した。王城における聖騎士達の礼のようだった。直後、少女が咄嗟に構えた剣の中心に剣撃による重く鋭い衝撃が走る。

「決闘だ、英雄気取り」


 鎧兜の隙間から僅かに除いた茶の瞳は広間に差し込む月の光を反射し、黄水晶のように深い輝きを放っていた。

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