第11話

「遅かったな」

 孤児院に戻ると、聞き慣れた銀の鈴を鳴らすような声が少女達を迎えた。


「アリアナさん。ごめんね、元老院の人達は…」

 言い澱み下を向く少女を見て剣士は全てを察したようだった。別にいいさ、と少女の帽子を持ち上げて頭を撫でる。

 白い髪を冷たい指に絡め、優しく妹を労わるように触れられる。気恥ずかしくなったのか目を逸らした少女に剣士は普段よりも優しく笑いかけた。


『もうすぐ夜になる、今夜は孤児院の床を借りても良いかね』

 帽子は剣士に一瞬振り返り、少女が重い扉を押し開けるのを見守った。

 孤児院の中には大きな机に寄りかかり俯きながらどこかの国の歌を歌う盲目の男と、道化師、そしてそれを怪訝そうに眺める剣士がいた。

 少女が改めて中を見回すとそこは埃と冷たい炭の匂いが微かに感じられる。


「お姉ちゃん、おかえりなさい」

 奥の廊下からぱたぱたと木の床を走る音が近づいてくる。少女は顔を上げ、愛しい友人が胸に飛びついてくるのを迎え入れた。


「ただいま。今日はお泊りなんだよ」

「本当?」

 少女の背よりずっと小さな少女は朗らかに笑った。

「良かった。あのね、剣士のお姉ちゃんとっても優しいんだよ。3人で一緒にお話したいな。

 ………そうだ、私のお母さんは見つかった?」

「…えっと、君のお母さんは」


 少女が顔を歪めてそう言った所で、頭上から帽子のつばをふりながらクロ坊が語りかけた。

『悪いな、見つからなかったんだよ。また外に出たらもっと良く探すとしよう。』

「そっか。お母さん、どこまで遠くに行っちゃったんだろう…ちゃんと、帰って来てくれるよね?私が待ってるもの、お母さん。きっと…」

「…うん。信じて待ってたら、きっと…きっと、帰ってくるよ。」


 どことなく納得いかない気持ちを抱えながらもその場を離れた少女が閉められたガラス窓から月を見上げた時に、剣士がシーツを抱えて歩いてきた。彼女に軽く礼を告げ、シーツを受け取る。


 少女は長らく感じていなかった布の柔らかさに思わず微笑んだ。

「本当は枕も用意してやりたかったが、先客の方がもう使っていてな。」

 煙管を取り出して開けた窓から煙を吐きながら、剣士は此方を見る。

「帽子にも優しさはあるんだな」

『失礼な』

「いや、安心したんだ。…それと、明日は何処へ向かうんだ?」

 剣士の吐いた煙は白く細長い糸になり夜の空へと登っていく。もう年下の少女と道化師はシーツを被っているようで、盲目の男はどこかに席を外していた。

「明日も多分ここにいると思う。…そもそも、向かう場所が決まってなかったんだ。」

『城へ向かうにしても、こいつはまだ魔法の1つすら使えないからな。英雄様が聞いて呆れる』

 剣士は黙っていた。会った頃の記憶はまだ心に新しいが、それでも旅路を共にした3人は何年も前からお互いを知っていたかのように互いに安堵し、理解を示している。

「せっかく魔力付与を覚えたんだ、自分で使えるようにはなりたいよ」

「孤児院の誰かが知っているんじゃないか?私はからっきしだが。」

 煙の途絶えた煙管をしまい、剣士は窓を閉じる。

「夜も深くなる。そろそろ眠ろう。また明日話せばいい。だが君は…夜のお話が好きだったのだっけな」

「いや、大丈夫。僕もなんだか疲れたみたいなんだ。夢は見れないけど、少しだけでも目を閉じることにするよ」

『剣士殿も良い夜を』

「ああ、ありがとう。良い夜を」





 少女は、シーツを被ったがすぐに盲目の男がいなくなっていたことを思い出して起き上がった。今も部屋にいない男になにかあったのではと良からぬ不安を持った少女は外に出る。薄手の外套の裾がはためき、扉のすぐそばの影に男が座っているのが目に入った。

「ああ…お嬢さんか。眠れなくてね」

「月を見ていたんですか」

 男はため息を吐いた。

「そうとも。ずっと変わらない月を見ていたんだ。…ここは何も変わらない、ずっと晴れたままだ。月は雲に隠れるわけでも、満ち欠けがあるわけでもない」

「そうなんだ」

「お嬢さん、あの剣士さんの名前はなんていうんだい」

「アリアナさんのこと?あの人がなにか?」

「いや。ただ、あの人貴族だろう?

 見てわかるんだ。高貴な出で立ちっていうかさ…だから、なんというか、羨ましい。

 深海から太陽を拝むことができないように、俺も下品で低俗すぎる。だから、本当に上品で高貴な世界を知らないんだ。ぁあ…貴族は良いな…………」

 男は、静かに目を薄めて月を見上げていた。

「下品なんて、そんな」

 悲しそうにかぶりをふる少女に彼は歯を見せて笑い、感謝の言葉を告げる。

「そろそろ眠るとしようかね。こんな時間まで起きてたら王に怒られちまうよ」

 少女は男から悩ましい熱が消え去ったのを感じて心の奥底で安堵した。

 そうして就寝の挨拶を告げて部屋に戻りシーツにくるまると、静かに目を閉じた。










「……魔法?はは、お嬢さん。こんなボロ布を纏ったただのおっさんに魔法が使えると思うのかい」

「悪いな、お嬢さん。私は剣だけが取り柄でね…そこの帽子はどうなんだ?」

『私が使えるならとうの昔にコイツに教えているさ』


「………じゃあ、やっぱりあの人か…」





 少女は孤児院の屋根の上で足を組んで座っている道化師を下から見上げていた。道化師は少女に気づいてはいるようだった。

 霧の中、市街地の中心にそびえ立つ城を退屈そうに眺めていた道化師に、少女は僅かに躊躇いながら声をかけると彼はすぐさま顔を此方に向けて下へと降り立った。

「やぁ、どうしたんだい?孤児院の誰でもなくこのクラウに話しかけるなんて!でもそれが正しい道ならやっぱりアンタは昔からの勇者なんだろうね。クラウは好きだよ。ぁあ、クラウはいつもアンタのことが気に入っているよ。」

「おはよう、クラウ。…………その、魔法って使えるかな?よかったら僕に教えて欲しいんだけど」

「魔法?僕の炎の玉でもなんでもない、アンタに使える物…ぁあ、魔力付与の為の?そうか…そう、それは良いね。もちろん協力するよ。クラウはいつだって英雄さんの良い友人でいるよ」


 道化師は孤児院に入り、自分の部屋に少女を迎え入れた。孤児院のどの部屋より埃っぽく、滅多に使われてはいないだろうという事が伺えた。

 道化師は倒れた本棚に飛び乗り、その中から分厚い本を二冊取り出して少女に投げて寄越した。


「道化はおよそ万能なのさ。…と言っても、クラウも人に教えるなんて初めてだ!まずはこの本を読んで、色々とこう…………上手く、感じ取って覚えてくれ」

 肩を竦める道化師に礼を言い、少女は皆が集まる部屋に戻って本の1つを広げた。

 本は基礎的な事が並べられた簡易的な内容だったが、本を読むような経験の少なかった少女はそれを二冊読み終えるのに4度眠る程の時間を必要とした。

 剣士は時々、欠伸をしながら本のページをめくる少女に温めたココアを持って来てくれた。


 読み終えた本を道化師に返すと、彼は随分長かったねと一言ぼやいて立ち上がり、服の中から小さな皮の袋と刃の無い短剣を取り出した。

「ぇえ、ごほん。…それでは、只今から魔法の授業を始めるとします。準備はよろしいですね、レディ?」

 おどけて声色を変えながら話す道化師に少女は吹き出した。

「お願いしますわ、先生」




 道化師の教えは不真面目だが、飽き性の少女には親しみやすい物だった。知識を得るには時間が必要ではあったが、魔力付与や戦いのサポートに必要最低限の魔法を幅広く知る彼の授業は少女にとって良い経験に変わった。

「王城に伝わる宮廷魔術の世界ではね、まぁ見た目が派手な物が多いんだ」

 クラウが白魚のように透き通った細い手首をしならせて宙に指を滑らせ、唇でなにかの言葉を紡ぐと一瞬彼の指の先から青い閃光が迸った。

 少女は体を乗り出し、彼の指と顔を交互にまじまじと見つめると道化師は普段の嫌味に近い微笑を崩し自慢気に鼻を鳴らした。

「アンタも知っている通り、この世界で力を持つ者の象徴っていうのは炎だ。その光は大地を照らし、全ての根源にしてまた不浄なる熱の塊!そして我等を従えるのだ。王以外の全てをね。」

「じゃあ今クラウが使ったのは?」

「雷光ーーーあまり使う人間はいないね。炎とは根本的に違う、いや、相反する物かもしれないが基礎から何まで綺麗に学び方すら違えた物だ。

 光が闇になれぬように、雷光は雷光のままでは炎になれないし、炎もそうだ。炎はただあり続ける程にその力を知らしめるが、雷光は一瞬の輝きで全てを変える事を本質とする。」

「瞬発と継続?」

「ぁあ、そう!それだよそうとも、アンタは聡明なウィザードにだってなれそうだ。瞬発が雷光、継続が炎なんだよ。クラウが炎の玉を撃った時も一瞬だったろ?覚えているかい?アレは術の使い方が雷光寄りだったからなのだ」


 そう言ってクラウは器用に薬指をぐりんと回すと、青い雷光は空気を取り巻くように形を変え、そのまま静かに指の隙間から地面に溢れ落ちて火種のように燻った。


「なんで雷光は使う人が少ないのかな」

『炎のように永遠にこの繁栄を維持し、謳歌できるように。みたいな願いが王城にはあったらしいな。不可能な事だ』

「雷光は楽しいよ。カッコ良さはどちらも同じだけどね。バーン!ドゴーン!みたいな感じ」

 ゆっくりと光を失う魔法をしげしげと見つめながら少女は道化師の肩を掴んで揺らす。

「すごい。ね、僕にもできないかな?教えてくれよ」

「難しいけど、まぁ聡明なウィザードならなんとかなるだろう。炎より雷光がお好みかい?」

「とにかくカッコ良い奴がいい」

「ではとびっきり、英雄らしい大見栄を張れるようなヤツを教えよう!」



 それから孤児院の死者達が新しい住人に慣れ、冬を越えた頃、全く変わらず市街地には霧がかかり夜は月が輝くある日の事だ。

 少女が刃の無い短剣から剣に対して雷光を纏わせる姿を見た道化師は飛び上がって手を叩いた。それは少女が孤児院に来てから何度かクラウが喜ぶ度にしていた動きで、座る時に足を組むのと同じ彼の癖であるようだった。

「いいね!最高だ!正に魔力付与らしい最上級の魔力付与!アンタは英雄らしい!英雄がやって来たのだ!偉大な少女に栄光あれ!ハハハ!王城アヴィオールに栄光あれ!本当だ!もうアンタはこれで充分!」

「ありがとう、クラウ!」

 今までの努力を見てきた剣士と盲目の男も同じように少女を祝福した。

「良かったな。また英雄に一歩近づいたんだろ?」

「お嬢さんは今まで頑張っていたもんな。流石英雄さんだ」

 孤児院の庭で地面に絵を描いていた幼女に少女は微細な水滴の群れを呼び出してみせた。

「お姉ちゃん、やっぱり魔法使いさんだったんだ。綺麗だね、すごいねぇ」

「すごいでしょ、道化師のお兄ちゃんも使えるんだよ」





 少女が剣士に呼び出されたのはその日の夜の事だった。孤児院の木の床を軋ませて歩き、廊下の奥でアリアナは立ち止まった。

「えぇと、アリアナさん、なにかあったんでしょうか」

「お嬢さんはここに来て色んなことを知ったな」

 少女は眉を顰める。アリアナが窓を開けて煙管を取り出すのを眺めながら話の続きを待つ。

「元老院が私以外みんな声すら発さない死体になった事。聖騎士達が何をしたのか。王城の地下にいる光の娘の事」

「ここに来て、もう一ヶ月は経ったんだ。なんだかあっという間だった。アリアナさんやクラウにはいろんなことを教えて貰ったし…」

「聖騎士を殺してくれないか」

 窓から冷たい風が吹いた。剣士の顔は月の光を背にしていたからか、影でよく見えなかった。

 少女は困惑の色を露わにし、彼女の背後にある月に目を逸らす。


「聖騎士供に復讐してくれ。ここの人を守らなきゃいけない私の代わりに。身体を失い、力の無い私の代わりに」

 アリアナは窓から腕を出し、夜の闇の中の黒い影になった城を煙管で指し示した。



「頼むよ、英雄。奴等を根絶やしにして欲しいんだ」


 剣士の瞳は、どうしようもなく歪み、それでいて静かに少女を見据えていた。

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