第10話
「教会ってここかな」
『王城とその下に連なる市街地から暗き谷を挟んだ西側、旧市街の奥にある元老院の剣士達の土地。
常であればよそ者が入ることの許されない場だが、お前と剣士殿にとっては重要な場でもある。』
「誰かいるといいんだけど。すいません、誰かいらっしゃいますか」
「いるよ〜」
突然背後から聞こえた声に少女と帽子は息をつまらせ飛び上がった。背後を振り向くとそこには先ほどの道化師が立っている。
「アハハ!いや、突然いなくなったアンタ等を追っかけて来たんだけど、ここって教会だろ?」
『元老院の剣士を探しに来た。ただの道化に用があるわけじゃない、早く孤児院に戻ってくれ』
帽子の険しい目を軽く流し、教会の中に道化は
足を踏み入れた。慌てて少女も後を追い建物の扉をくぐる
美しい場所だった。まず、どこからともなく伸びてきた蔦が壁の殆どを這い回っており、その締めつけに耐えかねたようにできたひび割れの隙間には苔が生えていた。
石の床には孤児院と同じようにとろけた蝋燭が敷きつめられ、橙色の頼りない灯りが赤い敷物や壊れた教壇を下から照らしていた。崩れた屋根の隙間から白い光が、色とりどりのステンドグラスからは虹のような様々な光が教会の中に差し込み、中に進入してきた植物達を青々と輝かせるのだった。
「綺麗だね。道化師には縁の無い場所だけど、クラウが子供の頃ならきっと見惚れていたよ」
「人はいないのかな」
「どこかに逃げたとか?そうゆうのは帽子君の方が得意でしょ、ほらほら!お喋りだけがアンタの得意分野なんだろう?クラウは月の導きに従うよ。英雄の友達だからね」
道化師は崩れた建物の粉を被った蔦の葉に指で触れ、その粉を丁寧に払っているようだった。
帽子は居心地悪げに背を向けたが、暫くするとさも面倒くさそうにため息を吐いた。
『…無為な夜に悲観した剣士達は、真の眠りを手にする為に教会の地下に潜り、影になったという言い伝えがある』
「見て、教壇の裏の床に扉がある。…階段で地下に繋がってるみたいだ」
『地下には墓地があり、墓地があるならそこには、まぁ…死者がいるだろうな』
地面と向き合い、ただひたすら地下墓地の冷えた納骨用の部屋を黙って見て回る少女を見かねたように、火の玉を手の上で弄ぶのをやめた道化師が口を開いた。
「なんか話さないかい?」
それを聞いた帽子は無い筈の眉を顰めて道化師を睨みつけるが、少女も確かに沈黙には退屈していたようだった。顔を上げて道化師の整った横顔をしげしげと眺めながら適当に話題を見繕う。
「前から気になってたんだけど、その火の玉ってどうやって出しているの?」
「んん?番人はおよそ天才なのさ!これはアンタには使えない。でも英雄さんには英雄さんの力がある!道化師なんかよりよっぽど良い物を使える筈だよ。使えるんだ!その剣があればなんだってできる」
「それって、つまり、えぇと。…剣から火の玉が出せるとか?」
「アハハハハハハハ!!!!違う違う、剣に炎や雷撃を纏わせるんだ。
王の傍で道化師は仕えてたんだけど、クラウの見た英雄さんはみんなそうしてた。当時は魔力付与…エンチャントって呼んでたけど」
「待って」
「なんだい?」
「王の傍で?」
「王の傍で仕えてたよ」
『王に?』
「王に仕えていたよ!」
「会った事が…?」
「毎日顔を合わせていたよ!道化師だもの」
『……………………??』
「えぇ………」
「じゃあ英雄さんは王のことを知らないんだね?光の娘のことも?上に乗ってる帽子のことも知らないんだ!無知は良い、無知の知っていうのは道化が最も大切にする宝物でもあるよお!」
「光の娘?」
「王の大切な2人目の子!長女であり、アヴィオールの守り手だよ。可哀想な娘だ。
………遥か昔、魔女の呪いに対抗するべく、王城の人間は恐ろしい血族を呼び出したのさ。結果は失敗だったけどね。
暴走し、街を荒らす彼等の長を封じる為に王の娘が選ばれた!捕らえた血族の脳髄を彼女に啜らせてね。今も王城の地下で苦しんでいるって噂があるのだよ、英雄さん」
「へぇ………………」
「光の娘の力は素晴らしいよ。英雄に相応しい程に」
「………」
会話に返事を返さなくなった少女を道化師は足速に追い抜き、墓地の最も奥にある部屋を覗いて大きな声をあげた。
「空間の寒さや、夜の暗闇を手に取るような時間だったね!つまり無意味だ、虚無!
しかし英雄としての仕事は成したね、ぁあ、そうとも。…元老院に生き残りはたったの1人もいなかったと、あの剣士さんに報告できる!」
『あったのは心を失った亡者と死体の山だけだったな。一度孤児院に戻るとしようか』
肩を落とし入り口に戻ろうとする少女の背中に軽い衝撃が走った。直後、頭が地面に打ちつけられ、驚きながらも顔を上げると困惑した顔の道化師が突き出した手を申し訳なさそうに合わせているのが見えた。
「な、なんだ?」
「ごめんよ、いや…クラウは止めるつもりだったんだ。前に誰かいるって。でも間違えて背中を押して倒しちゃった。前にいるよくわからない何かにも気づかれた」
道化師の指し示す方に立ち上がりながら視線をやると、確かに闇の中に蠢く物を少女は見た。
「クロ坊が言ってた影?元が元老院の人ならアリアナさんの所まで連れて行けないかな」
『どう見ても化物だろう、ただし影は斬る事ができないが』
「剣使えないじゃないか」
『一応念の為に言っておくが』
帽子は何度目かの深いため息を吐いた。
『あの道化師が勝手に口を出さなければ私が教えていた筈なんだ。聞いただろう、魔力付与だよ』
「でもやり方がわからない」
『儀式のような物を行えば息をするのと同じようにできるようになる。魔法のひとつは使えるだろう、英雄?』
「使えないよ」
『ん?』
「いや、だって元は盗人だよ…?魔法なんて」
『…………』
2人の沈黙と距離を狭めてくる影に業を煮やしたのか、道化師は少女の腕を掴み帽子と視線を合わせながら早口に語りかける。
「要するに剣に纏わせる魔力が必要なんだよね?笑い者の炎を使うといい!王様から賜った極上の熱と光の奇跡だよ。というかクラウがアレ全部片付けちゃ駄目かな?」
『愚鈍な道化め、こんな場所で炎の玉なんぞ放ったらこっちまで丸焦げだ。…お嬢さん、目を閉じろ。戦う為の力が欲しいだろう』
「う、うん」
『月の導きは、たとえかの者に打ち棄てられたとしても認めよう。貴殿は英雄だ、私の唯一たる主よ。一つの警句を忘れる事なかれ、深きを見る為に狂気を恐れるな、と。
さぁ、剣を出し眼前の炎に翳すが良い。お前は選ばれた。英雄の選定は我が主を指し示した。』
「特に何も変わってないけど…」
『いいからさっさと剣を出せ』
少女はゆっくりと道化師が持つ炎の中に剣を差し入れた。剣に纏わりつくように燃え上がる炎は次第に強く激しくなり、柄をかたく握り締めた手に痺れに似たような冷ややかな冷気が流れこんで来るのを少女は目を閉じて静かに感じとった。
じわじわと身体に染み渡っていく清涼な風は、腕の骨から助骨へ、そして身体中を満たし、最後は脳の奥深くまで氷塊を詰めたような感覚を彼女にもたらした。
『斬るべき敵は眼前だ。最早憐れな怪物と化した友に救済の手を、英雄よ』
目を見開き、剣を掴んだまま静かに影を見据える。先程まで炎に当てていたとは思えない、鉄の剣の冷ややかな刃に青白い指を滑らせると、その刃に撫で付けられた白い脂の跡から赤々とした炎が剣を守るように燃え上がった。
昔、湖の底で騎士を倒した時のように、強く剣を握った手を振り上げ一閃する。
影は黒い靄のような物が人の形を成していたが、剣に纏われた炎にその身体を裂かれると白い光の粒子になって消えた。
「あっちが出口だね。さぁ早く孤児院に戻ろう、みんな待ってるよお!剣士さんもきっと英雄さんの報告を首を長くして待ってる筈だ。もうキリンになってたりして!アハハハハハハ!」
「うるさい」
『うるさい』
少女が帰路に着くのはこれが初めての事だった。誰かが待つ家へ向かう。
その事実は新たな力と供に少女の胸に暖かい希望の光を灯した。それでも道行く途中で出会い、助けるには遅かった孤児院の幼女の母親の事を思うとやはり彼女の胸は鈍く痛みが走るのだった。
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