第三章 コフィンの孤児院

第8話



「…………ここが」

「ぁあ。王城アヴィオールと、その下に連なる私達の故郷。暗い城壁の中へようこそ、未来の大英雄と月の導きよ」


 市街地は薄暗く、乾いた風と血の匂いが少女の頬を撫でた。

 狭い路地を通り、殺風景な建物の間を縫うように進むと途中で剣士が脚を止めた。唐突に目の前を歩く背中が止まったので少女はそのまま剣士の背中にぶつかりそうになったが、なんとか留まり彼女の背から首を出して進路の方向を眺めた。


「お嬢さんは知らないだろうがね」

 突然アリアナは口を開いた。

「市街地にも呪いを受けた人は沢山いたんだ。そして彼等の殆どは私のような運の良い人間を残して発狂してしまった。…………彼等は、一度心を無くせば血族や化け物と同じだ」


 ふと、路地の向こうに建物とは明らかに違う色をした何かが蠢いているのが見えた。

 少女の目に映ったのはほんの一部だったが、剣士の話を聞きながら視界に入れたそれに一瞬彼女は思考することすら忘れた。


 一度、震えるように深く息を吸い込み、乾いたような声を上げる。

「じゃあ、じゃあ」

 言葉は喉の途中に引っかかり、上手く出てこなかった。それでも、見てわかる程に青ざめた顔で少女は道の先の人の山を見あげていた。

「あれは」

 目を離すことのできない少女に、剣士は冷やかな声で応えた。その淡々とした声色には諦めの感情が読み取れるようだった。

「わかっているだろ

 ………………心を喪った亡者達だ」



 大量の腕と脚と顔の塊が此方に向かってゆっくりと動いてくるのが見えた。

「逃げよう」

 足が竦むような、骨の芯から昇り来る震えを無視して少女は咄嗟に化け物の反対方向に走り出した。剣士も後を追い走ってくるのがわかった。

 息が切れ、僅かに脚がもつれるが剣士に腕を掴まれ体勢をなんとか立て直す。硬い煉瓦の地面を蹴って走り、路地を曲がると横の壁に目玉が浮き出るのを視界の端に捉えた。

 背中を血の詰まった爪が掠める。


 心臓の竦みあがるような感覚に少女は堪らず悲鳴をあげる。剣士は首筋から汗を流し唇を強く噛んでいるようで、その瞳孔は僅かに震えていた。





 薄暗い路地を走り抜けた瞬間、突然2人の視界に鮮やかな色が飛び込んできた。

 最初は面食らった少女だったが、首を振り目の焦点を合わせると、それが道化師の服であることがわかった。


 困惑する少女と剣士をよそに、服の主人はさも楽しそうに彼女達の背後に迫り来る怪物に赤々と輝く炎の玉をひとつ投げつける。

 瞬間、2人の背後で大きく炎が膨れ上がり、それは膨大な熱量と共に衝撃波に近い風となって彼女達の背中を激しく押した。

「あはは、市街地の番人がやって来た!!!!さぁアンタ等も愚図愚図するんじゃない、そんなんじゃすぐに亡者に八つ裂きにされちまう!!………………走るんだ!」


 それが自分達に向けられた言葉だと理解した2人は既に遠くへ移動している声の主の方へ走り、一時の恩人と合流した。

 口元を引きつらせ、今にも笑い出しそうな道化師の青年がそこに立っていた。火の玉を片手に掲げながら、おかしな体勢でふらついてはいるが、白塗りの化粧を落とせばかなり整った美形であることを思わせる顔立ちだった。

 長い睫毛に縁取られた大きな目は、腰まで届く長い髪と同じ深い瑠璃色だった。




「これはこれは…!女性が2人!ふたり?、2人もいるのか、なぁ、こんな場所は危ないだろう!!?」

 青年は色鮮やかな服に先の反った木靴と道化の帽子を身に付けているようで、仰け反り、おぼつかない足取りのままバランスをとる姿は異様の一言に尽きた。

 道化は怪訝な表情を浮かべる皆を笑顔で見回しながら辺りをぐるぐると歩き回る。


「まぁ、今は皆生きてる!そうだろ?あとはそうだ、もしアンタ等にまだマトモな意思が残ってるなら訪ねるべきはコフィンの孤児院だろうよ、そうだ、そうだとも!!なんてったって孤児院には街の生き残りが集まってるんだからね!

 それにアンタ、そうそこのアンタだよ!アンタは元老院の剣士だろう?ならクラウはお前の事を気に入っているよ、みんなだってきっと嫌がりはしないだろう。」

 朗々と言葉をまくし立てる、クラウと名乗る青年に半分気圧されながらも帽子は口を開いた。


『ええと、道化師。お前はその………突然現れたし、なんだ。見るからに怪しいんだが』


 帽子の声に僅かに面食らったような道化だったが、すぐに調子を取り戻したのか彼は手を振り上げておどけてみせる。

「おお!憐れなクラウを信用しないのかい?クラウはただの番人さ。それに、アンタのいうとおり俺はただの道化。笑い者さ。それにまた孤児院がにぎやかになる!クラウは本当に嬉しいんだ!」


 少女は困惑を露わにしながら剣士の方に向き直った。帽子を片手で抑えながら、もう片方の手は白くなる程に強く剣を握りしめている。

「どうしよう」

「少なくともこのままなら私達は死ぬだろうな」

「………仕方ないか。道化師、お前に僕たちはついていくよ。孤児院まで案内してくれ」



 少女の言葉に道化師はもんどりうって笑う。

「ありがとう!ああぁ、ありがとう!アンタ等はしあわせ者だ!それに…すごく優しい!」


 少女達は小さく頷き、道化師の辿る道を沿うように走り出した。

 化け物はその肉の塊と人の部位で構成された身体を百足の脚のように様々に動かし、のたのたと地面を這っていたが、結局少女達は肉塊が視界の外に消えるまで走り、逃げきったようだった。その大量の顔が彼女達から視線を外す事は一度もなかったが。







 道化師が歩みを止めたので少女達はその視線の向かう先を同じように見やった。そこには寂れた赤い屋根の建物があり、大きな扉の傍に灯る蝋燭の灯りに少女はほっとした。

「さぁ、ここが俺とアンタ等の孤児院だ!それに、みんなの孤児院でもある…亡者供は入れてやらないけどね!笑い者のクラウは顎がない亡者が苦手だよ。顎がなきゃ“笑えない”からね!アハハハハハハ!」


『うるさい』

「うるさい」

 少女と帽子の言葉に道化は頭を抱えて目元を拭う仕草をした。

「ぉお…………………かなしいよ……」





 重い木の扉を開き、孤児院に入ると中には少女達を除き2人の人間がいるようだった。

 少女は椅子に膝を抱えて座る自分より遙かに幼い幼女を目に止め、帽子に話しかけた。

「見てクロ坊、小さな女の子がいる」

『まだ子供だというのに、死者の呪いにかかったな。苦労が多かっただろう』

 幼女は2人の会話に気づき、くりくりとした茶色の目を丸めて此方を見やった。

「…喋る、帽子さん?………話す帽子なんて初めて見た。でも、なんだか懐かしい声。もしかして、城壁の中の人?」

『私は城壁の外から来たんだ』

「………もしかして、魔法使いの帽子さんなのかな?おとぎ話みたい。素敵だね」


 少女は笑顔になった彼女に向けて自慢げに鼻を鳴らす。

「いいでしょ。あげないからな」

『この下のは精神年齢が子供以下の私の主だ。よろしく頼む』

「…じゃあ、魔法使いさん?」



「英雄だよ」

『お前………………』

「なんだよ」


「英雄さん、強いの?…孤児院の中まで来れたもんね。また外に出るの?」

「うん。永遠にここにはいられないし」


 幼女はそこに来て、初めて戸惑いの色を見せた。が、すぐに少女の目を見据え、悲しげに眉を寄せて控えめな声を漏らした。

「…なら、お願いがあるの。お母さんを探してきてくれないかな。お兄さんを探して、外に出かけて、ずっと戻ってこないから…」

『母親探しか。』

「もちろん!探すよ、英雄は子供の味方だからね」

「うん…うん、本当?ありがとう…!

 お母さん、ちょっとドジなんだ。お兄さんは呪いにかからなくて、もう死んじゃったのに…

 綺麗な黒いドレスを着ててね、蝶々の髪留めをつけてるからすぐにわかるよ。お願いね」


 花が咲くように明るく笑う彼女に少女は目を見張り、そしてすぐに大人の微笑を繕って自信有り気に幼女を励ました。

「………きっと、きっと見つけるよ!迷子になってるだけなんだよ」

『おい…』

「大丈夫だよ、僕はなんてったって英雄だからね」

『……』


「えへへ………あ、そうだ。あのね、大きな机の隣におじさんが座ってるでしょ?英雄さん、あの人目が見えないんだって。もしお薬を持ってたら助けてあげてね」

「うん、うん。まだ目を治す薬はないけど、見つけたら必ず渡すよ」

「ありがとう」




「いい事をした後は気分がいいな。きっとお母さんを見つけてあげよう、クロ坊」

『…………なぁ、英雄志望』

「ん、どうした?」

『いや……できるかどうかわからない事を安請け合いするのはやめた方がいいんじゃないか』

「いやいや、すぐに見つかるって。クロ坊も案内してくれるし」

 帽子は返事を返すことはなかったが、少女は人のいる場に安堵しているのかそれに気づかず、そのまま盲目の男の傍に歩いていった。


 盲目の男は、少女が近づいたのに気づいたのか静かに顔を上げた。黒く薄汚れたコートに泥だらけの身体は清潔感に欠け、乞食のようにも見えた。

「………………月の匂いがするな」

「孤児院の生き残りの方…ですか?」

「…外から来たのかい?そりゃあ凄い……匂いがきつくてね。だが、僅かに見えるよ。お嬢さんか」

『すぐにここを発つがな。外を見て戻ってくる、一応剣の扱いはコイツも長けている』

「…これは、驚いたよ」

 少女の頭上からの声に男は一瞬体を固めた。が咳払いをひとつしてからは先程と同じ調子で彼女に笑いかける。

「…ぁあ、そうだな。亡者を殺した事のある人間と…月の帽子か?じゃあ、お嬢さんは英雄だ…」

「えっ」

「当たり前だろう」

 盲目の男は乾いた笑い声を咳き込むようにこぼした。

「人語を解する帽子を持った少女なんて、まるでおとぎ話の英雄のようじゃあないかね」

 男の言葉に少女は頬を林檎のように赤く染めて歓喜した。頭上の帽子のつばを引っ張り、照れながらも口元を緩ませる。帽子はそれが気に食わないのか視線を埃の舞う宙に向けたようだった

「あ、ありがとう…!」

「なに、頑張れよ」






 孤児院の扉を開き、外に出ると剣士が漆喰の壁に寄りかかっていた。少女が通り過ぎようとすると顔を上げ、もう聞き慣れた凛とした声をかけてきた。

「ん、なんだ、もう出るのか」

「うん。あの子のお母さんを探さなきゃいけないから」

 僅かに孤児院の中を振り返る少女にアリアナはそれ以上深くは追求しないようだった。

「そうか。…市街地を見てまわるなら、ついでに旧市街地の教会を見て来てくれないか?元老院の仲間が生きているなら、ここに連れて来て欲しいんだ」

「アリアナさんは?」

「残って住人達を守らないと。外は亡者と化け物が蔓延ってる、いつ孤児院に敵が来るかもわからない」

「わかった。すぐに戻ってくるね!」


 一拍おいて、剣士は顔を僅かに歪めて少女に小声で耳打ちした。

「…そういえば、あの道化はどうした?」

「そういえば見てないな。…トイレとかかな」

「怪しい奴だ。気をつけろよお嬢さん」

「わかったよ、アリアナさん」












『また2人旅か』

「ちょっと落ち着くかもね」

『はは、油断してるとすぐ死ぬぞ』


 帽子の言葉に、少女は大きなため息で返す。

 市街地は暗い。帽子を深く被り直し、落ち着いた足取りで少女は歩き出した。







 ーーーまるで、知った道を歩くように。

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