第3話


『もう朝だ』

「わかってるよ…………今日はどこに行こうか。剣はあるし、道は宝箱を置いて行き止まりだった。引き返して別れ道の方に進もうか」

『わかっているなら早く進め、私もずっとこの景色を見続けるのは飽きたんだ』






「湖?」


 少女が下を覗き込むと、成る程確かに崖の下には濁った水が溜まった湖のような景色が広がっている。

「ここは?」

『狗を隠す為の場所だ、お嬢さん。』


 帽子も少女の頭からやや身を乗り出し、眼下の湖を覗き込み言葉を続ける。


『隠された物には魅力がある。それが神秘と狂気に包まれていれば尚更な』

「狗ってなんだ?」

『見に行けばいい。百聞は一見にしかず、という言葉を知っているだろ?』


 見に行くって?と眉を顰める少女を意地の悪い目付きで見下ろし、帽子は少女の頭の上でもぞもぞと位置を変える。


『ぁあ、こうゆう事だ』

「……?って、ちょ、痛い!!痛い痛い痛い噛まないでっ……………………危なっ、落ち……………………!!!!!!」


 頭にかじりつく帽子を引き剥がそうと暴れた少女はバランスを崩し、そのまま崖から湖に落ちていく。

 眼前に濁った水が迫り、風が頰を撫でる。

 帽子が剥がれないように手で抑えながらも恐怖のあまり目を閉じた少女とは裏腹に、帽子は赤い目を静かに水面に向けていた。


『言い忘れていたが…………秘密には、必ずそれを隠す物が付き纏う。その《秘密》が甘美で、魅力的なら尚更』


 激しい水音の後、少女はぬかるんだ泥に叩きつけられた。


「………………………………ここは?」

『狗の隠し場所。水面が出入り口の異空間かなにかだと思えばいい。

 …ここにはそれがいる、醜く、悍ましい、憐れな者がいる。』

「化物なのか?」

『狗は狗だ。王にすら見棄てられた惨めな狗。英雄様に殺して戴ければさぞや喜ぶだろう』


《英雄》の言葉に目を輝かせる少女。生温い風が吹き、泥と霧だけの空間が僅かに晴れる。


『お前は英雄になりたいんだろ?』

「…ぁあそうだ、僕は英雄だ。英雄になるんだ。その為なら良く分からない狗とやらも殺してやる。狗を殺せば英雄か?」

『少しは英雄に近づくだろうな』

「なら戦う理由はそれだけで充分だ」


 霧の向こうから人影が歩いてくるのが見える。少女は帽子を被り直し、人影を眺めて剣を抜く

「狗ってあれのことか?」

『いや…あれは隠す為の駒だな。英雄なら一撃で倒せるような雑兵だが』


 少女は僅かに霧から現れた騎士にたじろぐが、すぐさま縦に剣を凪ぎ敵を両断する。

「隠すには役不足なんじゃないか」と少し笑って帽子に尋ねようとした…………が、それは霧から現れた五つの陰に塞がれた。


『説明に足りない所があったな。雑兵ども、だ。』

「面倒だな…」


 1人の時と同じように、五回剣を振り下ろす。騎士達は消え、更に霧から8つの影が現れる。


「…なぁ、これって何人倒せばいいんだ……………………?」

『倒せるだけ倒せばそのうち湧かなくなるだろ』

「……夢なら覚めて欲しい」


 そう言いながらも敵を斬る手は止める事が無い。

『斬ればいい。』

 頭上の声に従い、操り人形のように剣をふるい続ける。


 身体に僅かに、だが何度も何度も受けた切り傷が流れた血で固まり、泥でそれが剥がれてまた血が流れ、そんな見るに耐えない傷の転化が続く。それでも少女は目の前の敵を斬る。

 斬って、斬って、斬って………………………………

 最早少女も何人斬ったのかわからなくなった頃。


 ふと、霧からの人影が止んだ。


「………………………………」

『終わったみたいだな』

「…………」

『随分とお疲れのようだが、狗のお出ましだぞ。剣を以ってして迎えてやったらどうだ』


「…………狗の事忘れてた…」

『それでも英雄かよぉ!』

「で、アレが狗か」

『あぁ』


「……………………狗ってなんだ?」

 少女は、這いずり、手を伸ばしてくるそれを見下ろす。畏怖と、恐怖を交えた感情が瞳の奥で揺れているが、それは帽子に隠れて見えることは無い。

『狗は狗だ。ほら、殺してやれ。死にたがってる』


「う……………………」

 吐き気を催しながらも剣についた血を指で拭う。手に新たな傷がついたが、そんなことは気にも止めない。ただ、この状況を受け入れる為に、立ち竦むことを止めたかった。

 帽子は談る。


『漁村の者達は、奇形児を偶然にも人から生まれてしまった《狗》として扱うらしいな。

 それが狗なら、狗の在るべき所に還してやるべきだ。それにふさわしい所に。

 彼等は狗を、本来の棲家である湖に還してやる』


 少女は剣を這いずるそれに向かって刺す。


『安心しろ、お前が殺したのは人じゃない。本物の狗だ、お前は英雄らしく振舞った』


 痙攣する狗に更に剣を突き刺す。


『狗は狗だ。《還された》者達によって産まれた者。死を望まれ、王から見棄てられた』


 動かなくなった狗に剣を振り上げる。


『可哀想な狗。それを救ってやったお前は英雄だ』


 剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。剣を。

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