海の夢のカーペット

白神護

海の夢のカーペット

 Sという友人が、よくカーペットの自慢話をする。彼の話によると、そのカーペットは深い藍色で、肌触りが最高で、ひとたびごろっと仰向けに寝転がると、ひと眠りしなければ、身体を起こす気にならないくらい、寝心地が良いらしい。


 お酒を飲むと、Sは必ずこの話を持ち出して、うっとりと、まるで最高の良妻について惚気るみたいな風情で、カーペットについて延々と喋り続ける。周囲の人間の反応はまちまちで、茶化したり、呆れたり、気味悪がったり、興味深げにしていたり。


 私はもう何度もこの話を聞かされて飽き飽きしているので、Sがこの話を切り出すと、丸皿によそわれた唐揚げを観察して時間を潰すように心掛けていた。そのくらい、Sのカーペット自慢にはうんざりしていた。


 その日も、Sのカーペットの話は始まった。私はぼんやりと唐揚げの衣を見つめた。しかし、不意に肩を揺すられ、意識を現実に引き戻した。すぐ傍に、Sの、いつもとは明らかに違った、怯えた表情が詰め寄ってきていた。


「聞いてくれッ」


 頬を酒精で赤らめて、Sは必死にそう訴えた。私はSの勢いに慄いて、おずおずと首肯した。




 つい先日の、日曜日のことだ。Sは文庫本を片手に、例のカーペットに寝転んだ。相変わらず藍色のカーペットの具合は良く、碌に本を読み進めることも出来ずに、Sはぐっすりと寝入ってしまった。


 どれほど経ってか、息苦しさで目が覚めた。突飛な話だが、Sの身体は海の底へと沈みつつあった。水面は既に遥か遠く、口からはごぼごぼと空気の塊が逃げていき、代わりに、海水がどぼどぼと胃の中へ流れ込んでくる。


 Sは半狂乱で海水を掻き分けたが、ちっとも身体が浮く気配はない。どころか、急速に沈んでいく気配すら感じた。Sは絶望的な思いを抱え、水面で揺らめく太陽を見上げた。




 ふと気がつくと、太陽だったはずのものはただの照明に変わっており、Sは藍色のカーペットの上に寝転んでいた。シャツも下着も、短パンさえも汗に濡れて、まるで本当に海に潜ったあとのようにびしょびしょだった――。

 ――らしい。


「よくある夢じゃん」


 私は言った。Sは即座に反論した。


「もう、三度目なんだ! ここ三回、ずっと……。しかも、段々、深くなってる気がして……」


 酒に溺れて、Sはもうふにゃふにゃになっていた。鼻水を垂らしながらテーブルに突っ伏し、聞き取れない小さな呟きを何度も繰り返している。

 私はいたたまれない思いがして、Sにこう進言した。


「もしかしたら、なにかの病気かもよ? いびきの原因が脳卒中って話もあるし、なんか、寝てる時に息苦しいって、相当やばそうじゃん」


 Sは私の意見に興味を持ったらしく、鎌首をもたげるようにして、少しだけ、のっそりと顔をあげた。


「念の為、病院に行ってみろよ。何もないって言われたら、それはそれで安心だろ?」


 Sは私の意見を心の中で何度か反芻しているらしく、ジョッキの底の僅かなビールをゆらゆらと波立たせ、暫くして、得心のいった顔で大きく頷いた。


「おう……。だな! ありがとな! 今度、行ってみるぜ!」


 笑顔満面のSと気を取り直して飲み直し、その日はお互い笑顔で別れた。




 後日、Sから連絡があった。


 結局、脳や身体に異常は見つからなかったらしく、その上、四度目の海の夢を見たという。


 目が覚めてすぐ、Sは藍色のカーペットを処分し、そのおかげか、以来、五度目の夢はまだ見ていないらしい。


 最後に私は、カーペットの出所をSに尋ねた。


『よく おぼえてない』


 Sから送られてきたラインの文面を読んだとき、私はなんとも、肩透かしを喰らったような気持ちになって、小さく、溜息を吐いた。

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海の夢のカーペット 白神護 @shirakami

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