平凡な一日のありがたさ

一日が終わり、「今日はとくに大したこともなかったなぁ。ちぇっ、冴えねーの・・・」と以前なら不満に思ったかもしれないけれど、この頃はちょっと違うのです。

「平凡な一日」って、実は大したものなのです。

自慢するわけではありませぬが、脳出血で一週間強制入院させられて、点滴につながれて身動きもままならなかったときのことを思えば、

「自分の足で歩いて移動出来ること」「青空の下、外の空気を呼吸出来ること」「あんぱんでも羊羹でも、好きに間食出来ること」「好きな映画のDVDを借りて観られること」これらのことが出来るだけでも、実に大したことなんだと思えるのだから凄いでしょ。笑

 【涙とともにパンを食べた人でなくては、人生の味はわからない】というゲーテの 言葉がありますが、大きな病気や入院を経験した人は、健康そのものの人に比べて、平凡な一日の価値や有り難さというものが、よりよくわかるようになるんじゃないかと思うのです。

 ただ、同じ平凡な一日でも、「丁寧に生きる」か「いい加減に生きる」かで、ありがた味も全然違ってくるそうです。

なるほどなぁと思いつつ、今度は「じゃあ、丁寧に生きるってのは、具体的にどういうことだろう?」と自問し始める自分がいます。

うーむ、なんだか「悟り」をめざす修行僧みたくなってきたぞ 笑

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