人は自慢する生き物である。

人はどうして自慢したがるのだろ う? ほめられたい、認められたいという気持ちが誰にでもあるからだろうか。

でも、めったに自慢話しない人の話なら聞きたいと思うが、すぐにしゃしゃり出てきて得々と自慢話を始める人には「またか」とうんざりしてしまうものだ。

 本当に自信のある人はわざわざ自慢なんかしないもんなんですけどね。

それにしても自慢話のネタは尽きることがない。

「うちの子どもは成績がいい。」「最新型のスマホを買った」「腕立て伏せが100回出来る」「うちの妻は料理がうまい」などなど。

 自慢出来るいいことがとくにない人は、なんと自分の不幸や欠点、恥ずかしいことまで自慢のタネにしてしまうからスゴイ。笑

「俺は胃カメラ飲むのはもう5回目だぞ。」「おれは今年だけでネズミ捕りにも う3回もやられちまっただ。すごいだろ」「私なんか電車で痴漢にあうのがもう4回目よ。ほんと魅力的って罪なことね」「おれの屁の臭さの破壊力はすごいぞ。車の中でしたら、自分の屁の臭ささに死ぬところだった」などなど・・・。

 そしてどちらかというと、後者のマイナスなことを自慢する話の方が聞いていて圧倒的に面白い。なぜだろう?

  考えるに「逆転の発想」というか「ひらきなおり」というか、自分の失敗を恥ずかしいから隠そうとせず、素直に認めてしまい、それを逆に笑い飛ばしてやろうという精神的なたくましさを感じるからではあるまいか。

 実は、私だってその気になれば自慢出来ることのひとつや二つすぐひねり出せるぞ。

まだ小学校にもあがらない小さい頃、私は田んぼ の小さな水路を「エイヤッ」と跳び越えて、体のバランスを支えようと両手をべたっと草の上についた。

その時に悲劇は起きた。

手をついた場所はやわらかな緑の草の上・・・ではなく、なんと草の上に出来立てのやわらかな牛のべった(私の生まれ故郷、青森県では牛の糞のことをべったと呼ぶ)があり、そのどまんなかに、私は小さな手をふたつともベタッと突っ込んでしまったのだ。

 このときの幼い私の驚愕を思い計って欲しい。

 泣こうかと一瞬考えたが、泣くにしてはべつに痛くないので変だし、周りに誰もいないので泣いても意味がない。

 結局私は、牛の糞まみれの両手を前に突き出したまま、母ちゃんがいるわが家まで走って帰るしかなかった。

ゾンビのように手を前に突き出して 駆け寄ってくるわが子を見て、母は何を思ったろうか。

 私はこの日、「世界は油断ならない、何が起きるかわからない」ということを身をもって学んだのであった。

 という具合に、恥ずかしい出来事もひらきなおってしまえば自慢話になる(そんなもん自慢すなっ! と言われそうだが 笑) 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る