Epilogue "Naa'ra fon hata"

#174 最初

――インド国タミル・ナードゥ州チェンナイ


 夜の海に月の光が眩しく写って居る。ここマリーナビーチは普通ならこの時間は人で埋め尽くされ、屋台や出店に人が集まっているはずだったが、今はそうではなかった。

 短髪の男性二人を除いて、その砂浜に人は居なかった。一人は褐色の肌で、黒いコート、目から光が消えている青年で、もう片方は年が同じくらいのおとなしそうな青年だ。


「もう潮時じゃないか、全てが壊れたし、全てが曲がった。」

「そうかあ?浅上、もう少し待ってても良いんじゃないのか?」


 喧騒のない海辺からは打ち寄せる波の音しか聞こえてこない。浅上と呼ばれた褐色の肌の青年は、潮風に黒いコートをなびかせながら叱責するような口調であった。


「夕張悠里、いい加減にしろ。」


 夕張と呼ばれたおとなしそうな青年は肩をすくめる。浅上はそれを嫌そうに睨みつけた。


「位相空間の技術は非常に繊細なもので、この世界の本質的なものだ。おかしくなったあの世界でこれ以上可能性の壺をかき混ぜる人間は必要ない。」

「ならなんで惑星ごと破壊しないんだい?」


 夕張はしゃがんで、砂浜の砂に手を触れていた。浅上からは表情は見えていなかった。


「お前には関係ないだろ。あのガキは殺す、さもなければこのマリーナ・ビーチ以上の何かが起こることになるぞ。新しい世界を作り上げるために自らの安住の地まで消し飛ばすつもりか。」

「君の本来の目的はそこじゃないだろ、といいたいんだよ。」


 掴んだ砂を海に向けて捨てるようにして投げる。夕張は眉間を寄せながら浅上の方を見た。


「地球関係の位相空間の安定は既に証明済み。マリーナビーチから人を消したのは君の演出だろ?君が彼を殺す本来の目的は復讐だ。彼は十分立派な英雄となったじゃないか。僕のところにが迎え入れてあげれば、計画に十分役立つ。それ以上でも、それ以下でもないだろう?」

「……。」


 二人の間に流れる静寂にマリーナビーチに打ち付ける波の音と潮風の音がノイズのように聞こえた。なんとも言いようのない緊張感で一杯だったが、二人はお互いを視線から逃さなかった。

 浅上が目を逸らすと後ろから野戦迷彩姿の数人の民兵じみた兵士たちが現れた。小銃の銃口は夕張に向けられていた。


「こんな平和なところに民兵が居るとはね。」

"வாயை மூடு!!"


 民兵のうちの一人が牽制するように叫ぶ。浅上は全く状況を面白く思わない顔でこの様子を見ていた。


「内戦から数年経ったが、プリガルは消えたわけじゃない。生き延びて復讐を心に留めている人間も居る。そういうルートさ。」

「虎か、面白い。」


 そう言いながら、夕張は消え去った。歩いてその場を去ったという意味ではなく、一瞬で目の前から去ったという意味で。そして、その瞬間民兵たちは皆喀血して砂浜に突っ伏していった。誰一人再起できるものは居なかった。

 浅上は焦っていた。奴ならこの一瞬で自分の隙を見計らい一撃を加えようとするはずであった。それなのに攻撃してこないのは何らかの方策があってのことだろう。そう思って攻撃を警戒して後ろを振り向いたときであった。目と鼻の先、触れ合うほどの距離で夕張はこちらを見ていた。


「君はここでは殺さないよ。どうせ翠君らがめちゃくちゃになるんだったら、チェスのコマみたいに遊ぶのもいいと思ってね。アデュー、浅上君。ファイクレオネでまた会おう。」


 そう言い残して夕張はその場から消え去った。

 あとに残るのは兵士たちのうめき声と波のさざめき、海から吹く風の音だけだった。

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