#149 無意味な授業


"Alsastiみんな, salaruaおはよう."


 彼に向かって"salarua"と唱和する声が教室に響く。ただその唱和に加わらなかった生徒も居た。翠から見て前方に座る帯刀少女――インファーニア・ド・ア・スキュリオーティエ・インリニアがクラスの中で唯一欠席していたのであった。

  教壇に立つのは銀色に輝く髪と青の目を持つ若い教師だった。クリップボードを持って生徒を確認しながら何かを紙に書き入れている。教師はその空席を見ながら、不思議そうな表情をしていた。


"Edixa Skurlavenijaスクーラヴェニヤ.infarnaijaインファーナイヤさん xici…… sietalin…… fal sysnul今日は."


 インリニアの席を指さして、点呼する教師は言った。多分、主動詞っぽい"sietalinズィェタリン"は「欠席する」ということを表すのだろう。名前が違うのが気になるが、彼女の母語とリパライン語では名前の言い方が結構変わったりするのかもしれない。ジョンという英語名もジャン、ヨハネス、フアン、ジョヴァンニ、ジョアン、イヴァン、ヤン、というように様々な言語に対応する名前があるようにインリニアの母語ではインファーニアとスキュリオーティエというところをリパライン語では、インファーナイヤとスクーラヴェニヤと言っているのかもしれない。


 彼女は無断欠席ではなくどうやらなにか理由があって欠席しているようだった。それでも教室の生徒たちはズルして休んだのではないかと言わんばかりにざわついた。しかしそれも、教師が手を叩くとすぐに静かになった。

 生徒が教師に注目していると教師はチョークをとって、黒板に向かった。リパーシェ文字が流れるように書かれる。


(今日も授業の内容は良くわからないんだろうな)


 ユミリアが言った通り、勉強するということは大切なことだ。地球での、日本での常識が通用すると思ったら大間違いで、この世界の常識を理解するためには少なくともこの世界の歴史を学ぶ必要があるのはよく分かる。

 だが、言葉の習得が完璧にできていない人たちに母語話者と同レベルの授業をしても効果的とは思えない。現に翠自身は学校に行きながら、その内容を完璧に理解できているわけではない。カリアホのように命からがら逃げてきてすぐに言語習得が出来るような頭のいい人間ばかりではない。

 そんなことを思いながら、ノートを取っていると隣の席の人がペンを落としたのが見えた。


"Arあー, cene co icveそれを l'unses fgir……出来る?"

"icve l'unsesイスヴェ ルンゼス?"


 拾おうとも微妙な距離で拾うべきか決めかねていたが、そのクラスメイトがどうしてほしいか言ってくれたのは幸いだった。しかし、その単語の多くが分からないので馬鹿の一つ覚えのように知らない言葉を繰り返していた。彼は仕方がないという表情で頭を掻きながら、落としたペンを指さした。拾って努めて笑顔でペンを渡した。


"Xace.ありがとう"

"Als es nivどういたしまして."


 隣に座る生徒はペンを受け取ると返礼のように素朴な笑顔を返してくれた。気まずい雰囲気にならなくて良かったことは良かったが、その間にも授業は進行している。ノートに書き写した続きは黒板から消え去っていて、すでに次の内容が書かれている。


(ネイティブと同じ速さでノートを取ること自体無理があるんだよなあ。)


 授業は母語話者基準で進んでいる。それは当然だが、言語がある程度分かるようになった。翠でさえ、その筆記スピートには追いつけない。というより。声の言葉としてのリパライン語は聞いてきたし、なんとなく分かるところもあったりする。だが、文章は何か障壁があるようで読もうとすると遅くなってしまう。

 どうやら授業についていけなくなる原因の一つは、書かれるリパライン語に慣れないというとこにありそうだ。


 完全に手を止めてしまってから気づく。そもそも音声言語としてリパライン語もさっき理解出来ていなかったじゃないか。語彙力不足はいつまでも自分の背を追いかけてくるとインド先輩は言っていた。それでは今授業のノートを無意味に取るより、少しでも語彙力を増やすべきでは無いだろうか。

 机の横にかけられた口のあいたバックを眺める。そこには、シャリヤの家に来たときからずっと愛用している辞書が入っていた。取り出して、小口の"i"の2ページ後ろに爪を入れて開こうとして止める。


(abc順じゃないのにこんな最初の方に出てくるのか?)


 リパライン語の辞書はリパライン語を表記するリパーシェの独特な並びで単語が並んでいる。この辞書の小口を見る限り、p, fh, f, t, c, x, k, q, h, r, z, m, n, r, l, j, w, b, vh, v, d, s, g, dz, i, y, u, o, e, aの順だ。この場合はそれでも五番目だから対して変わらないが、地球の英和辞書を開く時の癖でabc順だろうと目測で開くと大抵全然違うページを開いて失敗する。

 爪が伸び続けていてそろそろ切らなければならないと思いつつ、爪を入れるページを少し後ろにずらし、翠はページを開いた。

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