#125 帯刀少女
教養――という存在の定義の一つには、人を傷つけない力ということが出来るだろう。様々な物事を理解し、人間と自然、概念と考え方を多岐に渡って理解し、実践することによって人々は無駄な争いを回避し、お互いにとって最高の利益を追求しようとすることが出来る。教養は非常に重要なものなのである。
であるからして――
であるからして、両手に触れているのが女子生徒の胸であるという事実を、翠は受け入れきれていなかった。
"
「うわっ!? ごめん!」
帯刀少女は顔を赤くして、抗議するように声を上げた。茶色がかった黒髪のショート、ツリ目気味の黒目が不機嫌そうにこちらを見ている。
翠が慌てて両手をどけると支えを失った少女はそのまま翠の胸元に落ちてきた。彼女は苛立たしげに翠の顔の真横に手を置いて離れようとした。翠には依然として彼女が何を言っているのかはさっぱりわからなかった。
状況は明白であった。
倒れ掛って来た帯刀少女を受け止めようとして、転倒してしまったあと、翠が下、少女が上となって無事受け止めることに成功したものの何の偶然か受け止めた手が彼女の胸に触れてしまっていた。揉むに足りる胸があるように思えなかったが、彼女が不機嫌そうになっているのはどう考えてもそこではないだろう。
立ち上がった彼女は床に座ったままの翠を不機嫌そうに見下げた。
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「ああ……えっと……。」
相変わらず言っている言葉がさっぱりわからない。彼女は指でこちらを指して何かを要求していたようであったが、何が欲されているのかは
さっぱりわからなかった。リパライン語で何か言えばいいのかもしれないが、通じなさそうな相手に言っても意味があるか分からない。
そんなこんなで躊躇しているうちに、帯刀少女は更に不機嫌さを増していっていた。
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帯刀少女はまたも良く分からない言語で喋った。その表情は何かを宣言したようにも感じたが、雰囲気はともかく言っていることはさっぱりである。しかも、どういうことか少女は腰の鞘に収まっている刀の持ち手に手を掛けていた。
(おいおい、刀を抜いたりしないよな)
"
嫌な予感は的中した。
帯刀少女はオブシディアンブラックの瞳に怒りを秘めながら、鞘から細刀を抜き出して刃先を翠の方に向けた。
少女の言葉には翠に向けて何か、催促をしている様子が感じられたが、本当に何も意味が分からない。このままでは切り刻まれるのではないかというほどの威圧感に立ち上がることもできない。出来ることは、ただリパライン語で何かを言うことだけだと思った。
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"
言い終わる前に帯刀少女の方が口を挟んだ。言っている間に冷静な声色で口を挟まれたこっちとしては素っ頓狂な顔をするほかなかった。しかし、完全な文章でなかったので何を言っているのかは分からなかった。もしかしたら、本当に彼女はリパライン語が分からなくて苦し紛れに言った言葉だったかもしれない。
しかし、彼女の表情はというとリパライン語話者に会って話せずに困惑しているという雰囲気ではなかった。自信をもって間違いを指摘するシャリヤやヒンゲンファールのような表情をしていた。ただ、自信があったとしても理解できない言葉で話されたら困るのだ。
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"
話せないか訊いたところで、帯刀少女は翠に向けていた刀を美しい手捌きで鞘に戻した。そして、彼女はこちらを蔑むような目で見てきた。人差し指でこちらを指しながらリパライン語らしき言葉でづらづらと話し始めたわけだが、ここで気づいたことに翠にはリパライン語の語彙力が無さ過ぎて彼女が正しいリパライン語を喋っているのか、間違ったことを喋っているのか見当がつかないのだ。ともかく、流暢に喋っていたのはリパライン語ではなかったので彼女の母語がリパライン語ではないことは確かだろう。
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"
会話を繋げて、危機的状態を脱しようとしたが、さっぱり彼女は受け持ってくれなかった。さっきまで怒髪天を衝くというように怒っていた彼女の雰囲気も、変な質問を訊かれて弱まっていた。
そんなこんなで中途半端な気まずい空気が流れたが、彼女は近づいてきて座り込んでいた翠の腰あたりに手を伸ばした。腹でも殴られるのかと縮こまったが、殴られることもなく背の後ろから何かが引き抜かれた感触がした。
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"
帯刀少女はなるほどと言わんばかりに頷いて、授業資料のレジュメを人差し指ではじいた。
シェルケンといえば、今日の授業の中核的テーマになっていたところだ。確かに図書室ではこれについて調べようと、思っていたのだが……
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"
いや、いいです――と言おうとするも、少女はその華奢で、スマートな体系からは考えられないような力で翠を引き起こし、引きずられるようにして翠は連れていかれることとなった。しかし、まあこのような連れていかれ方にも先例がある。
(お前もフェリーサと同じ人種かーっ!)
性格はフェリーサと全く違いそうな気がするが、彼女には面倒くさそうな雰囲気しかなかった。というか、最近運が酷すぎる気がしなくもない。"
ぐだぐだとこんなことを考えながら、そんな間に翠は少女に腕を引かれていつの間にか別の無人敎室のなかで椅子に座らさせられていた。
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