#28 嫌な夢


 高校の図書室の中、放課後ここで落ち合う予定であった。

 スカートを整え、見つけた人物に近づき、軽く敬礼したりしてみる。インド先輩はこういう過剰に媚びる動作を見ると一気に顔が赤くなってしまうのでかわいい。

 一緒に図書室の中に入って隣に座る。


「インド先輩、遅かったですね!何があったんです?」

「インド先輩と呼ぶなって言ってるだろう。全く、色々準備をするのに手間取られただけだ。気にするな。」


 彼は小さく笑って、ぽかぽか殴るジェスチャーを行う。ミドリの呼ぶニックネームが気に入らないようだが、そこまで気にしている様子もなく茶化してしまう。ならば、こちらからも茶化してあげるというのが関西人であるインド先輩への礼儀というものだろう。


「じゃあ、浅上先輩とお呼びすればいいんですか?浅上慧アサガミ ケイ先輩?」

「はー、何とでも呼べばいいさ。浅上だろうが、インドだろうが……お前が、敵でなく仲間として居てくれるならな。」


 一瞬見せたその哀しい顔の理由は彼と長く交友関係にあるはずだった翠にとっても理解できるものではなかった。

 〝敵ではなく仲間として〟 私は、インド先輩――浅上慧のために今まで何をしてきたのだろうか。友人として、後輩として、彼に色々なことを学んできた。敵対したことなんて今までない。


「先輩、私は先輩の敵になんかなりませんよ。先輩が色々教えてくれることを忠実に守っているじゃないですか。」

「いや、俺は教えたわけじゃない。俺はただ目的のために……。」


 なんか意味の分からないことを言い始めた。

 インド先輩はいつもこうである。少しでも疲れたり、疑心暗鬼に陥ったり、ストレスが掛かる状況になると彼は意味の分からない高コンテキストな文章を吐き始める。こういう時はとりあえず話を聞いてあげるとじきに治っていく。その間に言ったことについては、不問にした方がいいとインド先輩をよく知る人物から聞いた。


「そうだ、八ヶ崎。」


 インド先輩が席から立ちあがり、翠を見る。


「お前の目的はなんだ。お前が言語を学ぶ理由は、一体なんだ。」

「なんだって、前も説明したじゃないですか~。」


 インド先輩にウィンクして、手元にあるネタノートをぺらぺらと捲る。ここには様々な言語での単語と意味が幾つか書いてある。


「私は文芸部に居ますし、外国人のキャラクターを書くときにそういうのが要るんですよ。まあ、なんか最近の勉強会はインド先輩のうんちく話を聞く会になってますけど、何はともあれインド先輩の話はおもしろいですからね。」

「外国人のキャラクターか、結局お前は何を書きたいんだ?」


 インド先輩の疑問に満ちた目が翠を見る。


「それは、あれですよ。」


 翠が指さした先にある本棚。そこに入っているシリーズは著名なライトノベルシリーズの一つであった。小説自体は本編15巻、外伝5巻、短編集3巻からなり、アニメ化やゲーム化もされ、ボイスドラマからヒロインの声のアラームまで何でもある人気作だ。ストーリーとしては異世界もので、現実世界ではダメな主人公が異世界に転移し、最強の力を手に入れて、また持ち前の機転で敵をばったばったとなぎ倒していく痛快なストーリーが中高生にウケたのだろう。


「あの作品みたいに自分の作ったキャラクターを異世界に送ってみたいんですよ。楽しそうでしょ?あ、インド先輩を送るのもまた面白いかもしれませんね。」


 話を聞いたインド先輩は固まっている。

 その雰囲気はさっきのように意味の分からないことを吐き始める雰囲気とはまた違ったもので、恐ろしさを感じるほど静かだった。表情が厳しくなり、目は何かを見通すように翠を見ていながら遠くを見ているようであった。席から立ちあがったインド先輩は背景と、光と溶け込んでいく。あまりにも非現実的だった。


「異世界に行けば、日本語を話してくれると思っているのか。甘いな、異世界だったら異世界語を話すに決まってるじゃないか。」


 背景も光もインド先輩も図書室も、全部溶けて混ざり合う。聞こえるのは記憶に残っているその声だけ、私だけが残されて、他は全て減法混色と同じように混ざり合い、暗くなっていく。めまいだと思っていた非現実的な光景は更に拡大してゆく。その光景の変化に変に焦りを覚えた。


「今までの俺の話のどこを聞いていたんだ。まあいい、もう時間だから、俺は帰るぞ。」

「い、インド先輩!待って、私はまだあなたから何も教わってない!まだ学ぶことはいっぱい――」


言いかけた言葉を聞きなれた声が途中で打ち消す。

「もう、おしまい。」


そして、オレは一人になった。


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