喚ばれた……

てめえ

 

 これは、私の若い頃の話だ。


 当時、私は家業とアルバイトの掛け持ちをしていた。

 アルバイトは、コンビニの店員……。

 早朝7時から9時までが、私のコンビニ店員としての勤務時間だった。


 私が勤務していたコンビニは住宅街の中にあり、深夜営業を行っていなかった。

 だから、開店は7時で閉店は0時と言う営業時間であった。

 つまり、私は開店スタッフだったわけだ。


 コンビニまでは、自宅の目の前の停留所から、バスで通っていた。

 ……とは言っても、バスを降りてから10分ほど歩く。

 必然的に、7時の開店に間に合うには、6時23分発の始発バスに乗るしかなかった。

 次の便だと、7時には確実に間に合わないから……。


 始発バスは、時間帯的に遅れることはほとんどなかった。

 都会のど真ん中とは言え、早朝に道路が混んでいるわけではないからだ。

 たまに遅れたとしても、1、2分がせいぜい……。

 気をつけなくてはならないのは、むしろ、早く来てしまい乗り遅れてしまうことだった。

 ギリギリにバス停に着いたため、2、3度、目の前でバスが行ってしまった苦い経験を持っていたので、私は、バス停には到着時間の5分前に着くことを励行していた。


 その日も、私は5分前に着いた。

 確か、3月の中頃のことだったと思う。


 時期まで覚えているのは、その日がアルバイトの相棒が変わる日だったからだ。

 女子大生だった相棒の子が辞め、ちょうどこの日に初めて新しい相棒の人と会うことになっていた。

 新しい相棒は、中年の主婦だと言う話だ。

 私が遅れると開店準備が出来ず、主婦の方が途方に暮れてしまうので、絶対に遅れられないと言う事情があった。


 しかし、その日に限って、バスは定時に来なかった。

 6時18分にバス停に着き、23分になっても……、だ。


 6時30分を過ぎ、次第に私も焦りが出てきた。

 たかだか二時間のバイトだから、ここでタクシーでも使おうものならほとんどただ働きだし……。

 ただ、遅れるわけにもいかず、態度を決めなくてはならなくなった。


「よし……!」

誰に言うともなく呟くと、私はバス停を離れた。

 もう、ここのバスでは間に合わないと見切りを付けたのだった。


 私に残された選択は二つだった。

 5分ほど歩いて別の停留所に行き、バスを下りてから山越えルートでコンビニを目指す道と、タクシーを拾う選択だ。

 山越えルートとは言っても、丘のような公園「梅林」を通り、コンビニに着くまでは10分弱……。

 勾配が険しいことを除けば、普段通っているルートとあまり掛かる時間は変わらない。

 通常ルートの方が身体的には楽だが、山越えルートの方がバスの便数も多く、時間的な融通が利くことは分かっていた。


 そこで、私は、山越えルートのバス停に移動するまでにタクシーを見掛けたら、すぐに乗ってしまおうと決めた。

 もう、ただ働き云々を言っている余裕はない。

 山越えルートの便数は多いが、確実にバスが現れる保証はないのだから致し方ない。


 しかし、バス停からバス停に移動する間、タクシーは一台も現れなかった。

 一応、幹線道路に面した歩道を歩いていたと言うのに……。


 山越えルートのバス停に着くと、待っていたかのようにバスが来た。

 時刻表を覗く必要がないくらい、すかさず……、だ。


 これで山越えをすれば、7時5分前には着く計算なので、少しホッとする。

 きっと、主婦の方は待っているだろうが、ギリギリでも間に合うのだから、今日はご勘弁いただくしかない。





「ふう……」

思ったよりも勾配がキツイ。

 昨夜遅くに雨が降ったせいで、舗装されていない道がぬかるんでいる。


 歩きにくさを感じたが、ここで歩を緩めると5分前には着かない。

 だから、少し、息を弾ませながら、「梅林」を突き進む。


 梅の時期が終わっているので、辺りには花らしいモノを付けた木はなかった。

 ただ、朝のひんやりとした空気が、息を弾ませている私には気持ち良く感じる。


 丘の上の踊り場に出て、急に視界が拓けた。

「あとは坂を下るだけ……」

ようやく、早朝の予期せぬハプニングにケリが付きそうで、少し安心する。


 ……と、その時。

 私の視界の端に、異物が見えた。


 異物……。

 と、言うか、普段では見られない光景がそこにはあった。


 木々の中にポツリと、人間が浮かんでいたのだ。

 紺色のスーツを着て、首を不自然なほど前に傾げた状態で、その人は浮かんでいたのだった。


「うっ……」

息が詰まる。

 直感的に、その人は生きてはいないと思った。

 四肢の脱力具合が、生気を感じさせなかった。


 私は自然と足が止まった。

 浮かんだ人までの距離は、約10メートルというところか。


 不思議と、怖いとか気持ち悪いとかと言う感情は芽生えなかった。

 異様な光景を目の前にしていたのに……。

 ただ、目は釘付けになり、その場から微動だに出来なかった。


 どのくらい見つめていたのだろう……?

 大方、1、2分と言うところか。

 私はその間、浮かんだ人と一緒に異様な光景に取り込まれてしまっていたようだ。

 しかし、見つめていたせいで、状況が飲み込めてきた。

 少し、冷静になったのかもしれない。


 浮かんで見えたのは、首に巻いた麻縄に吊られていたせいだった。

 麻縄は、何重にもなっていて、首にガッチリ食い込んでいた。


 その人は、全身、ずぶ濡れであった。

 昨夜遅くに雨が降ったのを、もろに被ったのだろう。

 靴は片方だけ脱げ、グレーのソックスが見えていた。


「ああ……、首吊り自殺だな……」

ようやく私は理解した。

 動揺はしていたが、意外と冷静に状況を把握した。


 そして、携帯電話をポケットから取り出すと、生まれて初めて110番を押した。





「すいませんでした……、今日は遅れてしまって」

「いえ……、2分だけじゃないですか」

開店作業を終え、一通り業務をこなして一息つくと、私はレジで主婦の方に謝った。

 私は結局間に合わず、主婦の方と常連のお客さんを待たせてしまったのだった。


 常連のお客さんは、近くのラーメン屋のご主人で、毎朝、スポーツ新聞と缶コーヒーを買いに現れる。

「遅れるなんて珍しいじゃん……」

と言われただけで済んだが、少しバツが悪かったのを覚えている。


「実は……」

私は、主婦の方に何故遅れたかを語った。


 バスが何故か今日だけ来なかったこと。

 山越えルートで来たこと。

 途中で、首を吊った人を見つけてしまったこと。

 警察に電話をし、必要ならコンビニに話を聞きに来て欲しいと告げたこと。

 などを……。


「それ、もしかすると、喚ばれたんじゃないですか?」

「喚ばれた?」

主婦の方は、眉をひそめてそう言った。


「コンビニの店員さんだと言うことを、知っていたんじゃないですか? その人」

「……、……」

「早く見つけて欲しくて、早朝に近辺にいるあなたを喚んだのでは?」

「……、……」

ああ、なるほど……、と私は思った。

 正直、単なる偶然だと思うが、そう言う考え方もあるのかと……。

 私の方に見覚えが無くても、私が通う姿などを見られていたのかもしれない。





 警察からは、特に連絡はなかった。

 浮かんだ人の件は、翌日の何処の新聞にも載ってはいなかった。


 それから私は二年ほどコンビニでのアルバイトを続けた。

 しかし、山越えルートで行ったことは、その一度きりであった。

 

 

 

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喚ばれた…… てめえ @temee

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