Code of coda 7

 そう告げる少女の表情は感情を複雑に混ぜ合わせてあるのか、俺の持つ色見本には載っていない表情をしていた。

「もう二年くらい、かな。帰って来ないの」

「母親は、いないのか?」

「いないよ。そう、言ってたから。昔」

「警察には、言ってないのか?」

「言えるわけ、ないよ」

どこか自嘲をはらんだような調子で少女が答える。

「お父さん、たぶん良い人じゃないから」

 そりゃ子供を一人にするような親なら良いやつとは言えないだろうが。

「探偵さん、前に私に聞いたよね?」

「何を?」

「『なんでそんなに、鍵に詳しいんだ』って。あれはね、お父さんから習ったの。他にも尾行の仕方とか、動物の捕まえ方とか、法律とか。一人でも、何とかして生きられるように、って」

出所不明の技術がまさか父親から教わったものだったとはな。しかしそんなこと出来なくとも一人で生きられるだろう。雨夜の父親は一体この少女をどんな世界で生きさせようとしたのだろうか。

「けど、おかしいよね。法律には鍵を勝手に開けてはいけない、って、書いてあるのに、悪いことなのに、そんなこと、教えるなんて」

 おかしいのはそこだけじゃないが、正しく少女の言う通りである。ここは法治国家だ。スラムのような法の行き届いていない場所じゃない。雨夜の父親はエリート犯罪者を作ろうとしていたとしか思えない。

「でもほら、鍵が開いて婆さん喜んでただろ?」

しかしそんな思いとは裏腹に、なぜだか俺はそう口走っていた。

 俺の問いかけに対し、雨夜は少しだけ顔をほころばせた。

「あの時は、嬉しかったな。私でも、人を助けられるんだ、って」

その表情には一筋の光が差し込んでいる。

「だろ? 物とか技術に良いも悪いもない。使う人間次第だ。そしてお前は良いやつだ。俺が保証する」

俺の発言のお陰か、少女の持つ光が一層強まる。


 しかしそれも長くは持たなかった。霞がかった新月の夜。空し気な空が光を求めているのだろうか、次第に少女の輝きが弱まっていく。

「でも、お父さんは、たぶんそうじゃない」

「何してるか、とか聞かなかったのか?」

少女は小さく息を漏らしながら答えた。

「聞けるわけ、ないよ。だって、そうでしょ? もし聞いて、悪い結果だったら、ね」

 何か気の利いた返しでもするべきなのだろうが、咄嗟に返す言葉が見つからない。暗中模索とは正にこのことだろう。雨夜も雨夜で続ける言葉を探しているようで、お互い沈黙の中で行き場を見失っていた。

 普段はまほろばであるはずの木々に囲まれた神社。しかしそれが今では夜の闇と相まって空気を一段と重苦しくしている。なぜ雨夜はこんな場所を選んだのか。人気がない方が喋りやすいからだろうか。それにしてももう少し明かりのある場所でも良かったんじゃなかろうか。などと最もらしいことを考えていると、吹き込んでいた風が不意にその勢いを増した。

 揺られる木々のざわめきが大きくなっていく。そんな中で少女は、風が運んできた新たな空気を目いっぱい吸おうとしているのか、深く息を吸っている。

 息を吐いて下がっていく少女の肩が、再び小さく上がる。

「でもね」

意を決した様子の少女に騒ぎ立てていた聴衆も動きを止め、続くであろう少女の言葉に耳を傾けている。

「それじゃ、いけないんだ、って。それじゃ、だめなんだ、って」

強い調子で自分に言い聞かせるかのように言葉を吐き出した後、

「たぶん、そういうこと、なんだよね……」

俯き加減で呟くように少女は言葉をこぼした。

 何がどう「たぶんそういうこと」なのか見当はつかないものの、彼女の中で何かしらの葛藤があって、決心がついたのだろう。

「俺のことは、父親から聞いたのか?」

俺の投げかけに少女が顔を上げる。

「そう。『彼なら見つけてくれる。彼には、普通の人には見えないものが見えるからね』って。お父さんに」

 なるほど。分からないことだらけだが、ここに来た事情だけはわかった。

「聞いてなかったけどね。それが、幽霊だ、なんて」

そして解決も多分すぐにできる。だが、こいつは

「わかってるのか? 俺に――「わかってる。大丈夫だから」

 本心なのか虚勢なのか、力無く続きを遮る少女。

「それに、一人待つのは、もう、嫌だから……」

俺はそれを聞いて男幽霊へと近づいていく。

 歩く俺を男も見ている。だが男の目は明らかに雨夜を見ていた時のものと違う。依然として男の目元は穏やかながらも、どこかが微妙に違う。雨夜を見る時の目はどこか遠くを見ているような、そんな目つきをしていた。だが今の目は、俺を認識するために、意識するためだけに見ている。そんな目つきだ。

 そう。この言葉で説明できない違いこそが何よりの証拠なんだ。そして偶然にしちゃ出来すぎてる展開。八年前のアメリカでの予告が、たまたま今果たされただけとは到底考えられない。俺の勘が正しければ、こいつが雨夜の父親で間違いない。

 確信を得て、男の目の前に立つ俺。先に口を開いたのは男の方だった。

「久しぶりだね。これで三回目かな。君に会うのは」

俺の記憶では二回目なはずなんだが、どこかで会っただろうか。しかし、今聞きたいのはそうじゃない。

「聞きたいことがあるんだが、いいか?」

少し間を置き、冗談めいた調子で男が返事をする。

「あの子をホテルに泊めてもいいかどうか、かな?」

こいつもしかして雨夜が来た時から見てやがったのか。姿を消して。

「あのことなら気にしなくていい。もうあの子は自由だからね」

「それもあるが、そうじゃない。お前が父親なんだろ? あの子の」

「君の勘も中々だね。いかにも。私があの子の父親だ」

男は微塵の意外性も無いと言わんばかりの調子で俺の質問に答えた。

「やっぱ――「と言いたいところだけどね」

まさか違うのか?

「半分正解で、半分不正解。と言ったところかな」

 一体どっちなんだ。わけのわからん意味深な言い方をしやがって。しかしまぁ、その親にしてその子ありか。

「どういうことだ?」

「あの子――結は拾った子だからね」

躊躇いなく放たれた発言に、俺は一瞬たじろいでしまった。

 確かに、さっき雨夜が母親はいないと言っていたが、

「しかし当時の心境を思い出せば、拐った。あるいは持ち帰った、と言った方が正しいかもしれないね」

まさかそういうことだったとはな。

「どこから、話そうかね」

だがあいつはこのことを知っているのだろうか?

「ちょっと待ってくれ。あいつはこのことを知ってるのか?」

 男は俺の問いかけに首を横に振った。

「結もそのことを聞いてこなかったし、何より……」

男は流れるように語っていた勢いを弱め、言葉を漏らすように口を開く。

「僕も言えなかったんだ」

先を続けた男の口調は、どことなく自嘲的だった。

「あの子との関係性が壊れてしまうんじゃないか、って、怖くてね」

 なるほどな。そういうこともあるかもしれない。とは言うものの、ほとんど初対面の男に暗い話をされて俺はどう反応したら良いというのか。こういう時の対処法も学校で教えてほしいもんだ。とりあえずは、父親が見つかったことを雨夜に報告するべきなのだろう。

 そう思い、雨夜に声をかけようと後ろを振り返ると、雨夜もこちらを見つめていた。目を細めて、口をつぐんで。俺には、それが見えない姿を必死に見ようとしているように見えた。

「いるんだね。そこに……」

全てを悟ったかのように力なく呟く雨夜。

「ああ。今俺の横にいる」

「そっか……」

彼女の黒い瞳が色を失っていく中、俺は迷っていた。

 果たして何か言葉をかけるべきなのか。それとも俺は何も言わずに雨夜を待つべきなのか。いや、俺はきっと、この場ではスポークスマンか、あるいは観測者か。その辺の役職に徹するべきなのだろう。少なくとも、今俺は役者の一人ではない。


 そう決心して果たしてどれほどの時間が経ったのか。月のない霞んだ空すらも、事の成り行きを見届けようとしている。俺にはそんな気がした。

「聞こえるんだよね。お父さんには」

誰にでもなく少女が口を開く。

「こちらの声は、聞こえないみたいだけどね」

男が雨夜に向かって語り掛けるも、やはりその声は少女に届かないようで、雨夜が一人喋り続ける。

「私は、拾われた子、なんでしょ? しかも外国で」

微かに震える少女の声に、男はただ頷く。

「おかしい、って、思ってたんだよね。あの時は、本当の子じゃない、って言われたら、どうしよう、って、怖くて、聞けなかったけど」

 一体どの時なのか。スポークスマンに徹そうと誓った過去の俺が恨めしい。

「でも、そんなこと、どうでもよくて。生きてたら、もっと、たくさんあった。言いたいことも。聞きたいことも。けど、そうじゃないから……」

 言葉に詰まり、こうべを垂らす少女。その様子を男はどこか遠くを眺めるような眼差しで見ている。

 神妙な沈黙が場を支配する中で少女はゆったりと、しかし力強く顔を上げた。

「だから一つだけ」

意を決したようで、凛とした佇まいを纏った言葉が大気を揺らす。

「私は、大丈夫だから。一人でも。だから、安心して」

 俺には到底推し量ることなどできないが、おそらく少女の中で何かしらの葛藤と決心があったのだろう。

「言いたかったのは、それだけ」

その証拠に、思いのたけを出し切ったかの如く少女は小さく息をついている。

 きっとこの場面はどこぞやの番組構成なら、文字通り親離れし、独り立ちする強い心を持った少女――いや待てよ。 本当に雨夜は強い心なんて持ってるのか? 

 今までを思い返してみると、あの少女が怯えたような感じを出している時は、決まって悪い結果が待っている可能性がある時だけだった。例えば俺が突然声をかけた時や、最初の申し出の時。何より大麻事件の時もそうだ。

 空き巣事件の時には現場まで結果を確認しに行ったやつが、あの時は電話に出ることすら拒否してきた。こいつは一人でも生きて行けるようなノウハウと、何にでも動じない精神力を持っているかのように見えてその実、弱く臆病な脆い心の持ち主なんだ。だとすれば今回の依頼を告げた時の顔。俺の持ってるカラーコードには載っていなかったあの表情が持つ意味も分かってくる。この少女はそれを乗り越え、現実と向き合う覚悟を持って行動したのだろう。

 そして恐らく、雨夜には父親以外に頼れる人が存在しない。さっきもちらっとそう言ってたしな。雨夜は今この世界でただ一人、あてもなく生きていくことになる。同情するべきなのだろうが、「同情するなら金をくれ」とは何のドラマのセリフだったか。しかしそんなことはどうでもいい。俺には同情どころか給料という形で金を与えることすらできる。そして雨夜が助手として働いてくれれば俺にも利がある。いいところしかない。やはりここは、雨夜を助手として雇って物語的ハッピーエンドを迎えるのが上策だろう。

 などと考えていると雨夜の父親が突然、

「結が前に言ってただろう?」

と問いかけてきたものの、前に言ってたことなど数え上げればきりがない。一体どれを指しているのか。

「ホテルでのことさ。僕とはぐれて海で死にかけたと」

ああ、あれか。だがそんなことを再度取り上げる意味が分からない。海水浴に行って迷子になってしまったか、もしくは離岸流に流されたとか、無さそうで有りそうな、ありがちな話だろう。

「あれはね、あの子を連れてこの国に渡ってきた時の話だよ」

なんて話ではなかった。

「四隻の船を使った計画でね、大変だったさ」

よもや密入国だったとはな。確かに外国で拾われたと雨夜が言っていたが。

 衝撃的事実の羅列に置き去りにされる俺をよそに、男は一人言葉を続ける。

「あの子は恐らくヘイハイズだ。戸籍もなければ国籍もない。当然、知り合いもね。あの子はこの世から消された子でね。そんなあの子をこの国に連れて来るにはそれしかなかったんだ」

そうまでしてこの男が雨夜を連れてきたかった理由は不明とは言え

「あれだけ不自由なく喋れるなら戸籍ぐらい作れただろ?」

 俺の的確な質問に男が少し顔を歪める。

「君の言う通りだ。確かに作ろうと思えば作れただろう」

「じゃあなん――「だが戸籍を作ればあの子は里親に出されてしまう。でも、どうしてもあの子を育てたかったんだ」

その表情は後悔とも取れるような表情だった。

「僕のわがままのせいで、あの子を生きづらくさせてしまったんだよ。だから、あの子も僕も、頼れるあてがなくてね」

そりゃ戸籍がなきゃ国からの保護も受けられないし、生きづらいことは間違いないだろうが、問題はそこではない。

「君に、そんなあの子を助けてやってほしいんだ」

「八年前、俺にまた会いに来るって言い残したのは、それを頼むためか?」

俺の不躾な質問に、男は決まりの悪そうな顔をして答えた。

「言えそうになかったからね。僕が生きている間には。卑怯な話で申し訳ないね」

そういうことだったのか。相変わらずどこで俺のことを知ったのかは分からんが、この話の結末はすでに俺の中で決まっている。

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