Code of coda 5
気付けば俺は、タクシーに乗って屋久良神社を目指していた。いつの間にそうしていたかは知らないが、俺はたぶんゾーンとやらに入っていたんだろう。そして何らかの利を出せる必勝法でも思いついたのだろう。じゃなかったら、今神社に向かっているわけがない。何を思いついたかは判然としないものの、タクシーを捕まえた手前引き返すわけにもいかない。
車は国道を逸れ、山道へと入っていく。
しかしレイが本当に雨夜を見つけ出してくれるとは思いもしなかった。さすがはジョーカーといったところか。この結果が最初からわかっていれば初めから呻る必要などなかったというのに。とは言え過ぎたことを嘆いていても仕方がない。今考えるべきは、犯人をどう抑えるかだ。
曲がりくねった道。生い茂る木々の織り成すアーチが俺を出迎える。
犯人がどんなやつかは知らんが、雨夜と二人がかりなら何とか拘束することができるだろうか。あの雨夜なら武術の心得くらいはありそうだしな。
車が止まる。支払いを終え。役目を終えたタクシーは走り去っていった。
道の端に寄ってみると眼下には明かりの点き始めた街並みが広がっており、黒か紫か、どちらなのか判別のつかない海へと繋がっていた。さらに海を渡って遠く西、赤い空がちょうど日の入りであることを俺に知らせる。グラデーションに染まる霞がかった薄明の空を辿って後ろを振り向くと、石造りの鳥居があった。この先に雨夜と、雨夜を誘拐した犯人が待っているはずである。果たしてどんなやつなのか。
鳥居をくぐり、石階段を登っていく。ここに人が来ることは珍しいのか、両脇に生える木々が物珍しそうに俺を見る。階段の続く先をじっと見据え、一段一段確かめながら歩みを進めていくと、鳥居が姿を現した。俺は身をかがめ、慎重に階段をよじ登る。階段の終わりが近づく。体を階段に沿わせるよう伸ばし、境内の様子を窺う。
そこにいたのは、雨夜と犯人の男だった。雨夜を前に男が少し後ろに立っていて、近くには比較的大きめのカバンが置かれている。
雨夜はとりあえず無事なようだった。なぜそんなことがわかるかと言うと、やたらと落ち着き払っているからだ。まるで誘拐などされていないと言った顔だ。しかしクールなあの少女のことである。おくびにも出さないように振舞っているだけかもしれない。
しかし犯人のあの男、俺がアメリカで会ったハンフリーボガードのお化けみたいな謎の日本人じゃないか? 暗がりでよく見えないから確かなことは言えないが、あの男によく似ている。というかあの男だ。確かにあの時「またいつか会いに行く」とか言ってたが、八年の時を超えて何をしに来たというんだ。目的は? 俺はあいつに一回しか会ったことがない。恨みを買うようなことはしていないはずだ。だから私怨ではないだろう。だとしたらなんだ? わからん。ここで考えていても埒が明かん。突撃を敢行するしかない。
俺は少し階段を逆戻りし、背筋を伸ばす。そして如何にも今来ましたと言わんばかりの表情を作って階段を登る。
雨夜と男は俺を見咎めたのか、二人の視線を感じる。対する俺は雨夜に安心しろと目配せし、男を睨みつける。
「用件はなんだ?」
俺は男にそう問いかけた。つもりだったのだが
「用件、って言うより、依頼、かな」
返事をしたのは雨夜だった。
「でも、その前に、聞かせてほしいこと、あるんだけど、いい?」
ちょっと待て。聞きたいことがあるのはこっちだ。なぜ雨夜が応える。なぜ犯人のような口ぶりで喋る。
いやちょっと待て。思い出せ。確かに不審な点はあった。まずは誘拐現場にしては荒らされた形跡のない事務所だ。二日前は気にも留めなかったが、今になって思えばおかしい。なぜなら俺が朝早く行ったときには飛び起きて見せた少女が、何の抵抗もなしに連れていかれるわけないからだ。抵抗すれば事務所に物が散乱していてもおかしくないだろう。しかしあの朝、事務所はいつもと全く変わらない様子だった。違ったのは、いるはずの雨夜がいなかっただけだ。
他にも不可解な点はあった。あの朝、俺が事務所に入る前、玄関の鍵は閉まっていた。だが一刻も早く立ち去りたいはずの犯人が、わざわざ鍵をかけるわけがないのだ。
これらの不審な点から導き出される結論はただ一つ。
「もしかして、グルなのか? お前ら」
そうとしか考えられなかった。
確信を持って投げつけた俺の言葉だったが、雨夜は不思議そうな顔で俺を見つめる。
「誰と?」
こいつ、俺を油断させるためにとぼけていやがるのか。
「その男とだ」
男を指さし、言葉を投げつけると、雨夜は後ろをちらっと見て俺に向き直す。その顔は、不気味に微笑んでいる。
「そう、かもね」
山の上のせいだからか、五月も半ばだというのに吹き抜ける風が冷たい。そんな風に木々も体を震わせている。
「かも」? 「かも」ってなんだ。曖昧な返事をするのが日本人の悪いところなんだ。などと偏見で物を語っている場合ではない。雨夜が否定しないということは、やはり雨夜と犯人は仲間である可能性が高い。つまり俺はまんまと二人の策にはめられたわけだ。正に飛んで火に入る虫とは俺のことだろうが、まさか蚊帳の中に火を点けられるとは思いもしなかった。などと達観している場合ではない。こともないはずだ。ピンチの時こそ冷静にだ。落ち着け俺。
状況を整理すると男と雨夜は仲間。相手は二人で俺が圧倒的に不利だ。だったらとにかく急いで逃げなければ。四方は木で覆われているし、逃げられはするだろうが、どこへ逃げる? 事務所は駄目だ。雨夜は事務所の鍵を持っている。何なら鍵が無くても開けられる。なら家か? しかし探偵力の高い雨夜のことだ。きっと家も調べられているに違いない。
「次は、私が質問する番。だよね?」
しめた。適当に会話を合わせていれば、いつか隙ができるはずだ。その間に逃げるチャンスを見つけられるかもしれない。場所なんて後で考えたらいい。
俺は沈黙で相槌を打ちながら、悟られないようにじわりと後ろに下がっていく。
「どうして、わかったの? 私がここにいる、って」
つもりだったのだが、俺の足は止まっていた。
こいつは何を言っているんだ? お前たちが暗号を残したんじゃないのか? 質問の意図が分からない。
「見たでしょ。暗号」
見たとも。見たからこそ今俺は窮地に立たされているんだ。
「何て、書いてあった?」
作ったのはお前たちだろう。なぜ確認する必要がある。
「暗号文と暗号――「そっちじゃ、なくてね」
雨夜が俺の言葉を遮る。
「聞きたいのは、内容。解読した」
つまり平文ってことか? 理由はわからんが、暗号が解けたか確かめているのだろうか。確かに俺は二つ目の暗号を解くことができず、レイに頼ったから一字一句違わぬ回答こそできないものの、そんなこと答えるまでもないだろう。俺が今ここにいて、あいつらもここにいる。それこそが質問の答え、暗号の答えだ。
「俺が今ここにいる。それが答えだ」
雨夜の目が、俺を捉えて離さない。
「そう、書いてあった? 本当に?」
「ああ、間違いない。二日後の午後七時、この場所に来るよう書いたのはお前たちだろ? 何が目的だ? なぜ俺を呼び出した」
俺の質問に雨夜は何も答えず、ただ目を閉じていた。男の方はと言えば、さっきから見守っているかのように雨夜の様子を見ているだけだし、絶好の機会だ。逃げるなら今しかない。
意を決し、動こうとしたその時だった。雨夜が目を開き、俺を見据える。
「二番目の鍵、『hoLeS』はね、鍵穴なの」
なんだ? 突然どうした。答え合わせの時間が始まったのか?
「鍵穴が鍵。だからね、鍵穴を使うの」
確かに鍵穴は英語でキーホールだ。だが言っている意味がさっぱりわからない。だいたい鍵穴ってどれのことだ?
「あったでしょ? 鍵穴」
だからどこに。暗号文には暗号文と暗号方式を示す文、鍵の絵しか書いてなかったはずだ。どこにも鍵穴なんて書かれていなかった。いや、よく考えろ。暗号を作った本人が言うならどこかにあるはずだ。
確かに鍵穴じゃなく、鍵ならあった。ファーストキーは正しく鍵の形をしていて、それを使って俺は暗号を解いた。一方でそれは、鍵を挿しこんで錠を開けたとも言えるんじゃないか? だとすれば、鍵穴と言うのは、つまり――
「ファーストキーを挿した、一つ目の、暗号文。それが、鍵穴。それが、鍵」
そうか、そういうことだったのか。通りで何をどう工夫しても解けないわけだ。一つ目の鍵であるペアに意味がなかったから、二番目もそうだとばかり考えていた。全くやってくれるぜ。謎を解く鍵は柔軟な発想と論理的考察力といったところか。
「探偵さんも、そうやって解いたの? 暗号」
「――ああ、もちろんだ」
暗号の謎が解けたことによる充足感を満喫していた俺は、急に繰り出された雨夜の質問に反射的に答えてしまった。
「だったら、おかしいよね」
何がだ? まんまと罠にかかって誘き出された俺の様か?
「そうやって解いたなら、来るはずないよ。探偵さん。こんなところに」
何を言ってる? そこの男、もといお前がここに呼び出し――
「だって、暗号には、書いてあるから。『ポートタワーの展望台そこで待っている』って」
――嘘だろ?
「そうなるよう、私が作ったから」
暗号にも屋久良神社って書いてあるんじゃないのか?
「書いてないよ。屋久良神社、なんて。どこにも」
いや確かに、暗号を解いたと真っ赤な嘘を言っていたのは俺の方だが、
「分かるわけない、よね。私がここにいる、って、手がかりもなしに」
違う場所が書いてあるなんてそんなの有りか。反則だ。
しかしそんな反則技を使う目的はなんだ? 俺の探偵力でも試しているのか? いや違う。暗号が解けて俺が別の場所に行ってしまっては意味がない。呼び出した意味そのものがなくなってしまう。だが呼び出したくせに暗号文には違う場所が書かれていた。一見矛盾しているようにも思えるが、あえて意味を見出すなら俺が暗号を解かずとも雨夜たちの元へ辿り着けるかどうかを試していたということだ。
普通の人間ならまず無理だろう。場所もわからずに集合地点へ行けるわけがない。だが俺は違う。俺には幽霊が見える。膨大な数の目撃情報を集めることができる。それで場所を特定したわけだ。となれば、あいつらの目論見は俺に幽霊が見えているかを確かめること。それしかない。
誘拐偽装事件の隠された企みに気付いた俺であったが、時はすでに遅く
「じゃあ、聞くね。もう一回」
雨夜が俺に追い打ちをかけてくる。
「どうして、ここがわかったの?」
俺を取り囲むように、迫りくる雨夜の言葉。
「何を見て、ここに来たの?」
俺はじりじりと押されていき、
「さっきのも、そう」
気付けば俺の後ろは
「探偵さんには、何が、見えてるの?」
逃げ場のない、断崖絶壁となっていた。
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