Code of coda 4

 今日も俺一人、事務所にて目覚める。残念ながら夢でお告げを聞くことは出来なかったが、嫌な夢を見るよりかましだろう。

 今は午前七時くらい。移動も考えれば残り十時間ちょっとと言ったところか。未だにレイが帰ってくる気配はない。まぁ、幽霊に気配なんてものは元々ないのだが。レイもレイで全ての建物を総当たりに調べているだろうし、時間もかかるだろう。何ならそれで見つかる可能性の方が低い。

 しかしそれにつけてもやたらと喉が渇いている。乾燥注意報が出るような季節とは思えないが、地球も四十六億と歳を取りすぎて潤いを失ってしまったのだろうか?

 などと冗談もそこそこに、何か冷たいものを飲もうと給湯室へ向かい、冷蔵庫を開ける。中には牛乳とチョコレートソースがきれいに並んで入れられていた。

 雨夜がいない今、チョコレートソースが減ることは無く、雨夜専用機となっている牛乳も減っていかない。いわゆるデッドストックというやつだろう。いや、若干違うな。何にせよ牛乳パックの賞味期限欄には今日の日付が堂々と刻まれているし、飲んでおいた方がいいかもしれない。

 そう思い牛乳を手に取ると、けっこう軽い。振ってみると中で液体が壁面を打つ間抜けな音がする。どうやらあまり残っていないようだ。

「……やっぱりコーヒーにするか」

 コーヒーの入ったカップを持って給湯室を出て、社長椅子へと向かう。机の上には昨日暗号を解くために鍵について調べに調べた戦跡が随所に残っている。その戦績の方はと言えば、俺の負けである。特にこれといってそれらしき手がかりを掴めたわけでもない。

 焼野原とも思える机。コーヒーを飲みながら、まだ使えそうな物が残っていないか目を凝らすものの、落ちているのはガラクタばかり。俺はそれらを拾い集めて続く戦いへと備える。

 腹を括った俺は暗号の解読を再開した。左右対称の鍵になぞらえて、セカンドキーを中心で分けて鏡に映してみたり、キーを逆さにしてみたり、ファーストキーと重ねてみたりと、様々な方法を試してみたのだが、それでも暗号が解けることは無かった。

 長引く戦い。進軍が足踏みする中、過ぎ去った時間だけが積み重なっていく。

 矢も楯も堪らなくなった俺は、拾い上げてきた全てを投げ出して、ある作戦を実行へと移す。その作戦とは「暗号文中に出てきそうな単語を適当に当てはめてみる」というものだ。二番目の鍵が場所を示すものならば、waitingという単語が暗号文中に出てくるはずである。その単語を適当に暗号文に当てはめ、逆算していけば偶然解けるかもしれない。もちろん単に場所だけが書かれている可能性も否定できないし、功を奏す可能性は限りなくゼロに近い。だが今の俺には、それ以外の策が思いつかない。

 勝ちが見えない捨て身の攻撃。玉砕を覚悟しつつも、万が一の可能性に賭けた俺は、果敢に暗号へと攻め入る。


 激しい消耗戦が続き、目覚ましい戦果を挙げられないまま迎えた午後四時。

 戦場となった机の上には建物どころか、草木一本残っていない。万策尽きたり。もう打つ手もない。思いつくことは全てやった。今の俺なら相手が降伏を勧告してくれば素直に受け入れるだろう。というか勧告してほしい。何なら自ら白旗を揚げに行ってもいい。しかしそれも叶わぬ願いである。相手が分からないし、仮に分かっていたとしても、そいつはわざわざ場所を暗号にして教えてくるほど悪趣味なやつである。きっと今頃、暗号が解けずに放心している俺を想像して、悦に浸っているに違いない。と言うより、もしかするとそれが犯人の犯行理由なんじゃないのか? だとすれば焦る俺を直接見たがる可能性が高い。犯人は案外近くで見ているかもしれない。

 そう考え、俺は窓から見える建物を全て観察してみたものの、それらしき人影は見つからない。つまり俺が思い描いた犯人像は見当違いだったということだ。しかし前にも思ったが、意地の悪い犯人でないなら犯行文をもっと直接的に書いてくれても良いではないか。そうすれば犯人も俺を呼び出せるし、俺も犯人の元へ行ける。お互いのためにもシンプルに書いた方が良い。いや待てよ。よくよく考えたらシンプルに書いてあるのかもしれない。

 俺はまだセカンドキーをそのまま直接使っていなかった。なぜそんな当たり前のことをしていないかと言うと、ファーストキーの仕掛けに思考が引っ張られていたからだ。セカンドキーにも何か仕掛けがあるものだとばかり考えていた俺は、知らず知らずのうちに最もシンプルな方法を候補から外していたのだ。だが手元にある暗号文において、何よりも重要なのは時間ではなく場所である。だから二つ目の暗号は解けるように書かれているはずであり、直接あてはめて解けないわけがない。

 戦況を覆す可能性のある起死回生の一手に、士気は高まり心が勇む。


 決戦兵器を投入するも、相手の防衛は第二次世界大戦時のスイスより堅く、希望が絶望へと変わった午後五時。俺は、降伏せざるを得なかった。

 敵の最終防衛ラインを突破できる見込みがない。突破できなければ今までの労も無駄となるわけであり、それは悔やむべきことだが、そもそも今になって思えば初めから徹底抗戦する意味なんてなかったんじゃないか?

 戦いに勝って手に入るのは雨夜だ。負けて失うのも雨夜だ。だがそんな雨夜は元々いないはずの存在である。突然事務所にやって来た少女。最初は適当に追い返す予定だった少女。それを今まで手元に置いておいたのは助手として利用価値があったからに過ぎない。もちろん今でも少女の利用価値は健在であるので、いなくなればそれだけ損失が生まれる。生まれるのだが、必死になって取り戻さなければならないようなマイナスでもない。なぜなら俺は、少女が来る前から専業の探偵として食って行けていたからだ。いなくなったとしても前の状態に戻るだけであり、何の問題もない。

 さらに言えば、雨夜を助けることで俺自身に被害が出る可能性も高い。最悪殺される恐れすらある。俺にとって一番大切なのは金で間違いないが、それにも増して俺の身の安全が最重要事項であることは言うまでもない。金があっても俺がいなけりゃ意味がない。

 少女を取り戻すことで得られる利益と付随するリスクの差分。少女を放っておくことで生じるロス。それら二つを天秤にかければ自ずと答えは出てくる。

 俺が少女の元へと行く必要は全くないし、行く理由もない。

 そうだろ? なんせ俺は実利で動く人間だからだ。少女を助けに行くことのどこに利があるというのか。どこにもないし、何ならマイナスだ。そして俺の出した答えは決して間違っていないはずだ。どこにも論理的矛盾はないからな。引っかかりがあるとしたら、雨夜を置いておくことで生み出される長期的利益が加味されていない点だけだ。とは言っても不確定要素を試算に盛り込んだら何とでも言えるし、パラメータとするわけにはいかない。となれば、やはり俺にはわざわざ危険を冒してまで雨夜を助けに行く理由がないということになる。戦う理由がなければ戦う意味もない。つまり俺は無駄な抵抗などせずに、さっさと降参する方が良いわけだ。

 犯人から与えられた暗号という肩の荷を降ろそうと、終戦とそれに至った経緯を告げるラジオ放送を頭の中で何度も流すものの、ただ寂寞せきばくの感だけが胸中に募っていく。

 だがこれも沸いて然るべき感情だろう。暗号が解けなかった以上、俺が犯人に比べて能力的に劣っているのは紛れもない事実である。自分の無能さゆえに、誰かに負けて嬉しいやつなどそうそういない。だからこれも、当然の感情なのだ。

 残る戦禍と長引いた戦いに疲弊した脳を癒すべく、俺はカフェオレでも作ろうと思い立ち、給湯室へと向かう。

 給湯室の冷蔵庫を開けると、朝と同じように顔を覗かせる牛乳があった。だが朝と違って、牛乳は何か言いたげな、何か問いかけるような視線で俺を見つめてくる。そんな視線を遮らんと手を伸ばそうとするのだが、腕を上げられない。なおも俺を見つめる視線。金縛りにでもなったかのように上がらない腕。俺は急いで冷蔵庫の扉を閉めた。

 決して逃げたわけじゃない。何もカフェラテじゃなくとも、甘いものが飲みたいならコーヒーに砂糖を入れるだけでいい。カフェラテを淹れるとなると牛乳を温めねばならない。つまり手間が増えるということだ。それを直感的に感じ取った俺が、無駄な行動をする俺を無意識に止めてくれたのだろう。だから動かない体でも扉を閉めることができたに違いない。

 俺の隠れた賢さに感心しつつ、俺は砂糖入りのコーヒーを淹れてソファに座る。時計を見ると、長針と短針は喧嘩中なのか、お互い正反対を向いていた。だが今の俺にはもう関係ない。うたた寝でもしてゆっくり休むとしよう。としたのだが、寝られない。きっとコーヒーを飲んだせいだろう。カフェインには覚醒作用があるからな。しかしなぜ効いてほしくない時に限って効果があるのだろうか? ここぞという時には全く効かないくせに。甚だ――

「大ニュースじゃ青年」

 不意に後ろから聞こえる女性の声。振り替える間もなくレイが目の間に飛び込んでくる。

「ついに娘子を見つけたぞ」

レイの言葉を受け全身の血管が拡がる。

「場所は?」

屋久良やくら神社じゃ」

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