Kidding kidnapper 15

 時刻は十時。確か土曜日のはずだ。外から聞こえてくる子供の騒ぐ声。差し込む日差しに晴れない心。どうやらリセットボタンは壊れてしまっていたらしい。

「ずいぶんとよう寝ておったのぉ」

前回のセーブポイントはどこだっただろうか。

「しっかしまさか、スズメの代わりに見ていたものが聞くも涙、語るも涙の話の発端になるとはの。思いもせんかったわい」

思い出せないが、そんなことはどうでもいい。

「なんでここにいるんだ?」

「いやぁ、おぬしについておると面白いものが見られそうじゃからな。こっそりひっそりじゃ」

確かに公園でスズメを見ているよりは飽きも来にくいだろう。まだ春先だしな。

「だったら助手として働いてくれないか? 何だかんだ幽霊の特性は便利だからな」

「おぬしがわしを無視しなければの」

そいつは無理な相談である。ただでさえ気が重いのに、こいつと話していると余計疲れる。

「時と場合が許して、なおかつ俺が疲れてない時ならな。俺はもう寝る」

「これはまた意外や意外。おぬし、気にならんのかえ」

「あの子がどうなろうが俺には関係ないからな」

レイがさらに不思議そうに俺を見つめる。一体何がおかしいというんだ。

「何を言っておるのじゃ? わしは報酬のインサイダー取引について言ったつもりだったんじゃが」

 はめられた。というわけじゃない。確かに俺の頭は昨日の出来事、特に理解不能な犯人の自己犠牲のことで一杯だった。だが、取引の件も決して忘れていたわけじゃない。寝起きの回らない頭で聞いたところで何の益も生めそうにないから聞かなかった。ただそれだけのことだ。

「気になるなら直接聞いてみればよかろ?」

「どうせ明日には向こうから連絡が来る。それまで待つさ」

レイにかぶりを振って、俺は再び入滅することにした。もちろん今寝れば、昼や夕方に起きることになるのであるが、そんなことはどうでもよかった。




 普段はおおよそ九時前後に事務所に着くよう家を出るのだが、案の定深夜に起きてしまい、その後も寝ることができなかった俺は早めに家を出た。時間的には八時前後に事務所につく算段だ。リセットボタンは効いてないものの、モヤモヤが渦を巻いて大きくなっていっている、なんてこともない。つまりポーズ画面にはしておくことができた、というとこだろう。

 朝からやかましいレイを引き連れながら日曜の朝、慌ただしさを忘れた人気のない街を歩く。

 そして事務所に辿り着き中へ入ると、すでに雨夜がいた。応接用のテーブルにはカフェモカが入っていたと思われる空のカップが置かれている。

「早いんだね。今日は」

一体こいつは何時からいるのだろうか。もしかして事務所で寝泊まりしてるんじゃないだろうか。こいつならやりかねない。などと真実味が有りそうで無さそうなことを考えつつ、俺はいつもの席へと座る。

 雨夜の方を見ると、何か言いたげで、少し怯えたような感じでこちらを見ている。きっとあれのことだろう。

「まだ三代からの連絡は来てない。安西にも昨日電話したが、捜索願は出てないそうだ。だが、もしそれと思しき物が出された時は連絡してくれるとさ」

「そう……」

雨夜のトーンが少し沈み、どことなくやるせなさそうな気配を出している。

 俺は日課のメール確認をするためパソコンを立ち上げるのだが、前回も言ったように携帯が鳴ってない以上、その結果は日の目をみるより明らかである。当然何も来ていない。となれば特にやることもない。仕方がないのでパイプ道を究めるべく、机に落ちないようパイプに葉を詰める。葉を詰め終わり、給湯室へと向かい、お供のコーヒーを淹れる。湯気と共に広がる香り。

 全ての動作が様になっている気がする。完璧な流れに、満足しながら机へと戻ると、雨夜がパイプ葉を手に取りしげしげと眺めていた。

「どうした? 何かおもしろいことでもあったか?」

後ろから声をかけると、雨夜は葉を持ったまたこちらを振り向いた。

「そうじゃなくて、けっこう好きなの。匂い。ラタキアの」

ラタキア? ラタキアってなんだ。葉の種類か? しかしここで聞き返すと無知をさらけ出すことになる。だから聞き返さずに後で調べておくとして、葉の匂いが好きとは珍しい。確かにその銘柄――ビッグホーンは独特な匂いがするが。まぁ、好きなら好きでそれは良いことだ。

「そんなんで良ければいくらでも好きに嗅いでくれ」

そう言うと少女は緩やかに顔をほころばせた。

 そして少女はソファへと戻り、俺はパイプに火を点ける。

 相変わらず嫌な苦みが舌を刺す。どうしてパイプはこう旨くないのか。

 そういえば雨夜は前回の空き巣事件のように、今回も現場へと結果を見に行かないのだろうか? そう思って雨夜を見ると、少女は何とも形容しがたい形の金属片を手入れしていた。Z字の上下の棒を開いて稲妻のようにし、それを繋ぐ連接棒の上側に三本、下側に二本短い金属やすりをつけたような、とにかくそんな形だ。

 レイも初めて見るものなのか、体を突っ込んでいろんな角度から見ている。俺もそれがなんなのか、皆目見当もつけられずに眺めていると、少女は何かを思い出したかのように突然こちらを振り向き

「これは、ドラゴン。すごい便利」

と言ってきた。ただの金属片を依り代にドラゴンを召喚できるとも思えないので、きっとピッキングに使う道具なのだろう。

 特にやることもなく、俺と雨夜はそんなこんなをしながら過ごしていたわけである。あるのだが、その雰囲気は前のような至福の一時という感じではなく、今にも切れそうな糸が張られていくのをただ眺めているだけの、自分ではどうしようもない緊張感を強いられているような空気だった。


 何もせずとも時間だけは順調に流れ、気付けば辺りは暗くなりかけていた。さすがにやることがない。レイも暇を持て余したのか、カラスでも眺めに行ったようだ。そろそろ三代から連絡が来てもいい頃だろう。携帯を懐から取り出し、机の上に置く。するとこの動作を待っていたかのように携帯が鳴り始めた。この番号。三代からのものだ。

「はい。本倉ですが」

『三代です。助手の方に代わってもらえますか?』

最初から俺に用はないと言わんばかりの口調である。仕方がないので電話を代わろうと、ソファに腰かけている雨夜に声をかけるも

「いい。後で、教えて」

との返事が返ってきた。その言葉通り雨夜は全くソファから動く気配がなく、なぜかは知らないが代わる気はさらさらなさそうである。どうしてこうも皆自分勝手なのか。

 仕方がないので雨夜は出る気がないことを電話口で三代に伝える。

『そうですか。なら伝えておいてください。自分は自首することにしました。それではまた』

そう言って電話を切ろうとする三代を慌てて引き留める。

「ちょっと待ってください、一つ聞きたいことがあるんです」

 そう。かくいう俺も、自分勝手ながらどうしても三代に聞いておかねばならないことがあった。

『何ですか?』

それはこの三日間、リセットボタンでも消せない厚い雲となって俺の胸を曇らせ続けた、犯人の自己犠牲についてだ。

「なぜそこまで出来るんですか?」

赤の他人のために自らが危険な橋を渡る。その精神は尊ぶべきものなのだろうが、一円にもならないし俺には全く理解できない。理解できないなら理解不能として捨ておけばいいのに、なぜだか捨てられない。雨夜の義憤にあてられたせいだろうか。

『何をですか?』

 もしくは中途半端にしか三代の事情を知らないせいかもしれない。他人のためにそこまでする理由を三代に聞き、そんなものは必要ないと根本から判断できれば心も晴れるかもしれない。俺はそう考えたのだ。

「赤の他人のために、捕まるのもいとわず」

『そんなことですか。あなたにもわかりますよ。いつか。何を捨てても助けたいものがある、とね。それに探偵なら、色んな犯罪者を見てわかってるとは思いますが、金で幸せになれるわけじゃない。お金は必要条件ですが、十分条件じゃない。いや、ともすれば必要条件ですらないんです。あいつらもそれに気づけば、ミナも寂しがらずにすんだ……。暇ならムショに面会にでもきてください。それでは、またいつか』

そう一方的に言われて、電話は切られた。

 全然答えになっていなかった。確かに俺も金一筋に生きる者であることは否定できないが、間違っているとも思えない。何と言っても資本主義とはそういうものだろう。それに金より大切なものがあるとしたら、それは自分自身だ。他人なんかじゃない。何を疑う必要がある。そう頭では考えるものの、依然として胸の重しは取れない。それどころか、その質量をぐんと増していくような気さえする。なぜだろうか。三代が自首したという結果を雨夜に今から伝えなければならないからだろうか。

 結果を伝えるべく雨夜へと近づいていく。待つ雨夜はどこか怯えたような、そんな顔をしている。

「三代は、自首することにしたんだと」

俺の言葉に雨夜は何も答えず、悔しそうで悲しそうな顔をしながら力なくうなだれてしまった。一方俺はと言うと、そんな雨夜を見かねて励まそうとするものの、何も言葉が出てこない。

 どこか晴れない胸。ソファから動こうとしない雨夜。益々重くなる空気。それらから逃げるように俺は給湯室へと向かった。

「まぁ、こういうこともある。そういう仕事だからな。すぐにとは言わんが、あまり引きずるなよ」

言い聞かせるようにして、いつもより気持ち甘めにしたカフェモカを雨夜の前に置く。

「……そう、だよね。ありがとう」

顔を下げたまま、質量を感じない空虚な響きを伴った言葉で答える雨夜。そんな雨夜を見て、また一つ気付いたことがある。

 普段からクールで、捉えどころもないが、稀に愛らしさを見せる雨夜。そんな彼女の悲しむ顔は、二度と見たいものではないということだ。

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