Kidding kidnapper 14

 この部屋は世界のよどみ点なんじゃないか。そう思うほどにこの場の圧がひどく高まっていた。そんな中でも流れを作ろうと雨夜は必死に言葉を探しているようだったが、それも無駄に終わったようで、顔を歪めて歯噛みしている。

 その時だった。ダイニングの入口、分岐点にある扉が音もなく、わずかに開かれていく。

「どうしたの? 何かあったの?」

開かれた扉の隙間。そこから覗き込むように顔を出したのはシナリオのメインキャストである女の子――ミナちゃんだった。

「その人たちは?」

ミナちゃんは俺と雨夜を見咎めたのか、委縮したように尋ねる。

「ああ、この人たちは俺の知り合い。お客さんだよ。だからほら、挨拶しておきなさい」

三代がそういうにも関わらず、ミナちゃんは扉の裏で縮こまって表に出てこようとしない。きっと人見知りなのだろう。

 ここは年配者である俺が何かフォローすべきだろうが、なんと声をかけるか。そんなことを悩んでいると雨夜が立ち上がり、ミナちゃんの元へと近寄っていく。扉の前まで行くと、雨夜はミナちゃんの目線より少し下になるよう屈み込んだ。

「私はね、結、って言うの。あなたは?」

ミナちゃんは意を決したように顔を上げるが、言葉が出てこないのか、再び俯いてしまった。

「その服、よく似合ってるね。自分で選んだの? それともお母さん?」

「……お母さん」

「そっか。お母さんが選んだんだ。お母さんのこと好き?」

ミナちゃんは顔を上げ、目を輝かせながら大きく口を開け、返事をしようとした。しかし、それも一瞬のことで、すぐに目の輝きが失せていく。

「最近はあんまり……かな……」

「そうだよ、ね。寂しい、よね……」

次第にミナちゃんの頭が落ちていく。そしてミナちゃんの顔はついに見えなくなってしまった。

「ちょっと違うけど、私もね、そういうことがあったの。昔」

言葉を区切るように雨夜は続けた。

「ミナちゃんと同じくらいか、それより少し、小さいころかな。私、お父さんとはぐれちゃったの。海の上で。どんどん、お父さんが見えなくなってって、一人ぼっちになった。怖かった。すごく。このまま、死ぬんじゃないか、って。心細かった。とても。自分じゃどうしようもなくて、もうだめだ、って思った。でもね、お父さんは来てくれた。だから大丈夫。来てくれるよ。絶対」

ミナちゃんがゆっくりと頭を上げていく。

「……ほんとに?」

「ほんと。だめでも、私がなんとかしてあげる。絶対」

さきほどまで失われていた光が、

「だから、もうちょっと、その部屋で待っててね」

次第に色をさし始める。

「できる?」

「じゃあ待ってる! じゃあね、お姉ちゃん」

俺の位置から雨夜の表情は見えなかったが、きっと大層穏やかな顔をしていたに違いない。そんな様子が俺のまぶたにも容易に浮かんだ。

 ミナちゃんが部屋に戻るのを見送り、雨夜が立ち上がる。振り向いた少女の顔は、先ほどまでとは打って変わって、暗く、沈鬱な顔をしていた。少女はそのまま力なく歩いて、元いた席へと座る。さっきまでとは少し違う雰囲気のよどみ点が形成されている。俺は、そう感じた。

 滞留する沈黙。新たな流れを生み出すには、今とは別のラインを作る必要がある。とはいうものの、そのラインとはどこから来て、どこに向かうラインなのか。一体どう繋いだらいいのか。俺には全く見当がつかなかった。雨夜はなおも鬱然としている。俺にできることは何もない。やはり今は三代に期待するしかない。頼む。新たな流れを作り出してくれ。

「さっきは、取り乱して悪かった。もしかしたら君の言うことも一理あるかもしれない」

俺の祈りが通じたのか、一縷いちるのラインが三代によって作り出さる。流れ出した空気に、雨夜の顔にわずかばかりの希望が蘇る。

「じゃあ――「ああ、あと二日は待ってみる。その間に捜索願が出されたかどうかは、あいつらに電話して聞く。君も警察への伝手つてがあるなら聞いてみてくれ」

雨夜が懇願の目で見つめてくるので、俺は無言でうなずく。

「だが、もし、それでも出されなかった場合、俺は自首する。その時はあいつらも捕まる。ミナは親戚の家に回されるか、最悪一人になるだろうが、それも仕方ない。その時はもう、あいつらがいてもいなくても同じだからな」

途端に雨夜が三代の方を振り向く。その横顔は何か反駁はんばくしたそうな、そんな顔をしていたが、言葉を紡ぎだすことができなかったのか、ゆっくりと沈んでいく。

「そう、ですね……。ならないといいな、嘘に……」

「ああ、そうだな。俺もそう思う」

 雨夜と三代の間では話がついたようで、連絡先を控えた後に会話が再開されることはなく、すっかり冷めてしまったカップを各々空け、その場はお開きとなった。



 雨夜と俺、さらには三代の家で一言も喋ることなくひっそりとしていたレイ。三人で行く帰り道。俺はまだ一人、蚊帳の中にいるような気分だった。いや、待てよ。一人ではないかもしれない。もしかしたらレイも蚊帳の内側の人間、ではなく幽霊なのではないだろうか。道化幽霊と同じ思考なのは情けないが、こいつならあるいは。そう期待しつつレイの方を見るも

「あればその身を縛るが、なくては生きて行かれぬ。まっこと、情とはめんどうなものじゃて」

などとパッと見だけは深そうな供述をしており、どうやら外側の幽霊であるようだった。

 雨夜の方はというと、その足取りは未だ重く、とても話しかけられそうな様子ではない。

 自らの理解の範疇はんちゅうを越えた世界で繰り広げられた茶番劇にひどく疲弊した俺は、とにかく一刻も早く家に帰りたかった。早く帰って睡眠という感情リセットボタンを押したかった。そうすれば謎の胸のモヤモヤも取れるかもしれない。

「昨日、今日と疲れただろ。今日の残りと明日は休みにするから、事務所へは来なくても大丈夫だ」

俺は逃げるようにそう伝え、タクシーを捕まえて雨夜を事務所まで送り、すぐに家に帰った。

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