Kidding kidnapper 13
部屋まで直接訪ねると、先ほどの沈黙が嘘であったかのように玄関の戸はすんなりと開かれ、硬派で寡黙そうな犯人の男が出迎える。
「突然おしかけてすみません」
「気にしないでください。どうぞ中に」
玄関には男のものと思しきウィスキーコードバンで作られた少しくすんだ革靴と、誘拐された女の子のものと思しき可愛らしい運動靴が置かれている。耳の方を意識すると控えめな音量で何かしらの音楽がかけらているのがわかる。たぶんマーラーの交響曲第四番だろう。確かに靴は履けば似合うのだろうが、雰囲気に合わず意外と上品な嗜好である。
男に促されるままさらに進み、俺たちは一人で過ごすには広すぎるであろうリビングダイニングにある、これまた一人で使うには大きすぎるであろうダイニングテーブルへと座る。
「何か飲みますか?」
犯人の男はなかなかどうして礼儀正しく物あたりの柔らかい男なのか、キッチンの方へと回り込み問いかけてくる。
「すみません。わざわざお気遣いありがとうございます。ではコーヒーがあれば頂けますか?」
「ミルクと砂糖は?」
「無しでお願いします」
「君は?」
「カフェモカ」
「わかりました。少し待っててください」
キッチンで男が手際よくコーヒーを淹れている。鼻を
「どうぞ」
俺と雨夜の前にカップを置いてから、男はちょうど俺たちの対面に位置する席に着いた。男の前に置かれたカップは明るい赤色の紅茶で満たされている。きっと匂いからしてウバの紅茶だろう。
俺を含め雨夜も男もカップに手を伸ばし、探るよう飲み物をしっかりと口に含む。誰もが息をつかない膠着状態の中、先陣切ったのは犯人の男だった。
「今はこの曲じゃねぇな……」
独り言のようにそう呟いて男は立ち上がり、バックミュージックとして流していた曲を止める。再び席に着くと男はもう一口紅茶を飲み、一息ついて口を開いた。
「名前がまだでしたね。自分は
三代の挨拶を受け、俺と雨夜は改めて自己紹介をする。
「誰から頼まれたんですか?」
「それはプライバシーに関わるので言えませんが、少なくともあなたが連れ去った女の子の親ではありません」
「そうですか」
三代が力なく言葉を漏らす。
「連れ去った、って言うより、隠した、だろうけど。そう、ですよね?」
雨夜の言葉を聞いて、三代の瞳が鋭く光る。
「さっきのインターホン。あれも君だった。君は全てわかってるのか?」
「ええ。たぶん、ですけどね」
「説明してくれるかな」
そう言って三代は机の上に肘をついて組んだ手の上、口を覆い隠すよう顎を乗せた。
「わかりました」
雨夜はカップを両の手で取り一呼吸ついた。
「結論から言うと、三代さんは大麻の
三代の眼光は依然鋭く、何も言わずにただ黙っている。雨夜はそれを同意と受け取ったのか、手にしたカップを何となしに眺めながら、独白するように言葉を続けた。
「三代さんと女の子は面識がある、っていうのは最初から知ってたから。当然女の子のお父さんとお母さんとも面識があると思った。だから、三代さんとその二人、何か共通点がある。そう考えた。でも、まだ、わからなかった。その時は。どこで繋がるのか。だから、私たちはこの部屋を向かいのホテルから監視してた。本怪しかったしね。本当に誘拐なのかも」
雨夜の目は依然朧気にカップを眺めている。
「それでね、見てて気づいたの。これは単なる誘拐じゃない、って。誘拐にしては変だったから。女の子を隠そうとしないところも、特に何かするわけでもないところも。まるで、気付いてほしいみたいだった。ここに、女の子がいるんだ、って。だから、何か他に目的がある、そう思った。でも、その理由も、わからなかった」
三代の瞳は鋭さを増し、続きを催促するかのように雨夜を見ている。
「それの少し後でね、知り合いの刑事さんから聞いたの。女の子の捜索願が出てないこと。でも、おかしいよね。そんなの。焦るよね。子供がいなくなったりしたら。何でもするよね。大切な人を見つけるためなら。普通。少なくとも、私は……そう……。でも、女の子のお父さんとお母さんはそうじゃなかった。だから思ったの。女の子の家にはあるんだ、って。隠さないといけないような、見つかったらいけないような何かが。それでね、これは勘、なんだけど、その『何か』が二人と三代さんを繋ぐ共通点なんじゃないか、って、そう思ったの」
雨夜は手に持つカップをさすりつつ、言葉を続ける。
「それともう一つ、隣の探偵さんが、三代さんが大麻を持ってるって教えてくれた。その時思い出した。最近大麻の流通量が増えてる、って、三日前に刑事さんが言ってたのを。それで閃いた。もし女の子のお父さんとお母さん、家で大麻を栽培してて、三代さんがそれを捌く売人をしてるなら、全ての
沈んでいく三代の頭を、組んだ手が額のところで支えていた。そんな三代を、雨夜はカップを置いて見つめていた。
かたや俺はというと雨夜の推理を聞いて、犯人の描いたシナリオを一人考えていた。きっと雨夜の言ったことは全て合っているのだろう。三代の反応を見てもそうだとしか思えない。だが、だからこそ俺には理解できない点があった。
「それでね、ここからは想像、もちろん今までもそう、なんだけど。三代さんが隠した女の子、寂しがってたんだと思う。自分よりも、大麻の栽培に夢中になってるお父さんとお母さんに。三代さんはそれに気づいた。なんとかしてあげたかった。例え、自分がどうなっても。だから、この事件を起こしたんじゃないかな。普通の親なら、大麻よりも子供を選ぶと思ったから。捜索願が出れば、子供、特に女の子なら、すぐに色んな所で報道されるしね」
そう。正しくそこなのだ。もし親が子供を取った時――捜索願を出した時――は、女の子を自然放流でもする算段だったのだろうが、誰も見ていないとも限らない。リスクが大きすぎる。また大麻を取った場合でも
つまり、どんな形にしろ物語が結末を迎えるためには三代自身が捕まるか、あるいは捕まらずとも、今にも落ちそうな手製の吊り橋を渡らなければならないことになる。それも他人のために。寂しがってる他人の子供を助ける。ただそれだけののために、なぜそこまで自分の身を犠牲にするのか。誰かに強要でもされてるんじゃないのか?
「これが筋書。私の、考えた。いちおう、筋は通ってると思うけど」
釈然としない俺をよそに、雨夜は全てを見通しているからなのか、これ以上何も言いそうになく、対する三代も動きそうにない。流れる沈黙の中、二人の時間だけが止まっているようで、俺は一人蚊帳の外、ではなく蚊帳の中にいるような、そんな気分に陥った。
不快な沈黙を前に、俺は葛藤していた。
今すぐにでもこの空気を払いたい。もちろん蚊帳を壊すなら簡単だ。警察に一本の電話でも入れたらいい。そうすればすべて解決だ。当然今までの俺ならそうしただろう。だが今はそうじゃない。そうしてはいけない。何かが俺を止めている。何が俺をこうしたのかは知らんが、なぜかそんな気がするのだ。だが俺に何ができようか。ここまで導いてきたのは雨夜だし、導かれてなお、俺は犯人の意図、その核心に辿り着けていない。一人何もわからず蚊帳の中にいる俺の声など外の世界に届くはずがない。
どうしようもない現状に俺はただ傍観することしかできず、破りようのない沈黙が続く。その中をまたしても先陣きったのは三代だった。
三代が大きくゆっくりと息を吐く。
「君の言う通りだよ。全てね」
「なぜ? なんて、聞きません。でも、どうするんですか? 昨日の時点で捜索願は――「出されてない。そうなんだろ? あいつらは大麻を選んだ。そういうことだ」
雨夜は何かに急き立てられたのか、突然立ち上がる。
「でも、まだ、まだ可能性はあるはずです。もしかしたら、今、二人は大麻を処分して――「どうだかな……。さっきは全て言った通りだと言ったが、違うところが少しだけある。まずミナは家出したことになってる。『構ってくれなくて寂しいので家出する』と書いた手紙をあいつらの家のポストに入れてきた」
「それを見てないだけなんじゃ――「それはないな。俺のところにあいつらから電話が来たからな。『ミナをどっかで見なかったか』ってな。俺は見てないこと、警察に相談することを勧めた。だがあいつらはこう言ったんだ。『それはできない。ばれたら困る』ってな」
「でも、子供のやることだから、すぐに帰――」
突然、鈍く激しい音が響き渡る。と同時に、ガラスのぶつかりあう音が耳に突き刺さる。
「もう二日だぞ! 考えてみろ! 八歳になったばかりの子供が! あてもなしに二日も外で生きていけると思うか? そんなわけねぇよなぁ!」
三代の気迫に押されたのか、雨夜は力なさげにふらりと椅子に吸い込まれ、二の句が継げずに固まっている。ただカップの中の紅茶だけが激しく波立っていた。
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