Kidding kidnapper 11
翌朝。目覚めてカーテンを開き外を見る。向かいの建物から東の方に目をやると、少しだけ雲のかかった空が明るくなり始めていた。
眠りの感情リセット効果とはすごいもので、昨日の不快な感情は月と一緒に地球の裏側に隠れてしまったようだ。あと数時間ほどしたら雨夜に付き合い、わざわざ犯人のところへ行かねばならない。そんな面倒事が待っているというのに。
「――清少納言もよく言ったもんだ」
なぜだか少し晴れやかな気分だった。
出たがる欠伸に抵抗することなく大きく伸びを一つ。そのまま体の向きを直すと、まだベッドの上で小さく丸まっている雨夜の姿が目に入った。寝る前より少し湿度の下がった気がする部屋を静かに通り抜け、俺は目覚めの一杯を淹れるべく階下へと降りることにした。
右手にコーヒー、左手にカフェモカを持ち部屋の前へと戻ってきたのだが、立ちふさがるドアを前に、俺は一つの失態に気付いていた。両手が塞がっているせいでドアを開ける難易度が高い。俺がもしプロメテウスに愛されていれば、事前に何らかの上手い手を先に考えておけたのだろうが、世の中そんなに甘くない。せめてエピメテウスからだけでも愛されていることを祈って現状を打破する方法でも考えよう。
ひとまず自分のコーヒーを床に置き、鍵を取り出し鍵を開け、扉を開けて中へと入る。すると雨夜がベッドの端に腰かけているのが見えた。
「一応カフェモカも淹れてきたんだが、飲むか?」
雨夜は起きるのが早くても寝覚めは悪いようで、いつもよりゆったりとした動作で頷いている。ベッド脇のサイドテーブルにカップを置いてやると、雨夜は座りながらもすりすりとカップへ近づいて行った。
眠そうに眼を閉じ、黙ってカフェモカをすする雨夜。それに合わせるように、俺もコーヒーをすする。
「寝ぐせついてるぞ」
「そう。直すから。後で」
「……しかし家に帰らなくて本当に良かったのか?」
「そんなに気になるなら、聞いてみてよ。直接。また、いつか」
「俺がか?」
「そう。探偵さんが」
空になったカップをサイドテーブルに置いて少女は立ち上がり、するすると部屋の出口へと向かっていく。きっと寝ぐせでも直すのだろう。というのは何とも甘い予測だった。
「シャワー、浴びてくる。たぶん、どこにも行かないだろうし」
「――ちょっとまっ」
雨夜の押しの強さと機動力を前にして俺が止めに入ることなど出来るはずもないことは明白であり、かける言葉も空しく雨夜は浴室へと消えていった。
先手を打ち損じた俺にもファルサルスの戦いで戦術を一新したカエサルのような機転があればと思うと残念でならない。その理由は言わずもがなであろう。雨夜は傍から見れば、それはそれは真っ白な鉄砲百合も恥じらい赤くなるほどの美少女である。そして俺は年上と言ってもまだ二十一の若造である。まだ場数を踏めていないペーペーなのだ。
そんなけしからん状況に俺の理性は過負荷状態にあった。負荷を減らそうとレイの姿を探すが、どこにもいない。全く肝心な時にいないやつである。ちゃんと行き先と帰る時間を言うようにと子供の時に教わらなかったのだろうか。なんて冗談を言っている場合ではない。このままだと俺はカフカも驚く変身をしてしまいそうだ。もちろん芋虫なんかにではなく、もっとこう、まずいものに。
早々に限界を感じ取った俺は双眼鏡で視界から煩悩を排除し、犯人の部屋を監視することで思考から煩悩を締め出した。いつか雨夜の親と話す機会があれば幼気な俺をたぶらかすような行動を慎むように注意してもらおう。
禅の修行とも取れる監視を始めてから、およそ二十分が経過した頃。後方から猛烈なモーター音が飛んできた。きっと雨夜がシャワーを浴び終え、髪を乾かしているのだろう。もちろんそれはそれで十分に魅力的で
そんなことを考えている内にドライヤーの
「お待たせ。それじゃあ、行こっか」
「ああ、そうだな」
雨夜の呼びかけに平静を装い返事をする。そして俺は急いでチェックアウトの支度をし、雨夜と揃ってホテルを出た。不意に空を見上げると早朝に細く紫がかっていた雲は、いつの間にやら次第にその数を増やしており、日の光を陰らせ始めていた。
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