Kidding kidnapper 9

 時刻は二十一時。これといって相手さんに変化はない。やたら静かだと思い部屋の中の様子を見ればレイの姿はなく、気付けば雨夜も寝てしまっているのだろうか。近づいてみると小さな背中は規則正しくゆっくりとしたリズムを刻んでいた。軽く身を乗り出して顔の方を覗き込むと、実年齢より少しばかり幼く見える、安らかな寝顔が目に映った。

 レイに関しては心底どうでもいいのだが、もし俺が羊の皮を被ったオオカミだったとしたら雨夜はどうするつもりだったのだろうか。それとも俺にそんな度量はないと踏んでいたのだろうか。謎の知識と誰から教わったかもわからない技術。大層壮絶な世界で生き抜いてきたのかもしれない。そう考えれば肝の据わった態度にも、妙なところでモノを知らない点にも蓋然性がいぜんせいが生まれてくるというもんだ。さっきは憎たらしかったが、それでもやはり今のように無防備に寝ているところを見ると、若干の幼さが残る、顔立ちの整った、ただの一介の少女にしか見えないものである。

 寝ている雨夜を起さぬよう静かに窓の前へと戻り、再三双眼鏡を覗き込む。のであるが、やはり特に変わった様子はない。誘拐された女の子の部屋はすでに電気も消え、どうやら寝てしまったようである。八歳の子供だと考えれば当然とも言える。一方隣の部屋はというと、未だに電気はついているものの、カーテンが閉まっていて中の様子が見えない。

 遅々として進まない物語に俺は一種の焦りというか焦燥というか、胸が焦げていくような、漠然とした感情を抱いていた。

 この気持ちは何だろう。という負の谷川俊太郎状態になりつつも、気分転換にとサービスドリンクであるコーヒーを淹れに階下に降りようと決意した。その時だった。向かいの建物の窓からレイが飛び出してくる。かと思えば、通過駅で見る特急列車のような勢いで近づいてくるものだから、俺は反射的に横へと避けた。

「大ニュースじゃ! ついに奴がベランダに出てくるかもしれんぞ」

と思ったのだが、隣からレイの声が聞こえる。どうやら俺は通過駅ではなく終点だったらしい。

 きっとレイはあの部屋でずっと犯人を見ていたのだろう。そして犯人の男が動き出そうとしたところで俺に知らせに来てくれたというところか。

「なぜやつは外に出てくるんだ?」

「やつがパイプ、のようなものを持って立ち上がったからの。前もそうじゃったから今回も外で吸うに違いないわい」

そいつは中々有力な情報である。そうとなればレイにかまっている暇などない。探偵が私情を持ち込むことは一切疑う余地もなく厳禁であるとはいえ、犯人としてではなく一人のパイプ先輩として一体どんな銘柄の葉っぱを吸うのか非常に気になる。もし犯人がビッグホーンを吸うなら気が合いそうだ。どれもこれも大しておいしくなかったが、今まで試した葉の中では一番ましだったからな。

 そんなことを考えていると犯人が手に何かを持ってベランダへと出てきた。何か、というのは俺の想像していたようなパイプとは趣を異にしていたからだ。

 パイプといえばかの有名なマッカーサーが持っているコーンパイプや、ポパイがくわえる直線的なポッカー型、シャーロックホームズが持っていそうなぐにゃりと曲がったオームボール型など思い浮かべる形は様々であろうが、こと色味に関して言えば茶色や黒、あるいは生成きなりなど地味なものを想像するだろう。しかし犯人の持つそれは、まるで熱帯の原生林から適当に色を抜き取ってきたかのようなカラフルな彩色が施してあり、形もひょうたん型と何とも奇抜な見た目をしていた。

 あの不思議なパイプ、どこかで見たことある気がするのだが思い出せない。とりあえず今は俺の個人的嗜好として銘柄だけでも押さえておきたいところだ。

「なぁレイ」

「なんじゃ? わしの功績を褒め称えてくれる気にでもなったのかえ? そうであれば幽霊から二階級特進で精霊としてくれてもよいのじゃぞ?」

お前のようなとんちきな精霊がいてたまるか。そもそも精霊と幽霊の階級差が二つというのもどうなのだろうか。間には妖精でも入るのか? しかし心の広い俺が、色々なことに目を瞑り、百歩譲って昇進させてやるとしたら、まぁせいぜいボギー程度だな。

「犯人の吸ってる銘柄とかわかるか?」

「わしはパイプなど吸わんからの。さっぱりじゃ」

そりゃそうか。車に興味のないやつからすればフェラーリは全てフェラーリで、ランボルギーニもまたしかり。門外漢に種類の区別なんてつくわけない。

「パイプの葉が袋とか缶に入ってたと思うんだが、それの特徴とかはどうだ?」

「特徴……特徴と言われてものぉ……」

「何かあっただろ? 袋なら色とかデザイン、缶なら形とか」

「袋に入っていたことは確かなんじゃが、名前がわからぬ……。透明で口のところを指ですーっとやって閉じる袋があるじゃろ? あれに入っておったからの」

いわゆるジップロックとかいうやつだろうが、缶にせよ袋にせよ既成の入れ物からわざわざ移し替える必要があるか? 何とか理由を付けるなら加湿のためとかだろう。あるいはキセルの葉なら乾燥しやすいし、移し替えるのもわからなくはないが。

「その袋に脱脂綿とかウィスキーとか、湿り気のあるもんも一緒に入ってなかったか?」

「さすがにそこまでよくは見ておらんわい。見てくるからちょっと待っておれ」

「行くならついでに葉っぱの大きさも見てきてくれ」

レイは俺の言葉を聞いているのか、はたまた聞いていないのか。とんと見当もつかないまま飛び出していった。だがまぁ、きっとすぐに戻ってくるだろう。

 レイが確認しに行っている間に俺はベランダでパイプを吸っている犯人を観察しなおすことにした。

 やはりあのパイプ。見れば見るほどどこかで見たことある気がする。確か中学生になって初めての冬休みだったか。とにかくそれくらいのころだ。親に連れられてアメリカへ旅行に行った時だった気がする。いや。気がするではなくその時で間違いないのだが、どこで見たのか思い出せない。旅先で行ったホテルでもなければ、あの時会った謎の日本人でもない。きっとどこかの店に置いてあったのを見たんだろう。だが思い出せない。というかあの二つの癖が強すぎて他のことをほとんど覚えていない。

 ホテルでは見ず知らずの人がこれまた見ず知らずのやつに撃ち殺されてしまう事件が起きたし、ハンフリーボガートにも負けない渋さを出していた謎の日本人は初対面の俺に向かって

「会いに行くよ。またいつかね」

とか言ってきやがったからな。もしかしてあいつ俺のストーカーだったんじゃないか?

 話が逸れた。とにかく、アメリカではこの二つの出来事が重なったせいで、俺の旅行を楽しもうという気分は無残にもチッパーではつられたコンクリートのように粉砕され、次は何が起こるのかと戦々恐々していた記憶しかない。

 苦い記憶を掘り返しつつ、なおも双眼鏡を覗き込んでいると、男はパイプを吸い終えたようで部屋へと戻ってしまった。

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