Kidding kidnapper 8

 誰もいないロビーに降りた俺は念のために通話する振りをし、レイに改めて話を聞いてみた。

「どういうことなんだ? 本当に誘拐なのか?」

「誘拐に決まっておろう。なんせ犯人がそう言っておったからの。間違いないわい」

何を言っているんだこいつは。犯人本人がそんなことをわざわざ言うわけないだろうが。

「嘘じゃないわい。『これは誘拐だからね』と女子に言っておったと言ったじゃろうが」

「そんなの聞いた覚えがないんだが」

「はて? そうじゃったかの? いやぁすまんのぉ。じゃが奴が『これは誘拐だからね。お父さんとお母さん、選んでくれるかね』と言っておったのは確かじゃ」

なんだと。犯人はそんなことを言っていたのか。『パイプを吸っていた』とかいうどうでもいい情報はしっかりと伝えてくるくせに、なぜそんな大事なところを省略したんだ。情報の後出しは炎上の元だとネットリテラシーの授業で習わなかったのか。

 そんなことより犯人がレイの言う通りに発言していたなら、誘拐というよりむしろ、犯人が考えた台本を成立させるために女の子を親元から離しておく必要があったということになる。合意の上での仕組まれた誘拐ってところか。だが肝心な物語の背景も展開も、何一つ思いつかない。なぜ女の子をさらう必要があったんだ。誰か他に黒幕でもいるのか? エウリピデスでもシェークスピアでもチェーホフでも、この際誰でもいいから、誰かこの物語の結末を俺に教えてくれないだろうか。

『すみません。安西です。本倉さんですか』

突然耳元から聞こえてくる安西の声。

『おや? 電波状況が良くないのですかね? 本倉さん?』

音の発信源はどうやら手元、もとい耳元の携帯電話。となると携帯を耳にあてていたせいで勝手に電話に出てしまったというところか。技術の進歩というやつも便利なんだか不便なんだか。

 状況を把握できた俺は安西に用件を尋ねた。

『昼頃にお電話頂いた件、十歳くらいの女の子、でしたかねぇ。捜索願はこちらには出されていないようですよ』

「そうですか。わかりました。ありがとうございます」

『それでですね本倉さん。『気にかかること』とは一体なんなのでしょうか?』

この時俺は、今回の誘拐の件を伝えてはならないような、なぜだかそんな気がした。

「ああ、すみません。あれはどうやら僕の思い違いだったみたいです」

『なら良いのですが……。あまり一人で背負い込んではダ、メ、ですよ。それでは失礼します』

切れる通話。安西も心配してくれているのかもしれんが、相も変わらず琴線きんせんをハサミで断ち切ってくるような不愉快極まりない奴である。いつか暴発しないよう、珪藻土を敷き詰めるだけでなく雷管らいかんも取り付けておこう。などと出来もしないことを考えつつ、俺は電話の内容を雨夜にも伝えるべく部屋へと戻った。


 部屋に戻ると雨夜が健気にも双眼鏡を手に件の部屋を眺めていた。

「何か変わった様子はあったか?」

「特に何も。ただ男の人、隣の部屋の窓から見えたから、犯人じゃないかな。あの人。二十代半ばくらいだと思う」

二十代であのマンションを買えるとは大層稼いでいるに違いない。一体どんな悪いことをしたらあんなものを買えるというのだろうか。ぜひ教えて頂きたいものである。グレーゾーンまでならやるから。

「あなたの方は?」

雨夜が双眼鏡を覗きながら聞き返してくる。

「ああ、そうだな。さっき安西から連絡があってな、捜索願は出されてないらしい。それと匿名の依頼者からの追加情報でな、女の子を連れて行くときに男が『これは誘拐だからね』と諭すようなことをしていたらしい。だから犯人には誘拐以外の何か、別の目的があって連れて行く必要があったとか、そんなところだろう」

「……そう。わかった」

 しばらくして少女の持つ双眼鏡が大きく揺らいだ。

「知ってる? 捜索願を出すとね、まず始めに調べるのが、捜索願を出した人の家なの。もしかしたら、殺されてるかもしれないから。見つかってほしい、って、願われるはずの人が、その家で、ね。でも、あの子は生きてて、あそこにいる。試してるみたいだから、犯人。あの子のお父さんとお母さんも、生きてると思う。だからね、女の子のお父さんとお母さん、あるんだと思う。何か、隠さないといけないような、見つかったらいけないようなものが。家の中に。きっと、子供より、大切なものが……」

雨夜が語る間、彼女の持つ双眼鏡が降ろされることはなかった。


 少し湿度の増したような空気に若干の居心地の悪さを感じた俺は、

「交代するか」

と告げて雨夜から双眼鏡を受け取り、しばらく部屋の様子を観察していたのだが、これといって特に動きはない。腕時計に目をやれば時刻はもう十九時近くである。俺は特に問題はないものの、雨夜はどうひいき目に見ても十六、七くらいであり、夜遅くまで付き合わせるわけにはいかない。

「もういい時間だし、俺一人でも大丈夫だ。親御さんも心配するだろうし、もう帰った方がいいんじゃないか?」

双眼鏡を下げて雨夜の方を向いて呼びかけると、奥ゆかしくベッドに腰かける雨夜が僅かに目線を下げる。

「……大丈夫」

お前は帰らなくても大丈夫かもしれんが、俺の社会的信用性が大丈夫じゃない。

「心配性、だったけど、でも、大丈夫」

心配性って親がか? なら余計大丈夫じゃないだろうが。

「だったらなおさら困る。ちゃんと確認してくれ」

きつく詰め寄ると、年頃の雨夜は少し遅めの反抗期なのか、少し苦し気な表情を見せる。

「……私が良いって言えば良いの」

「ああ、そうかい。ならどうなっても知らんぞ」

「……いいよ。別に」

そう言ったきり彼女はベッドに体を預け、俺に背を向けて丸まってしまった。

 一方俺はというと、さらに湿度が増し不快指数が振り切りそうな空気から逃避するため、乱暴に双眼鏡を手に取り、監視作業へと戻るのだった。

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