Kidding kidnapper 2
時の流れとは意外と早いもので、ソファに腰かけ携帯を使いこなそうと試行錯誤している雨夜を眺めて過ごしていたところ、気付けば昼になっていた。
昼と言えば昼飯であるが、何だか雨夜が飯を食べているところを見たことない気がする。雨夜が訪れてきてからの記憶を探ってみてもそうだ。俺が昼飯を食べているときでも本棚の前で徹頭徹尾直立不動していた姿しか思い出せない。
「なぁ、雨夜」
呼びかけに応じて手を止め、巣穴から出たばかりのプレーリードッグのような姿勢と瞳で雨夜がこちらを見つめる。
「飯を食べてるところを見たことないんだが、腹、減らないのか?」
遠くに敵影でも見つけたのだろうか。雨夜の表情が少しの険しさを帯びる。
「もちろん、空くこともあるよ。そういうことでしょ。生きるって」
どうやらその敵影とは俺であったようで、ぐうの音も出ない正論による反撃がなされる。しかし今はそんな根源的なことを聞いているのではないのだ。
ミット打ちをしている最中に顔面へのカウンターを叩き込まれたかのような、そんな予期せぬ返答に足が立たなくなる俺であったが、ここでカウントを取らせているようでは年上の面目が立たない。
「そりゃそうだよな。生きてれば腹くらい減るよな。飯とか食いに行かなくていいのか?」
平静を装い何食わぬ顔で時計を指さし問いかける。雨夜も頭だけを動かして指が示す先を一瞥し、再びこちらに向き直す。
「持ってきてないから。買いに行くわけにも、いかないしね」
「買いに行くわけにもいかないことないぞ。何か食べたいなら行ってきたらいいさ」
俺の言葉に少女の目がしばたいている。なぜ驚く必要がある。獄中生活が長引くと全ての行動が許可制になってしまうのか?
「……いいの?」
「ああ。特に休憩時間とか決めてないしな。仕事がない時ならいつ行ってもかまわんさ。それに今ならこれもあるしな」
そう言って懐から携帯を取り出し二、三回振って見せる。
どうやら彼女も俺の仕草が意味するところを理解したようで、視線が俺の手元の携帯から、机の上にある彼女の携帯へと飛び移った。
「そっか。なら、行ってこようかな」
雨夜は携帯を手に取り、心なしか軽やかな足取りで外へ出ていった。
雨夜を見送った俺はお待ちかね、とはとてもじゃないが言えないパイプタイムへと移行すべく、パイプとタバコ葉に手を伸ばし、いそいそと準備をする。
「――話は終わったかの? 青年」
突然聞こえてきた女性のものと思しき明るい声に葉っぱを詰める手が止まる。
「終わったのかと聞いておるに」
雨夜はさっき出て行ったところだし、何より声のトーンが彼女のものと明らかに違う。ならば一体誰がどこから喋っているのだろうか。気配がないことからして、幽霊か忍びの者であることは間違いないのだろうが、声の発信源がわからない。周囲をくまなく見渡したものの、それらしき姿はない。
「何を慌てふためいておる。上じゃよ。上」
言われて天井の方を見やると、いた。若めな女性が空中で寝そべっている。
こんな芸当ができるのは幽霊だけだ。こいつは幽霊に違いない。さらに言えば、この話し方の癖の強さ。
「おぬし今わしと目が合ったじゃろ。なぜ相手をしてくれんのじゃ」
嫌な予感ほどよく当たるとは誰の言葉だっただろうか。案の定、ハモを捌くのと同じくらい面倒そうなやつである。
「まったく。わざわざ遠路はるばる一っ飛びでやってきたというに。少しは労ってくれてもよかろ?」
それにつけても、こいつにしろ雨夜にしろ、最近は突然事務所に現れるのが
「とりあえず降りてこい。話はそれからだ」
「なんじゃあ、つれないのう」
口をとがらせ、不承不承といった様子で女性の幽霊が俺と同じ目線まで降りてくる。
「それでなんの用なんだ?」
「実は頼みたいことがあっての、相談にきたんじゃよ」
こいつがどこでどう情報を得てきてここに辿り着いたかは知らないが、いちおう客という認識でいいのだろう。しかし依頼を受ける前に聞いておかなければならないことがある。
「依頼するのはかまわんが、こちとら商売でやってるんだ。幽霊が金を払えるのか?」
俺の当然とも言える質問に、女幽霊はすかさず答える。
「おお、痛いところをついてきおるわい。確かにわしらはお金とは無縁。持たざる身であることは間違いないの。まぁ死んどることを考えれば、その身とやらも持ってないがの~」
したり顔で俺を見てくる女幽霊。駄洒落型ではないゴーストジョークをかましてくるとは珍しいゴーストジョーカーである。だがいくら上級ゴーストジョーカーだと言っても、払う金がないなら依頼を受けるわけにはいかない。
「なら他をあたってくれ。俺も暇じゃないんでね」
「ほほぉ。目につきやす物事だけを見て、そんなつれないことを言ってもいいのかえ?」
なんだ? なにが言いたいだこいつは。
挑発的な物言いと含みのある口角に口が荒ぶりそうになるのを必死で抑え、あくまで淡々と意図を探りにかかる。
「何かいい考えでもあるってのか?」
女幽霊は悪代官のような不敵な笑みを浮かべている。
「おぬし、霊体であるわしらは、例えそこが光届かぬ海の底であろうが、生を望めぬ地の底であろうが、胸の焦がれる空の彼方であろうが、どこへでも行けることは知っておるじゃろ?」
もちろんである。現にこいつは、いつの間にかここに侵入していやがったからな。
「ところで話は変わるんじゃが、おぬし、インサイダー取引なるものを知っておるかえ?」
インサイダーか。およそ古風な装いをした長髪の女性幽霊から導かれる単語とは思えないが、おそらく一般で言うところのそれと同じ意味だろう。
「ああ、会社の内部事情を横流しして、証券で利益を得るとかのあれだろ?」
「うむ。
なるほど。確かにインサイダー取引は会社内部の者から情報提供を受けた場合にのみ成立するし、そもそも提供相手が幽霊であれば立件されようもないだろう。限りなく黒に近いグレーではあるが、完璧な計画である。
だが探偵として話に乗るのはいかがなものか。欲望という名の渦に理性が引き込まれた挙句、矜持を煩悩の大海に霧散させてよいものなのか。この問題、一人では解決できそうにない。
俺の心の師である性悪説を唱えた荀子によれば、人は生まれながらにして怠惰で強欲な存在であり、だからこそ更生するために教育が必要だということらしい。しかし幽霊との悪魔の取引についての是非を俺に教えてくれる者は誰もいなかった。つまりここで俺が話に乗ったとしても、教育不足を招いた周囲の環境が悪かったということになる。あるゲームで町を消滅させた少年が『俺は悪くない』と言っていたように、責任とやらをそのへんに転がっている馬の骨にでも嫁がせよう。
「その話、乗らせてもらおうか」
「ほぉ、やはり人とはかくも欲深きもの。しかしそれもまた是というものかの」
意味深な笑みを浮かべつつ話す女幽霊であるが、言っている意味がさっぱりわからない。こいつにしろ、ニヤけ野郎にしろ、これだから最近の幽霊は困るんだ。
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