Kidding kidnapper 1

 結局昨日どうなったかといえば、雨夜自身が納得できる味のするカフェモカを淹れられるようになるため、俺が手解きをするだけの一日となった。しかしそのかいあってか、今しがた事務所の扉を開いて中に入ったところ、ソファに支えられながら満ち足りた様子でカフェモカを飲む雨夜の姿が見えた。

 きっと弟子の成長を見守る師とはこういう気分なのだろう。この穏やかな心を得るために、俺も霊験道場なるものを開いてみても良いかもしれない。何より宗教法人と銘打って門下生を増やすことができれば儲けに儲けられるしな。

 そんな甘い考えが脳裏を三往復くらいは行ったり来たりしたのだが、四往復目に差し掛かろうとしたところで、よくよく考えてみれば生まれながらにして霊が見えていたので教えられることが何もないという事実に気づき、実の成りそうな一粒の種は消失してしまった。

 一円にもならなかったくだらないことを考えつつも社長椅子へと向かい、新たな依頼が来ていないかの確認をする。

「探偵さんも、飲む? コーヒー」

「ああ、悪いな」

 パソコンの電源を入れ、受信メール一覧を見る。とは言っても、パソコンへのメールは全て携帯の方へと転送されるように設定しており、携帯にメールが届いていなかった以上、パソコンにも来ていないことは、尾が東を向いている時に頭が向いている方角と同じくらい明白なのであるが、万が一にもと期待を込めてしまうところが人の悲しき性というやつである。

 そんな人の愚直さに気付いてしまい、嘆きの泉にかすかなさざ波を立てんと深く息を吸い込んだところ、鼻をくすぐる芳醇な芳香。出どころは給湯室のある方向。なるほど。きっと雨夜がコーヒーを淹れ終えようとしているのだろう。

 言ってる間に少女が慣れない手つきでソーサーに乗せたカップを運んでくる。

「はい。保証できないけどね。味」

置かれたコーヒーの黒い水面が振動でほのかにゆらめいている。カフェモカを十分に淹れられるならコーヒーの方もたぶん大丈夫だろう。

「ありがとな」

礼を述べつつカップを手に取り一口含む。雑味が排除され、後を引かない爽やかな苦みが口に広がったかと思いきや、奥底から恥ずかしそうに甘味が顔を覗かせてくる。一方で炒られたコーヒー豆独特の香りがこれまた気配り上手なやつなのか。その特異な図体で走り抜け傷つけてしまわないように徐行しながら鼻をくぐっていく。つまり、一言で表せばうまかったのだ。

「味については代わりに俺が保証しておいてやるよ。ありがとな」

「そう。なら、よかった」

安心したのか、雨夜が小さなため息を漏らす。

 こちらも一息つこうとカップを置くと、豆の油分で不気味に光るコーヒーの鏡面に少女の顔が映っていた。

「でも、よく飲めるね。こんな苦いの」

少し冷めた目で吐き出された雨夜の言葉。確かに賛同できなくはない。俺ももう少し若いころは苦味成分が苦手だった。しかしそれも過去の話で、格好つけるために飲み始めたブラックコーヒーも今となっては無くてはならない存在だ。

「知ってるか? 苦味を好んで摂る動物は人間だけらしい。だから俺は最も人間らしい嗜好をしていると言えるわけだ」

したり顔で屁理屈をこねくり回して雨夜の方を見ると、何やら考え事といった様子で首を傾げていた。

「そう、なのかな。そう、なのかもね」

今まで誰にも受け入れられなかった俺の持論を展開したわけだが、少女はガンジーも驚くほど無抵抗に受け入れてくれたようで、まるで自分に言い聞かせているかのように目を閉じそう呟いた。

「でも、やっぱり変わってるね。探偵さん」

目元を緩めながら優しく放り出された言葉は輪郭を朧気にする魔力でも秘めていたのか。窓から差し込む日の光が春を感じさせる穏やかな朝。淡く彩られた事務所にゆっくりと溶け込んでいった。


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