Burglar Burger 9

 朝事務所につくと、あたかも原初より存在していたかのように本棚の前に佇む少女の姿があったのだが、さすがに同じことに何度も驚く俺ではない。何事もなかったかのように給湯室に向かい、コーヒーとカフェモカを淹れつつ少女に声をかける。

「昨日の夜の話だがな、犯人らしきやつが見つかったらしいぞ」

「知ってるよ。見てたから」

意外すぎる一言に手元が狂い、お湯をこぼしてしまった。こいつはもしかして俺の家に盗聴器を仕掛けているのではないだろうか。いやしかしそれだと「聞いてた」になるはずである。

「私、あのあとね、相生さんの家の近くで待ってたの。そしたら、ね」

なるほど。まさかそんなことをしていたとは思いもしなかったが、それならば「見てた」という表現も頷けるというものだ。

 淹れ終えて机の上にカフェモカをおく。少女がソファへと引き寄せられる。俺は少女の様子を見ながら昨日考え付いたことを行動に移すかを思案していた。

 改めて思い返しても、今現にこう見ていても、この少女の行動と言葉は珍妙で奇々怪々としか言いようがないことは確かである。一方で探偵としては申し分ない能力を持っている。それを活かして鬼に金棒、虎に翼となってくれればいいが、探偵としての実力に開きがありすぎて豚に真珠、馬の耳に念仏といったていになってしまう恐れも考えられるものの、それでもやはり活かさない手はないだろう。

「いきなりなんだが、今日はお前に渡すものが二つあるんだ」

予想もしていなかったからなのか、はたまた油断していたからなのかは知らないが、少女の体が一瞬びくつく。

 カップを置いてこちらを見る少女を後目に、俺は鞄から二つのものを取り出して順に手渡す。

「まずはこれだ」

少女は何も言わずに箱を受け取る。顔を見ると心なしか緊張しているようだ。

「これ、私が使うの?」

箱を開け、中身を確認した少女が尋ねてくる。

「使い方はわかるよな。昨日は連絡が取れなくて不便だったからな。あの後買いに行ったんだ。法人名義で契約してあるから、いちおう仕事用の携帯だと思ってくれ」

箱から取り出し、しげしげと色んな角度から携帯を眺める少女。奥ゆかしいことこの上ない。

「わかった。それで、もう一つは?」

携帯を机に置いて尋ねる少女に先を促された俺は、少女に事務所の合鍵を渡す。

「お前ならピッキングで開けられるんだろうが、なんというか、あんまりよろしくない気がしてな。次からはそれを使って入ってくれ」

鍵を手に取り、少女が和やかな笑みを僅かにこぼす。

「変えないんだね。鍵」

勝手にビルの鍵を変えるわけにはいかんしな。

 しかし、この子の穏やかな顔はいつ見ても眼福だと心から思う。きっと普段から神妙な顔をしているせいで、ヤンキーの優しい一面を見た時の様な、そんなギャップにやられてしまうのだろう。などと心を緩ませて本来の目的を果たさずに終えるわけにはいかない。今後のためにも名前を聞くために心のシートベルトを締め直す。

「あと一つ、聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「いいけど、なに?」

「お前の名前を教えて欲しいんだ」

少女がきょとんとした顔をする。

「言ってなかったっけ、名前」

少女が少し首をかしげる。どうやら記憶を辿っているようだ。

「……そういえば、ないかも」

少女は机に鍵を置いて、姿勢を正す。しかしその姿は、襟を正さなければならないような、そんなかしこまって格式ばった雰囲気を一切まとっていなかった。

「私の、名前はね」

彼女のもつ独特の間が、柔らかな息遣いが強く感じられる。

「珍しいし、あんまり聞いたことないと思うけど、『あまや』。雨の夜に結ぶで雨夜結あまやゆい

 雨夜。字面から連想される場面。暗闇の中音もたてずに降る雨と、彼女から漂う物言わぬ底の見えない妖しさとが相まってか、俺は夢を見ているかのような錯覚に陥った。

「じゃあ、よろしくね、探偵さん。それでね、私も一つ、あるんだ。聞きたいこと。いい?」

唐突な質問に面食らう。勘の鋭い雨夜のことだから、きっと答えに窮するような質問を飛ばしてくるに違いないだろうと、俺は小田原征伐に対して籠城を決め込んだ北条氏の如き決意を固める。

「茶色、なのかな。これ」

机に置かれたカップを指さし所在なさげに言う雨夜。

「作り方を、教えてほしいの。これの。苦手だから。じっと待ってるの」

意外すぎる素朴な問いかけに、事前に蓄えてきた迎撃用の言葉は喉の奥へと帰ってしまったようで、俺は沈黙という返答をする形になってしまった。

「だめ、かな」

今までになく悲しげにうつむく雨夜。

 籠城を固く決意していた俺であったが、敵の大将は数多の塀や堀を意にも介さず、空の上から直接天守閣に舞い降りてきたために、総員戦意喪失無血開城へと至ってしまうのは必然と言えた。

「カフェモカの淹れ方か。別にかまわんが、俺の教えは手厳しいぞ」

「カフェ……モカ……」

言葉の響きを確かめるように、雨夜はゆっくりと呟いた。そして言葉を続ける。

「大丈夫。カフェモカのためなら、ね」

早くも立ち上がる雨夜の顔は決意に満ちていた。その様子を見て新たに気付いたことが一つある。

 底知れぬ彼女という存在の中には、存外少女らしい一面もあるということだ。

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