Burglar Burger 8

 一人部屋に取り残された俺は、社長椅子へと席を移した。凝った体をほぐすために大きく伸びを一回。凝りが取れて急に手持無沙汰になってしまい、ひとまずパイプをくゆらしながら助手の帰りを待つことにした。そうして先ほどまでのことを思い返す。

 気になるのは相生さんはあの時何を言おうとしたのかということだ。『ええと……』に続く言葉は何だったのか。その後、諦めたように言った『まぁいいや』の言葉。思うに何か聞こうとしていたのではないだろうか。さらに続く言葉は『お願いね』という呼びかけであった。

 この三つを統合的に考えた結果、得られる結論。思うに彼女は少女の名前を呼ぼうとしていたのではないだろうか。

 確かによくよく考えてみれば俺も彼女の名前を知らない。あいつも名乗っていないし、俺もあいつに聞いていない。なぜ聞いていないかと言えば、当初は数日でなぁなぁに追い返すつもりであったし、ここまで優秀なやつだとはつゆにも思っておらず、名前を知らずとも不便は無いだろうと、特に気にかけるほどのことでもなかったからだ。しかしあの非凡さ。捨ておくには惜しい人材である。今後のためにも名前を聞いておいた方が良いだろう。

 さらに言えば名前だけでなく、その他ほとんどの彼女にまつわる事柄を俺は知らない。

 今までの会話を振り返ってみても、彼女個人のことについて知ることができたのは、ただ二つ。とりあえず人間であり、事務所に入れる程度にはピッキングがうまいということだけ。戦中の秘密主義を継承しているのかと思うほど自分自身を秘匿とするやつだ。だが知る権利が基本的人権の尊重より下位にあることを踏まえれば、踏み込んで聞くのもこれまた難儀である。

 とは言っても名前くらいなら聞いてみても罰は当たらないだろう。とりあえず、帰ってきたら聞いてみるとしよう。

 そんなことをとりとめもなく考えているうちに、気づけばパイプの火が強くなりすぎていたようで、加熱されすぎたタバコ葉は、舌を刺すような嫌な苦みを、俺に与えてくるのであった。


 耐え難い苦みを洗い流すべく給湯室へと向かい。件のホットカフェモカ風の飲み物を淹れていると、何やら事務所の玄関が開いたような音が聞こえた。きっと助手の少女が帰ってきたに違いない。.

 カップを持って表に出ると、やはり少女がソファに腰かけており、出てきた俺をじっと見据える。

「それ、さっきの?」

少女がカップを指さし問いかけてくる。

「なんだ? これがほしいのか?」

わずかに頭を動かして少女が返事をする。カフェモカを飲みたいことはわかったが、今からもう一つ淹れるのは非常に手間だ。

「ならこれをやるよ」

そう言って俺が飲む予定だったカフェモカを少女の前においてやる。意表をつかれたのか、少女の目が少しばかり大きく見開かれていた。

「……ありがとう」

どことなくぎこちなさそうに繰り出された言葉。それは確かな質量を持っているようで、繊細だが力のある響きを伴っており、その響きが織りなす旋律に俺の心は傾いでいった。


 少女は静かにカフェモカをすすっている。G線上のアリアでも流れていそうな優雅な光景だ。

「それでね。あったよ、盗聴器」

柔らかな旋律に割って入る、不穏な言葉。ここはバーバヤーガの事務所だっただろうか。

「共鳴した周波数帯の盗聴器だと、だいたい五十から百メートルくらいかな。受信できるの。だから、相生さんが家に帰れば、近くで見つかると思う、犯人。受信機も持ってるだろうし。もちろん、それだけじゃどうにもできない。けど、あるでしょ? ストーカー規制法とか。ストーカー被害で相談を受けてるって言えばなんとかできると思う。無理やりにでも、ね」

そんな法律を知っているくせに、何人も鍵開け道具を所持・携帯してはならないとするピッキング防止法の二章をこいつは知らないのだろうか。いや知らないわけがない。

「だから、ね、考えたんだけど。相生さんの近くで後を付ける人と、遠くで後を付ける人で、犯人を挟み撃ちにするのはどう、かな」

「つまり、新たな相生さんのストーカーを二人用意して、犯人を挟むってことか?」

「そう」

なるほど。世にも珍しいストーカーの三重奏が見られるってことか。なかなかにおもしろそうな光景ではあるが、付けられる相生さんは堪ったものじゃないだろう。

「わかった。じゃあとりあえず安西と相生さんには俺から連絡しておくよ」

 携帯を手に取り二人に連絡しようとするも、少女が何だか物足りなさそうな目でこちらを見てくる。

「まだ何かあるのか?」

「私たちは行かないの?」

「ああ、行ってもいいんだが、探偵に逮捕権は与えられてないからな。行ったところでどうすることもできんさ」

「……そう」

少女の黒曜石のような瞳が光を失う。この落ち込みぶりを見ると、少女は懲悪する探偵とやらに憧れて助手になっただけなのかとも取れる。そうだと考えれば出所でどころ不明の豊富な知識にも説明がつく。しかしいくら考えても仕方のないことである。いずれわかる時が来るだろう。

 とりあえず刑事の安西に電話をし、次いで被害女性の相生さんに連絡する。この時の時刻は十五時頃であったので、もう一度集まって作戦会議をするかという話も上がりはしたのだが、俺にはやらなければならないことがあった。そのため盗聴器の有無と犯人サンドイッチ作戦についてを電話口で伝えるに留め、少女も一度家に帰すことにした。


 その後の警察の動きは早かった。きっと交番で作戦会議でもしたのだろう。少女の提案に乗る形で警察側が人員を配置し、後方配置の警官が犯人と思しき人物を突き止めた。職務質問を行って荷物検査をしたところ、案の定盗聴器の受信機を持っていたようで難癖付けて一時拘留としたようだ。

 これが知らされたのは日付も変わるころであった。明日か明後日には住居侵入と窃盗の容疑で家宅捜索が行われるはずだ。そこで証拠が見つかれば起訴という流れになる。とはいってもここまでくれば見つからないはずがない。

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