第一一幕:大魔王(六)

「タウさん。これが俺の教える強さの一端だ。よく見ておくといい」


 守和斗のその言葉を合図にしたように、先ほどまで守和斗の前で片膝をついていた黒いスーツ姿は、瞬きひとつで結界の外に移動していた。

 なにがどう消えて、どうやって別の場所に現れたのか、タウには皆目見当もつかない。ただ驚いて、彼女は呆然とそれを見ていた。

 しかし、たぶん誰よりも驚いていたのは、腕が4本ある巨大な魔神ダンタリオンの方だろう。まるで幻でも見ていたかのように、しばらく目をしばたかせていたぐらいだ。

 そしてやっと現実を認められたのか、目の前に現れた小さき者を上から見下す。


「貴様、何者だ? どこから現れた? 先ほどの奴らの仲間か?」


 矢継ぎ早の問いかけに、悪魔ダンタリオンが鼻で嗤う。


「ふむふむ。見た目通り、頭の悪い質問だ。されど、ひとつだけ答えてやろう。我が名はダンタリオン」


「ダンタリオンだ? ふん。面白いことを言う。だが、その名は名のるな。それはオレ様の――」


 その宣言は最後まで発することができなかった。

 魔神の巨体が、まるで弾けるように背後に向かってふっとんでいったのだ。

 たぶん人間が近くにいれば、巻きあがる風圧に吹き飛ばされていただろう。それほどの空気の流れが瞬間的に発生し、巨躯をくの字に折り曲げて部屋の奥の壁まで運んだのである。

 魔神は呻き声を上げながら、もともと現れた棺のような直方体の上に腰かける形でうなだれた。


「まがい物が我が名を騙るなど、許しがたき不遜」


 そしてその風を起こした悪魔がやったことと言えば、手を前にかざしただけ。それだけで魔力が渦を巻いて大きな力を生んでいたのだ。


「きっ……きさまああぁぁぁっ!」


 怒りにまかせて魔神が炎の玉を掌の上に生みだす。

 そして、それを投げつける。


 されど、それが悪魔ダンタリオンを焼くことはなかった。

 同じように悪魔の掌から生まれた炎の玉が迎え撃ったからだ。


 しかも、悪魔の生みだした玉は、魔神の玉に比べて、直径が10分の1もない。それなのに、巨大な炎の玉の中央を貫いた衝撃で霧散させ、さらに突き進んで魔神の腕を1本、爆破して吹き飛ばした。


 魔神の叫喚が、ワンワンと部屋の中に響きわたる。


「ふむふむ。この世界には魔力が満ち足りているな。この閉鎖空間の中でもこれだけの魔力がある。だからなのか、先ほどから見ていたが大雑把で洗練されていない魔力の使用方法だ。なんとも効率の悪いことだ」


「きっ……きさま……きさ……ま……」


「戦闘向きではない我でも、貴様程度ならゴミも同然」


「にっ、握り潰してやる!」


「ほう。握り潰す手が残っていればいいがね」


「――なっ!?」


 それはまさにストンと落ちた。

 唐突に、突然に、不意に、残っていた3本の腕が落下したのだ。

 刹那の間をおいて、その切り口から大量の血しぶきが噴きあがる。


 腹の底からわきあがり、こだまする絶叫。


「おっと。急ぎすぎたな。1本ずつやるべきだった」


 悪魔ダンタリオンは、ひんやりとした口調で笑う。


「まがい物の魔神よ。貴様は我が君に感謝するがいい。我が君は貴様ごときの始末に、3分もの時間を与えてくれた。それはすなわち、一瞬で葬るのはあまりに哀れであるという、我が君の優しさだ」


「なに……を言って……」


「貴様はこの穴蔵の中から出たことがなく、なにも知らないのであろう。だからせめて知識を与える悪魔として、まがい物の貴様にも死ぬ前に教えてやろうというのだ、この世で一番楽しい事を」


 魔神の金属のような鎧で包まれた脚が、股関節からストンととれた。

 その体は、叫喚とともに血の海に沈む。


「騒がしいぞ、まだこれからだというのに。頂いた3分間を存分に使って、貴様が今まで人間に与えてきたもの……すなわち、恐怖、苦痛、そして絶望、これがどれだけ甘美なものか、じっくりと自らに味わわせてやろう。ああ、安心しろ。その後に、死を迎えさせてやる」


「や、やめ……」


「四肢を切りとったあとは、内臓をひとつずつ取りだすとしよう。……死なないように死なないようにね」


 タウが見ることができたのは、そこまでだった。それ以上は、背中を向けて耳を塞いだ。

 テラも、さすがのファイとクシィも目を背けていた。

 ただ1人、守和斗だけがそれを最後まで見届けていたのだ。一言もこぼさず、瞳に何も感情を映さず、ただ自分の行いを刻むかのように。




「我が君よ、終わりましてございます」


 最終層の守護魔物ガルマたる魔神は、悪魔ダンタリオンに斃されると肉片ひとつ、血糊のあとさえ残さずに空気に溶けるように消えてしまった。悪魔ダンタリオン曰く、魔神は「魔力により作られたまがい物の魔物」だったらしく、魂を滅ぼされたことで肉体を構成できなくなり魔力に帰したらしい。要するに、この宝物庫迷宮ドレッドノートの中に呼びだされた、他の魔物と変わらなかったわけである。

 そしてダンタリオンは満足そうな顔で、守和斗に頭をたれてから地面に現れた光の文様の中に吸いこまれて消えていった。

 ただその時、どういう気まぐれなのかタウにだけ言葉を残していった。



――復讐とも仇とも言えぬ、その敵を斃したいならば、きみも自らを解放する必要があるだろう。それによりきみ自身も、闇に落ちるかもしれぬがね。



 その言葉の意味をタウはすぐに理解できた。なにしろ、言われなくともたった今、実感したことだ。目の前で行われた次元の違う強さの数々。今のままの自分では、その高みに指先を触れることさえできないと。

 悪魔ダンタリオンの強さを自分の秤で比べることはできないが、予想では英雄騎士ヴァロルでも勝つことはできないはずだ。各国の英雄騎士ヴァロルが集まれば、あるいは勝てるかもしれない。そんなレベルの話だろう。


 しかし、あの悪魔は守和斗の召喚できる52体の1体にすぎないという。しかも、戦闘が得意ではないと言っていた。

 ならばもし、戦闘の得意な悪魔を含む52体の悪魔全てが襲ってきたとしたらどうなるか。

 たぶん、全聖典神国セイクリッダム連合軍を簡単に蹴散らしてしまうことだろう。それどころか、連合と闇の血族同盟が手を組んだとしても勝つことはできないはずだ。なにしろ、52体の悪魔の他にその悪魔たちを屈服させた守和斗がいる。


 すなわち目の前にいる、見た目が普通の冒険生活支援者ライフヘルパーの青年は、1人でこの大陸を容易に支配する力をもっていることになる。この大陸を支配してしまえば、それはほぼこの世界全域の支配ができるのと同意義ということだ。

 つまり彼は、1人で世界を征服することができる力をもっているのだ。


(こんなの無理……)


 守和斗は「強さの一端を見て絶望しなかったら教える」と言った。

 なるほど「絶望」とはこういうことを言うのかと、タウは納得してしまう。世の中にはこれほどまでに強い者がいるという事実。そしてどんなに努力しようと、決して自分はそこに辿りつけないという確信をもってしまった。

 それこそが「絶望」である。


(だが……)


 タウはファイとクシィをうかがう。2人は先ほどまであのような恐ろしいことがあったというのに、すでに守和斗と談笑さえしている。

 話を聞くかぎり2人は過去に、あの悪魔ダンタリオンよりもより怖ろしい悪魔に遭わされて、恐怖と絶望を味わったはずだ。だが、どうやってなのか乗りきって、レベルの限界を超えた強さを手にいれて今ここにいる。



――限度……か。その考え方自体、強さの枷となるのだと私は教わりました。



 ふと、ファイやクシィの言葉が蘇る。



――レベルやランクなど見ていても仕方がない。強くなるために見すえているモノが違うのではないかと。


――あんた、強さと戦うつもりがないでしょ? 弱さと向きあうつもりもないでしょ?


――終わったと思った時、終わり――最後の負けなの。生きているなら、まだ最後の負けではないわ。


――私の考える強さとは、に折れない、呑まれない、負けないこと。


――そして、に折れない、呑まれない、負けないこと。


――強さとは、乗り越える力!



(そうか……そういうことか……)


 すうっと心の中でなにかが氷解する。

 今だ。

 今こそ強くなるその時なのだ。

 自分なんてダメだと、自虐などしている暇はない。自信をなくしている場合ではない。弱さを認めながらも強くなることをやめてはいけない。やめてしまえば、それが限界になってしまう。


(そして、ボクには乗りこえなきゃいけないことがある!)


 タウはテラと同じ【獣呪族じゅうじゅぞく】だ。動物の特徴の一部が体に表れるという、神に祟られた種族である。しかも、その口調は神の悪戯で妙な語尾をつけるようになってしまう。ただ、悪いことだけではなく代償として、優れた身体能力が与えられていた。


 しかし稀に、その血族ながら獣呪族じゅうじゅぞくの特徴がでない者たちがいる。タウやトゥの家系は、それにあたった。その者たちは何事もなければ、ごく普通の人間としてそのまま育つ。

 逆に何事かあれば、その者たちは獣呪族じゅうじゅぞくの特徴が現れてしまうということになる。


 と言っても条件は簡単で、とある鉱石の放つ魔力を一定量浴びるだけだ。それだけで種族の性質を解放する【族性解放】という現象が起こり、獣呪族じゅうじゅぞくの特徴が現れる。しかも、この方法で族性解放により獣呪族じゅうじゅぞくとなった者は、普通よりも高い身体能力を得ることができるのだ。


 ただし、それにはリスクも存在する。

 原因はわかっていないが、族性解放時に【狂獣レビス】化という異常事態が発生することがある。狂獣レビス化した獣呪族じゅうじゅぞくは異常なまで強い力をもち、記憶や感情を失い、狂気を得て、人の血肉を好み凶暴な野生の魔獣となってしまう。


 今より強さを手にいれたいタウにとって、族性解放を行うのは最も有効な手段であることはまちがいない。しかし彼女は、狂獣レビス化のリスクが怖くてたまらないのだ。

 狂獣レビスになるかならないかは、半々の確率と言われたいる。テラは「貴方なら狂獣レビス化などしませんよ」と言ってくれたが、タウには自信がなかった。なにしろ、タウの家系にはがある。


(でも……でも、守和斗がいれば万が一、ボクが狂獣レビス化しても殺してくれる。それ以前にスワトなら、属性解放しないボクでも鍛えて強くしてくれるかもしれない)


 芯を見つけた。ならば、ここで折れることはない。

 タウはそう心を奮い立たせ顔をあげた。

 と、守和斗と視線が合う。


「…………」


 微笑と共にうなずく守和斗に、タウも力強くうなずいた。


 その後、しばらくすると部屋の奥に通路が現れた。さらに、背後で閉まっていた入り口の扉も解放された。

 部屋の外で待っていた者たちと合流する。そして、奥の通路に向かった。

 ちなみに宝箱をあさることは、守和斗の指示で行わなかった。


「本来はゆっくりと攻略されていくことで、街も宝物庫迷宮ドレッドノートクリア後の準備をします。でも、いきなりこの宝がなくなってまったら、この街の繁栄が終わってしまう可能性もあります。もう少しゆっくり攻略されてもいいでしょう」


 羊の皮を被った彼の言葉に、反論する者は誰もいなかった。というより、誰もできなかった。どんなに言葉遣いを変えようと、もう全員がわかっていたのだ。

 ここにいる者が束となっても、それどころか知りうる最強の存在が束になっても、彼を殺すどころか、傷つけることも難しいということを。


「さあ、外にでるとしましょう。これでミッションクリアです」


 1人の犠牲者もなく、2つのパーティは地上に向かって帰還しはじめたのである。

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