第八幕:大魔王(三)

「だ……誰?」


 タウの口からもれるようにでた疑問は、たぶん他の4人も同じようにもったものだろう。誰しも、こんな迷宮の最深部、しかも結界の中に突然、現れた人物にそう思うのは当たり前である。


 その者は、とてもではないが冒険者に見えなかった。

 白地のシャツに黒地のスーツを着込んでいた。一般的な貴族たちが着ている服装によく似ている。頭には円柱のハットをかぶり、その下では品のいい若い男の顔が笑みを見せていた。


 だが、その笑みはどこか女性にも見えるし、若くないようにも見える。それどころか、どこか顔のイメージが固まらず、どんな顔だったのかと聞かれても答えられない気がする。


 不思議を通りこして、不気味な存在だ。


「お初にお目にかかる、守和斗君のお連れの諸君」


 帽子をとって、短く切りそろえた金髪の頭を優雅に深々とさげる。

 なぜかその姿に、タウはゾクッと寒気を感じる。慇懃な態度なのに、その体にまとわりつく空気は異質なほど冷たい。いつの間にか、自分の体が段々と震え始めている。

 それはテラも感じたらしい。横目で見えた彼も、体を震わせていた。怯える彼の姿を見たのは、つきあいの長いタウも初めてだ。


「我は、36の軍団を率いる大侯爵【ダンタリオン】と申す者」


「ピョ、ピョン? 軍団って……」


「大侯爵……ダンタリオン……?」


 声を震わしながら、テラとタウの口からでた疑問。


「たぶん、【ゴエティアの悪魔】よ」


 それに答えたのは、守和斗ではなくクシィだった。彼女は強ばった顔こそしているが、震えたりはしていない。油断なく、大侯爵と名のった男を見すえている。


 そして、ファイも同じだった。緊張した面持ちだが、しっかりとした口調で説明をつけくわえる。


「守和斗の……別の世界の悪魔だそうだ。【ゴエティアの悪魔】は72体いるそうだから、そのうちの1体なのだろう……」


 だが、その説明を聞いても、タウにはよく理解できない。「別の世界」も「ゴエティア」も、意味がわからないし、そもそも伝承でしか存在を聞いたことのない「悪魔」が、なぜ突拍子もなくここに現れたのかの説明にもなっていない。


「ほほう……。我を知っているとは。それにお嬢さん方は、なかなか度胸がある。ふむ……」


 悪魔は興味深そうにファイとクシィを見ると、口許を歪めてニヤリとしてから、片手に持っていた本を開く。

 そしてページをしばらくめくると、その紙面を指でなすってからうなずいた。


「ふむふむ。なるほど。どのような関係かと思えば、2人とも守和斗君を好いているのですな」


「――なっ!?」


「――ちょっ!?」


 ファイとクシィは同時に動揺を見せ、先ほどまでの緊張感を吹き飛ばしてしまう。

 それはあからさまな動揺。


 だが、それも瞬き数回の間だった。

 彼女らはすぐに互いに目を合わせると、コクリとうなずいてからまた表情に緊張感を戻し、悪魔を睨んでみせた。


「う、うむ。確かにそうだが」


「だ、だからなによ?」


(――えっ!?)


 2人の反応に、タウは驚いた。てっきり、流れ的にここは否定するだろうと思っていたのだ。

 ところが2人は、逆に肯定していた。ただし顔の赤味は、触れば火傷してしまうのではないかと思えるほどに増している。明らかに本当は否定したかったのだろうとわかる。


(そんなに恥ずかしいなら、素直に否定してしまえばいいのに……なぜわざわざ?)


 本当にわからないことだらけで混乱する。

 が、わからないことはまだまだ続く。


「いやいや。違うんだよ、そこのお嬢さん」


 悪魔が唐突に振りむくと、タウに向かって今度は不気味に笑いかけた。


「『素直に否定』というのは変だろう? それは。なぜなら『素直に肯定』が正しい。それが悪魔に対する対処法なのだよ。悪魔に弱みを握られてはいけないからね。わかるかい、復讐に囚われたお嬢さん?」


「…………」


 咄嗟にタウは何を言われたのかわからなかった。

 混乱していたせいもあるが、と理解するまで、数秒を要した。

 そしてそれを理解すると、さらに混乱が増した。そんなことがあるのかと喫驚し、同時に恐怖する。


(なんなんだ……読まれてる? そう思っていることも? まさか……どうすれば!?)


 心を見透かされるのが、これほどまでに恐ろしいこととは思いもしなかった。「なぜわかった?」「心が読めるのか?」と問いつめたいのに、口がまったく動かない。ただただ無様に唇を震わすだけだ。

 肉体を守る方法はさんざん学んできた。しかし、心を守る方法なんて思いもつかない。

 防具どころか服も下着もつけず、手で隠すこともできずに、目の前に裸体を晒されている気分だ。


「ふむふむ。こちらのお嬢さんや、そちらのウサギ男は随分とつまらないね。それにくらべて、守和斗君を好きな2人のお嬢さんの方は面白い。悪魔との会話のコツも知っているようだし、弱いながらも精神を守ろうとしている。つまり、免疫があると。我より前に悪魔と遭ったことがある……いや。先ほどの口調だと、守和斗君が召喚した悪魔と遭ったのだね?」


 悪魔の言葉を受けて、ファイとクシィが同時に守和斗の方を見る。

 それはきっと、話してよいかという問い合わせ。

 対して守和斗は、黙って首肯して応じる。


「ああ。遭ったことがある。なんと言ったかな……」


 首を捻るファイに、クシィがため息を挟んでから口を開く。


「あんた、忘れたの? 【バエル】とかいう悪魔だったでしょ」


「おやおや。バエル様に遭ったのかね」


 悪魔ダンタリオンは、大袈裟な身振りでたいそう驚いた様子を見せる。


「あの方の姿は、我と違い普通の人間には不気味であろう。巨大な老人と蛙と猫の頭に蜘蛛の脚という、とてつもない化け物感満載だからね。そんな悪魔に、こんなかわいらしいお嬢さん方を遭わせるなんて……」


 そう言いながら悪魔は眉を顰め、クルリと回って守和斗へ目を向ける。


「守和斗君、人としていかがなものかと思うよ?」


「悪魔に人のなんたるかを問われたくないな」


 鼻で笑って返す守和斗に、悪魔がやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。


「お嬢さん2人とも、災難だったね。さぞや腰を抜かしたことだろう」


「まあ確かにね。でも、その後に遭った悪魔の方がよほど酷かったわ」


「うむ。あれはさすがに気が狂うかと……」


「ん? 他にも悪魔と遭ったことがあるのかね?」


 今まで芝居がかっていた喋り方だった悪魔の口調が、クシィとファイの言葉に素で驚いたような声をだした。


「ええ。より恐怖に慣れるためにね」


「恐怖に……慣れる?」


「うむ、そうだ。簡単に言えば、度胸試しだな。確か【ベルゼブブ】とか……」


「――なっ!? ベ、ベルゼ……魔王のお1人である【ベルゼブブ】様と遭ったのか!? というか、肝試しイベントに本物の魔王を呼ぶようなマネをしたのかね、守和斗君!?」


 かぶっていた仮面が剥がれたかのように、初めて悪魔ダンタリオンは感情露わに驚愕した。

 タウは初めて悪魔に人間味を感じる。


「それに人間がベルゼブブ様の真の姿に直接遭えば、普通は廃人になるぞ。そんなことは守和斗君ならわかっているはず」


 責めたてる声色で、悪魔が守和斗に詰めよる。


「それなのに、このようなうら若きお嬢さんたちを遭わせたのか、きみは。下手すれば彼女たちの未来がなくなるところだったのだぞ? それなのに……そんなことをするなんて……?」


「――ったく。悪魔に『悪魔』と言われるとは思わなかったよ」


「何を今さら言うかね。『大魔王』と呼ばれた男が。……む? まさかと思うが、我をこのよくわからない世界にわざわざ呼び寄せたのも、肝試しイベントのためとか言わないだろうね?」


「まあ、それもあるが、他にもやることはちゃんとある」


 そう言って守和斗が指をさしたのは、目の前の悪魔のせいですっかり忘れていた、魔神ダンタリオンだった。

 結界の外で、まさに蚊帳の外。こちらを見失ったままで、右へ左へとまだ周囲を警戒している。「逃げられるはずがない」「どこに隠れている」と先ほどからたまに喚いていた。


 その様子が、タウにはすごく滑稽に映ってしまう。先ほどまで恐ろしく強いと感じていた魔神が、目の前の悪魔を見た今では小物にしか見えない。

 無論、だからと言ってタウが魔神に勝てるようになったわけではない。その力量差は依然として大きく、1人で魔神の前に立てば瞬殺されてしまうことだろう。

 ただ、その事実とは別に、不思議とタウは先ほどまで感じていた魔神に対する畏怖を感じなくなっていたのだ。


「ふむふむ。そう言えば、あの魔物はなんなのかね?」


 悪魔の双眸が、まるで薄汚いものでも見るように歪む。


「人の魂に興味はあるが、あのようなまがい物に興味は――」


「――あいつは、この迷宮の主だ」


 守和斗が悪魔の台詞を遮って、そのまま言葉を続ける。


「名前はダンタリオンというそうだ」


「なっ、なんだと?」


「ダンタリオンだ。お前と同じ名前だな」


「……なっ……なああぁぁぁぁんだぁぁぁぁぁとおぉぉぉぉ~~~!!」


「――っ!?」


 突然、わきあがった悪魔からの怒気に、タウは思わず尻もちをついてしまうのだった。

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