第三幕:悪魔(三)

「これは婚約破棄……ということかな」


 クーラが疲れた肩を落として、目尻を落として苦笑いを見せてる。彼の視線には、広い部屋の対角線上の離れた場所で抱き合う、ウィローとアンが映っているはずだ。


「ピョピョン。女性の心は酒の風味と同じ。時間と共に移り変わるものですからね」


「そっ、そんなことありませんから! わたしはずっと同じ気持ちでした!」


 テラに反論したのは、今まで黙っていたトゥだった。

 そうだ。トゥはウィローの気持ちがかたく変わらないのをわかりつつも、彼を想い、彼を助けてきた。いつかふりむいてもらえるためにとがんばってきた。

 タウはそんないじらしい自分の妹の頭を撫でてやる。


「ピョン……。失礼。言い方がよくありませんでした。移り変わると言っても熟成されて、より味を深めることもありますからね、おいしいお酒のように。トゥさん、あなたの想いは香り高く変わったのでしょう」


 タウはテラに、相談事のひとつとして、トゥのウィローに対する気持ちをの話をもらしていた。だから、彼は事情をよく知っていたのだ。


「不快な思いをさせてしまったら申し訳ございません」


 ウサギの小さな目を細めたテラは、ゆるりとした動作でトゥへ頭をさげた。

 闘士トールの中では珍しい紳士的な態度に、トゥもつられるように頭を下げる。


「い、いえ、そんな……わたしこそ偉そうにすいません……」


「フッ……。確かに女性の気持ちというのは難しいものだ」


 座ったままのクーラが自嘲をこぼす。


「だが、移り変わったわけではない。もともと彼女の心は私に向いてなどいなかっただけだからな。私とアンは、互いに利用してほしいものを手にいれようとしただけのこと。だからこの結果も、また仕方がないのだろう……」


 そのクーラの様子を横で見ていて、タウは意外だと感じてしまう。聖典騎士オラクル・ロールとしてのプライドが高い彼のことだから、ウィローやアンに侮辱したと怒りをぶつけるかと思っていたのだ。

 それなのにクーラは、どこか諦めて諦観しているように見える。


「あなたの気性なら、2人を処罰してもおかしくないと思った。顔に泥を塗られたのだから」


 タウはそれを口にしてしまう。口下手にもかかわらず、思ったことを口に出しやすい自分の欠点をわかってはいるが、なかなか治るものではない。

 だからいつも、口にしてから後悔する。


「すまぬ。失礼なことを申し上げた」


「構わぬよ、タウ殿。なるほど、泥か……」


 そうつぶやき、クーラも立ちあがる。

 意外なことに、彼は少し微笑を浮かべていた。


「僭越ながら、まだ若いタウ殿へ、出世するのに大切なことをひとつお教えよう」


「出世に興味ない。……けど、お教えいただこう」


「それは、だ。泥をかぶりすぎると、うまいこと流れに乗れなくなる」


「悪あがきはしないと?」


「望みがあるなら、悪あがきもいいだろう。しかし、今回はダメだ。……任務のためとはいえ、姑息な手段で出し抜こうとした上、失敗して最下層で全滅の危機。それを出し抜いた相手や、自分よりレベルの低い冒険者に助けられる始末。しかもたかが冒険生活支援者ライフヘルパーに、あんなバカげた力の差を見せつけられたのだから、私の顔は仮面ができるほどの泥で塗られてしまった。この状態で、あの2人に少々の泥を塗られても今さらだ。それにこれ以上、無様な姿を部下にさらしたくもない」


「ピョン。その点は我らも変わりませんね、タウ」


 納得するタウの肩に、テラの手がのせられる。


「泥を塗られたとは違いますが、戦闘の専門家としての自信は粉々です」


 タウはテラの言葉にうなずく。

 ただ、タウはテラほど自分の強さに自信があったわけではない。そういう意味では、タウのショックはテラほど大きくはない。

 それに彼女は、衝撃よりも刺激の方がはるかに大きい。


「みなさん、行きましょうか。そろそろ動かないと酸素濃度がきつくなりそうです」


 そう言いながら、話題の守和斗が2人の女性を連れて近づいてくる。

 やはり普段は強者にはとても見えない。一見すると、ごく普通の少年のようだった。しかし改めて見れば、ひきしまった筋肉のバランスもよいことが、服の上からでもわかる。歩いても止まっていても、体幹にぶれもない。


「スワト……殿。頼みがある」


 タウは頭をさげて申しでる。


「ここでたら、ボク……私、鍛えてもらいたい」


「…………」


 しかし、守和斗から返るのは無言。

 だからタウは頭をさげたまま、慣れない口調で想いを伝える。


「私、どうしても強くならなくてはならない。先ほどの様子から、ファイ殿、クシィ殿はスワト殿が指導なさったのだと推察した。尋常ではない2人の強さを引きだしたスワト殿は、優れた指導者でもあるとお見受けする。まだ見た目は若いが、たぶん私より多くの時間を生きてこられたのだろう。その長きにわたり研鑽した技術を少しでも学びたい」


「……いいえ。私は見たまんまですよ。20年も生きていません」


「――ホントかっ!?」


「ええ、本当ですよ。ただ、私は生まれもちょっと特殊でしてね。それに生まれてからずっと、ありとあらゆる教育と訓練を徹底的に叩きこまれていましたら」


「そうそう。守和斗の話なんて参考にならないわよ」


 クシィが肩をすくめながら、横から茶々を入れた。

 するとファイもそれに続く。


「うむ。守和斗は規格外過ぎるからな。ただ、若くとも教えるのは非常に上手いぞ。私とて、守和斗に鍛えられるまでは、ごく普通の……アン殿よりも弱い準騎士リロルの実力しかなかったからな」


「な、ならば、ファイ殿はその強さになるまで、何年ぐらい指導を受けたのか?」


「何年というか、まだ1年も経っておらんな」


「そうね。半年ぐらいじゃなかった?」


 ファイとクシィの説明に、タウは唖然としてしまう。

 たかだか半年で、準騎士リロルの強さから、世界冒険者ワールドを超える強さになれるとはとても信じられない。降神者エボケーターになったとしても、そんな急成長はできないかもしれないというのに。


 やはり見込んだ通りと、タウは守和斗を見つめる。

 彼こそが自分を高みに連れて行ってくれる者に違いない。彼がどんな人物でもかまわないし、どんな代償を払ってもかまわない。たとえ彼が悪魔で、魂を代償に要求されてもはかまわない。目的を達した後ならば、喜んで差しだそう。

 口下手な彼女は、その想いを伝えるために守和斗をまるで睨むように見つめた。


「……やはりなにか理由があるのですね」


「強くなるため必要なら話す」


 あまりタウとしては積極的に話したいわけではない。しかし、理由を教えなければ指導をしないというなら説明も厭わない。


「……そうですね。理由は聞いておきたいのですが、その前にあなたに見せたいものがあります。それを見て絶望しなかったのなら考えましょう」


「見せたいもの? なんだ、それは?」


「それは、あなたが求める『強さ』……その一端ですよ」


「強さの一端……」


「はい。それを見て、心が折れないのなら……あなたは強くなる可能性がありますから」


 何かを含むような笑みを浮かべる守和斗。

 それを見て顔をひきつらせていたのは、なぜかファイとクシィであった。

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