第二幕:悪魔(二)
アンには、守和斗が悪魔に思えた。
苦しめという。ただひたすらに苦しめという。罪悪感に蝕まれて心にトラウマを作れという。それが「フェリシー」という魂から、「アン」という魂への贖罪となるのかと尋ねれば、「否」と答えるくせにだ。
ならば、なぜ傷つけようとするのかと問えば、守和斗は「罪を2度とくりかえさないために」と答えた。
そして仮想空間からでる時に、記憶領域の記憶データは元の脳に転送される。それにより、魂が肉体を離れていた時の記憶も維持できる。
これが
それに対して、
具体的に言えば、アンの脳にフェリシーの魂と記憶が転送されたわけだ。そして、そこからの想い出も当然、アンの脳に記憶として残っていく。
ところがフェリシーの魂が元の世界の肉体に戻る時、アンの脳の中身――記憶――は転送されない。アンの脳へ記憶をアップロードできても、アンの脳から記憶をダウンロードはできない。転送する方法がないのだ。
いや、もしかしたらあるのかもしれない。しかし、コンピューターのように記憶が整理され管理されているならともかく、アンの脳からフェリシーのアップロードした記憶と、アンとして生きた記憶を分けて抜きだすことは不可能なのだ。記憶は混ざってしまっている。
強引に混ざった記憶を抜きだして、フェリシーの脳に転送したらどうなるか。
それは、すでにフェリシーの脳にある記憶が重複して書きこまれることになる。結果、記憶障害を起こしかねないらしい。
難しいことをすべて省いてまとめれば、「フェリシーの魂がフェリシーの肉体に戻った時、アンの記憶は保持できない」ということである。
しかし、守和斗曰く「魂の記憶」というものがあるそうだ。魂にも記憶は刻まれるのだという。ただ、それは細かい内容までではない。嬉しかったこと、激怒したこと、悲しかったこと、楽しかったことなど、強く感じた感情がわずかな記憶の残滓と共に魂に刻みつけられる。
確かに【Nine Gates】を始める前に、その説明は受けていた。断片的には残るかもしれないけど、詳細な記憶は残すことができないと。そういう、システム上の仕様だと。どんな生活をしていたのか、どんな冒険をしたのかはよく覚えていない。それでも、幸せに暮らせば幸せの記憶が、ワクワクドキドキの冒険を楽しめば楽しみの記憶が残るから、それを味わって欲しいと。心は満たされるはずだからと。
(クソッ! スワトの話と辻褄が合っちまう……)
正直、信じられなかった。信じたくなかった。認めたくなかった。
それを受け入れれば、心臓が抉られるような苦しさと、ぶつけどころのない哀しみや怒りが襲いかかってくる。頭が狂いそうになる。辛くて生きていられなくなる。
ならば、こちらで死ぬべきなのか。そうすれば、ここでの罪は忘れて元の世界に戻るではないか。楽になれるではないか。
そう考えてもみた。
(でも、やっぱり魂の記憶が残る……もうきっと、あたしには刻まれちまった……。なるほど、こんな傷が残るなら、確かに2度とこの世界に来たいとは思わないな……。【Nine Gates】にもう手を出さない。……でも、どこにいても、これじゃ辛いじゃないか!)
生きるも地獄、死ぬも地獄。いや、この世界で死んで、また向こうの世界でも死ねば逃れられるかもしれない。それしか助かる方法はないかもしれない。
(どうやって死ぬか。このまま餓死や窒息、魔物に食われて死ぬなんて嫌だからな。……自殺? ここでも自殺してまた自殺するのか。誰かに殺してもらえば……)
「アン……」
ウィローが歩み寄ってきて、横に腰を下ろした。
話すことだけ話して、傷つけるだけ傷つけて離れた守和斗と、先ほどまでなにか話していたウィロー。多分、守和斗が気を利かせてこさせたのかもしれない。
ふと見れば、他の者たちはかなり離れた場所で休んでいる。
こちらの声が聞こえないぐらい、不自然にいつの間にか離れている。
だからわかった。なるほど理解した。
つまり、守和斗は「ウィローが適任だ」と言いたいわけだ。
「ウィロー。あたしを殺してくれよ……」
息を呑んで強ばるウィローにかまわず、アンの中のフェリシーは言葉を続けた。
「あたしはさ、アンじゃないんだよ」
フェリシーは、半分自棄になり、半分勇気をだしてそう告白した。罪を告白して、罰してもらおうと思ったのだ。しかしそれには、まずこの受け入れがたいであろう罪を理解してもらわなければならない。
「ああ。今、守和斗から簡単に聞いた」
だが、それはいとも簡単に受け入れられてしまう。
「アンの中に別の心がはいっているって」
やっぱり守和斗が話したのかと、アンの顔で冷笑する。
その冷笑に憫笑を見せながら、ウィローが続けた。
「別の世界の……神人の心がはいっているって。
「……納得できたのか?」
「いや、できたというか……。なんとなく感じていたんだ、アンを見ていて。別人になったんだな……と。信じたくなかったけど……」
つまり、とっくにウィローは、アンの中にいた……いや、アンを食い潰したフェリシーを見つけていたということになる。
それを知って、フェリシーの魂が熱くなる。理不尽な怒りに突き動かされる。
「テメー! それを知っていてなんで! なんであたしを――」
「オレはおまえの中に、アンがまだ消えていないと思ってんだ!」
フェリシーの怒りをウィローの怒りが遮った。
「たまに見せる仕草にアンがいた! 思い出を口にする時にアンがいた! 今はオレの事が嫌いなはずなのに、クーラからオレをかばい、さっきの魔物からオレを守ろうとした姿に……その姿にアンが……アンがいたんだ!」
「…………」
なぜクーラからかばおうとしたのか。なぜ命がけで魔物から守ろうとしたのか。それは理屈をつければ、いろいろとつけられるかもしれない。が、どれもきっと屁理屈だ。
本当はフェリシーも理解していた。わかっていた。気がついていた。心のどこかで、ウィローを助けたいと思っていたことに。そしてその思いは、もう区別をつけることもできないが、もともとはフェリシーのものではないはずだ。
「スワトが言っていた。心を象るのは、結局は記憶なんだって」
「記憶……」
「ああ。オレもよくわからないけどさ、アンの中にアンの記憶がある限り、アンの心は……魂はやっぱりそこにあるんじゃないのか……って」
「……アンの魂が……この体の中に……」
フェリシーは、守和斗の話した記憶の話を思いだす。
脳に残った「記憶」は、きっと「心」の残滓なのだ。
ならば、アンの魂は完全に消滅したわけではない。フェリシーがアンの記憶をたどれば、拾い上げれば、そこにアンの心が、魂が集まっていくはずだ。
しかし、もしここでフェリシーが自殺をすれば、アンの肉体を殺せば、今度こそ本当にアンの魂も完全に失われる。
それは、アンの魂を2度殺すということではないだろうか。
「アンの……アンの記憶であたしに生きろと言うのか……。ああ。別にさ、それはいい。あたしはいいよ、罰をきっと受けなきゃならないんだから、アンとして生きても……。でも、私にのっとられたアンは――」
「――アンはさ、すごく優しい奴だった」
フェリシーの嘆きをウィローが遮る。
「あいつは困っている奴をみると助けに向かっちゃうし、自分が犠牲になってもがんばっちゃう奴だった。人を笑わせたり、喜ばせたりするのが大好きだった。冒険者になったのも、誰かを幸せにするのが目標だった」
「……ああ……うん。そうだった……」
「覚えてるだろう? 子供のころに魔物に襲われて大けがしていたオレをおまえが助けてくれたこと。同じように大怪我してさ……」
「……でかいスライムの化け物だったな」
自分のことではないのに、自分のことのように思いだす奇妙な感覚。
だが、蘇る。あの時の恐怖心と、助けるんだという決心。大好きなウィローを死なせたくないという想い。
「そうだよ。あの時もオレが逃げろっていうのに頑張ってさ。……あの時から、オレは本気でアンが好きになった。そして絶対にいつか、今度はオレがお前を守れるようになるって誓ったんだ……けどさ……」
ウィローの最後の言葉が呑みこまれる。
その呑みこまれた言葉がなんなのか、フェリシーにも察することはできた。
「ウィロー……あんた、あたしが憎くないのか?」
ウィローは自分に向き合ってくれている。フェリシーはそう感じた。だからこそ、彼女も向き合わなくてはならない。
「アンの体を奪った、あたしが憎くないのか?」
「……憎いよ。憎いに決まっている!」
わかっていた返事。でも、その絞りだすようなフェローの言葉に、フェリシーの心は想像以上に痛みを感じる。
「憎くて憎くてたまらないさ。……俺だって最初は、大好きなアンの体を別の魂が使っているなんて許せなかった! ついさっきまで、アンの体を自由にさせるぐらいなら、葬ってやるべきだって思っていたんだ!」
「……なら……」
「でもさ! でも、スワトの奴が言うんだよ。アンの記憶が幸せになりたいって訴えているって」
「……え?」
「最初、聞いた時は意味が分からなかった。なんかカチンッときた。でもさ、アンの記憶が心なら……あいつが何を思っているのかなって……。オレの記憶の中にいるアンなら……どうするかなって」
「…………」
どうするか、そんなことはフェリシーにもすぐにわかった。だが、それを自ら口にすることは
言えるわけない、こんなこと。
こんな優しいこと。
アンの心に触れた気がして、涙腺が自然に緩みだししまう。
「今さ、アンの記憶は……心は、きっとあんたの中にいるんだろう? 一緒にいるんだろう?」
「…………」
フェリシーは嗚咽をもらしそうになり、首肯だけで返事する。
「ならさ、罪滅ぼしにアンの体を不幸にしないでやってくれ。アンの体で神人のあんたも幸せになってくれ。アンの体で『不幸だった』なんて記憶は残さないでくれ」
「――ッ!!」
我慢の限界だった。
フェリシーの心がとけて、アンの口から嗚咽となってもれだす。
「これも守和斗が言っていた。たぶん中に入った神人も辛いことがあって、この世界に来たんじゃないかって。だからせめて……せめてアンに救わせてやってくれないか、あんたを。アンの魂があんたの救いになったなら、アンもきっと喜ぶ。……もう、オレはそれでいい」
フェローが泣きそうな、それでいてどこかさっぱりとした笑顔を見せる。
「あんたはさ、オレが嫌いだろう。だから、もう言われたとおり、あんたに姿は見せないよ。その代わりさ、アンの顔で寂しそうにしたり、辛そうにしたりしないでくれ。それだけが嫌だったんだ。……つきまとって、ごめんな。クーラと幸せにな――っ!?」
フェリシーの心は決壊した。魂魄関係なく流れだし、まじりあった。
そして、フェリシーはアンを受けいれた。
同じく決壊した涙腺で号泣しながら、倒れこむように立ち上がろうとしていたウィローにしがみついた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
慟哭で声をからしながら、フェリシー=アンは疲れ果てるまでウィローにしがみつき、そのまま謝り続けていたのだった。
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