第四章:救世主は、大魔王?

第一幕:悪魔(一)

(本当に……疲れたな……)


 アンは両膝を抱えるように座りこんでいた。両肩からのしかかるような疲労感が、恐ろしく重い。膝を枕にして顔を伏せる。


 現在、安全が確保されたらしい部屋で、全員が休憩していた。

 部屋に滞留する魔力量と酸素量は、外から供給されないためにさほど多くない。しかも、この部屋から続く道は1本しかない。広い部屋とは言えど、けっこうな消費がされていた。


 酸素に関しては、大人しくしていれば消費を抑えられる。植物のような性質を持つ宝物庫迷宮ドレッドノートの壁が、外からの酸素を取り入れるか、二酸化炭素を吸い酸素に変えるのを待つしかない。

 魔力に関しても同じようなものだ。動かず精神を集中していた方が回復が早い。


 先の部屋に行けば、滞留する酸素と魔力があるかもしれない。しかし、偵察に行った守和斗の話によると、この先には長い通路が続き、魔力子房マッシブの設置された部屋に繋がっていたという。つまり守護魔物ガルマとの戦闘になるわけだ。ならば、ここでできるだけ回復していくべきであろう。


 ちなみに多くの場合、10階層ごとに転移路というのがある。イメージ的には、10階層ごとに止まる、上り専用のエレベーターのような物だ。もちろん、本当にエレベーターがあるわけではない。実際は壁にある閉じられた門の形をしていた。

 門は、神々が宝物庫の底から戻るのに使っていたらしいが、それを人間が使うには守護魔物ガルマを倒す必要がある。守護魔物ガルマを倒した後、しばらく門がひらいたままになるのだ。

 この70階層から地上まで、順番に上がっていくのは現実的ではない以上、やはり帰還できるルートはこれしかなかった。


 無論、その作戦のキーマンは、守和斗と2人の少女たちだ。彼らがいなければ、ここにいる全員、死を覚悟したところであろう。


「…………」


 アンが顔を上げて守和斗たちを見ると、周りが疲れ果てている中で元気に食事をとっている。

 どうやらあらかじめ用意していたらしく、何かの肉を挟んだらしいパンを3人揃って食べていた。

 さすがの余裕である。世界冒険者ワールド2人と聖典騎士団オラクル・ローレが苦労した魔物を指一本で倒した男だ。

 どう考えても普通じゃない。降神者エボケーターとしても破格だ。


(それにあの話を……)


 アンは意を決して立ちあがると、3人のところに近寄った。


「あ、あのよぉ……」


「ああ。来たね。ちょっと待って」


 一言かけただけだった。それだけで守和斗はファイとクシィに目配せする。

 2人はなにも言わず、首肯すると席を外した。

 以心伝心にしても、妙に完璧すぎる。


「あ、えーっと……なんか、その……食事中にすまない」


「いや。あんたも食うか?」


 そう言うと、守和斗が置いてあったパンを差しだしてきた。


「あ……ああ。もらうよ」


 アンは受け取り、それを口に運ぶ。

 中に入っているのは、塩胡椒で味付けられた蒸した鶏肉のような味がした。ここの動物生態系は、元の世界に近いようにある。だから、味が合わないという物はほとんどない。


「うまいな……」


「そうか」


 言葉をきりだすのに困り、当たり障りのないことから話し始める。

 どうしてもいろいろと躊躇われる。


「“ここからフランス語で話そう。聞きたいことがあるのだろう?”」


 守和斗の言語が切り替わった。

 アンはコクリとうなずく。


「“助かる。……あんたは私と同じ、フランス人の降神者エボケーターなのか?”」


「“いいや。俺は、この世界で言えば、神人しんじんだな”」


「“神人……こっちにきたリアル世界の人間っていう伝説設定だよな?”」


「“伝説じゃなく、俺はこうしてここに来ているんだけど。この肉体も自分の物で日本人だ”」


「“……バカ言え。ゲームの世界だぞ?”」


「“よく考えてみなよ。ゲームの世界なら、神人なんていう伝説設定不要じゃないか?”」


「“…………”」


「“実際、過去にも『神人』がいたから生まれた言葉だと考えた方が自然じゃないか?”」


「“……だ、だとしても、それならあんたは、どーやってここに来たんだよ”」


「“俺はもともと異能力者なんだ。元の世界でも魔法や超能力が使えた”」


 すっと守和斗が横に手をだす。

 すると、そこに日本刀が唐突に姿を現した。

 そしてカシャと一度だけ鍔鳴りを響かせると、また姿を隠す。


「“なっ、なんだよ、今の……”」


「“空間転移テレポーテーションの応用だ。その能力でこっちの世界に来た。というより、いろいろあって事故ってなんだけどな。おかげで元の世界に戻れなくなった”」


「“そ、そんな……それも設定だろう? プレイヤーなんだよな?”」


「“自分で言うのもなんだが、プレイヤーなら俺の能力はチートすぎないか?”」


「“そ、そりゃそうだけどさ……。なら、ゲームマスターなんだろう? または、なんかの役を演じているとか?”」


「“それならフランス語で、裏話している時点でルール違反じゃないのか?”」


「“いや、でも……信じられない……”」


 アンは混乱する。

 ずっとここはゲームだと信じていた。もちろん、よく現実と混乱するが、その度にゲームだと自分に言い聞かせてきたのだ。

 それが嘘だと言われても、そんなの信じられない。信じたくない。

 それなら自分はなんだというのだ。

 この世界はなんだというのだ。


「“少し俺にも質問させてくれ。あんた、SSSスリーズで飛んできたんだよな?”」


「“え? あ、ああ……”」


 SSSスリーズとは、【意識体分離装置Spirit Split System】のことだ。意識体と呼ばれる物を肉体から分離して、仮想世界などに転送できるシステムである。

 日本のある企業が開発したと言われるが、それはいろいろあって今は別の会社が所有していた。


「“このNine Gatesナイン・ゲーツというふざけたゲームを運営している会社は?”」


「“え? 知らないのか? あの世界的な企業の【エンペリアル】が立ち上げてニュースになったじゃないか”」


「“……ちなみに、あんたがこっちに飛んできたのは西暦何年だ?”」


「“2341年だけど”」


「“――ったく。300年後かよ”」


「“えっ? それってどういう……”」


「“それからもうひとつ”」


 守和斗がアンの質問を許さないように矢継ぎ早に質問していく。


「“そのエンペリアルという会社が所有しているのは、SSSスリーズだけか? ABC……人工頭脳型コンピュータの類は?”」


「“なに言ってんだ? ABCを一企業がもてるわけないじゃないか……。世界を管理しているシステムだぞ?”」


「“なるほど。そうか……”」


 アンにしてみれば、守和斗がなにを言いたいのかまったくわからない。

 彼の質問は、当たり前のことだけだ。秘密などどこにもない。一般人なら知っているはずのことだ。

 しかし唯一、気になったのは「300年後」という単語。それが示すのは、つまり守和斗が過去の人間であると言うことになる。


「“SSSスリーズは、肉体からとりだした魂を転送するシステムだ”」


 守和斗がいきなり説明を始める。

 わけがわからず、アンは黙って聞く。


「“分離された魂の情報の複雑さは、そこらのコンピューターで処理できるようなものじゃない。量よりも構造の複雑さがネックになる。それを処理できるのは、ABCクラスの性能がいる。だから、ABCがゲームシステムを担っていない限り、魂を仮想空間に転送することは不可能なんだ。俺が知る計画では、第三世代ABC以上の性能が必要だ”」


「“……じゃあ、このゲームのシステムは?”」


「“だから、ゲームにしているがゲームじゃない。ここは別の空間にある現実の世界だ”」


「“まさか……異世界にいる……ってことか? でも、アタシは魂だけ……この体はまちがいなく自分のじゃないぞ!?”」


「“簡単な話だ。一番確実に人間の魂を処理できるのは、人間の脳だろう”」


「“……まっ、待てよ……”」


「“俺たちの世界の人権保護は、異世界の人間には及ばないからな。そのエンペリアルとかいう会社にとっては、この世界の人間はオブジェクトにすぎないんだろう”」


「“嘘だ……”」


「“そのアンという少女の肉体には、もともと本当のアンの魂が入っていた。でも、あんたの魂が上書きされた。おかげで魂の濃度は上がり、魔力がアップする。……魂魄こんぱくという考え方がある。知っているか?」


「“な、なんとなくは……”」


「“端的に言えば、魂は心。魄は体。それがセットで魂魄。魂魄は一体化しているから、強化された魂に引きずられるように、魄――肉体も強化される。それが一般人より強い降神者エボケーターの仕組み”」


「“そんなの嘘だ……。だって、それじゃ……もともとの……”」


「“そう。もともとのアンという魂に刻まれた人格は失われる。つまりアンという人間は、死んだも同然と言うことだ”」


「“し……信じねーぞ! それが本当ならアタシが、アンを殺した事になるじゃないか……エンペリアルは異世界の人間を殺しまくっていることになるじゃないか……”」


「“そうだ”」


「“それに……それに私は、戦いで犯罪者のNPCを殺したこともあるぞ! あれは……あれは……”」


「“NPCではなく、異世界の本当の人間だ……”」


「“なら……なら、アタシは……アタシは人殺し……いや、信じねぇ! 信じねぇからな、そんなバカな話!”」


 容赦がない責めに、アン――フェリシー・アルバネルは混乱する。

 守和斗は、フェリシーを「アンの肉体をのっとった悪霊」のように言ってきたのだ。そして悪霊となったフェリシーは、アンの意志に関係なく体を操作して、その手を血に汚させたというのである。


(そんなバカな事あるかよ……。知らねぇ、そんなこと知らねえよ……)


 自分はゲームだと思ったから、アンを選んだのだ。ゲームだと思ったから、別のキャラクターを殺したのだ。

 それを今さら「それはゲームではないので、あなたは人殺しです」と、いきなり言われても納得いくわけがない。


「“信じてもらう。信じてもらわないとならない”」


 だが、守和斗は執拗にその事実をフェリシーに突きつける。

 罪と罰に一切の情状酌量の余地を許さないように。

 逃げ道を塞ぐように。


「“なっ……なんで……そんなこと……”」


「“残酷だが、あなたにはこころに傷をおってもらう。それが俺からあなたへの最後通告アルティメイタムだ”」

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