第六幕:用心棒(二)

 キャラクター名【アン・マーキー】のプレイヤー名は、【フェリシー・アルバネル】という。


 フェリシーは、フランスのパリ郊外に住む裕福な家庭に長女として生まれた。

 父親が会社を成功させ、一代で財を築きあげたのが20年前。国内の長者番付に顔をだす父親は忙しかったが、それでも家庭は幸福であった。


 特にフェリシーは、最初に生まれたおかげで蝶よ花よと育てられた。おかげでほとんどのことは自分の思い通りになり、親の前ではいい顔をしながらも学生時代は好き勝手に遊んでいた。


 そんな中、校内で政治家の息子と知り合った。

 彼は見た目もよく、将来は父親と同じく政治家を目指すと話していた。

 その野心を語る彼に惚れて、フェリシーは猛烈なアタックを始めた。そして並み居るライバルたちと戦いながら、金も色仕掛けもフルに使い、彼女は見事に恋仲になることに成功したのである。そして卒業後、結婚する約束までしていた。

 正にじゆんぷうまんぱん

 なにもかも上手くいき、両親のように自分もこのまま幸せな家庭を築くと、彼女は信じて疑わなかった。


 ところが、彼女は交通事故に遭う。

 いつも渡る横断歩道を渡っていただけなのに、車が彼女の横から襲いかかってきたのだ。


 その時のことは、不思議なほど鮮明に覚えている。

 特に迫る運転席に座っていた姿。

 それは、見覚えのある女性だった。

 恋のライバルとして熾烈な戦いを繰り広げてきた友人……とは言えない知人。

 その彼女が、目尻も口角もつり上がった悪魔を思わす笑顔で、フェリシーを狙ってきたのである。


 気がついた時には、病院のベッドの上だった。

 そして告げられたのは、下半身の不随。腰から下が完全動かない。感触もない。

 手術で下半身を疑似肉体に交換すれば動くことはできるだろうが、子供は産めなくなるだろう。いや、そのままでも産めない可能性は高かった。

 ただ、別にフェリシーは子供が欲しかったわけでもない。自分が幸せに生きられればそれでいい。最悪、彼が「子供が欲しい」と言うなら、体外受精もできるかもしれない。


 しかし、その前にケリはつけておかなければならない。

 自分を車で轢いたあの女を訴えて、謝罪させた上に、社会的にも抹殺してやらなくては気がすまない。

 彼女は当然ながら、事情聴取にきた警察に彼女のことを訴えた。

 あれは意図的なものだったと。

 だから逮捕して欲しいと。



 ところが。



 ところがである。

 警察はほぼ動かなかった。

 彼女はろくな取り締まりも受けず、「無関係」と判断された。

 犯人はわからないとされたのである。


 それは、フェリシーが味わった本当に自分より強い力だった。


 あの女の家は、フェリシーの家よりも金持ちだった。地位もあった。権力もあった。

 それはもう比べものにならないほどに


 すべてり潰してきた。

 父親に金をらせてきた。

 味方をしてくれた婚約者にり拳を振りあげてきた。

 相手は、情勢を把し、関係する力を掌していたのだ。


 で、彼女は負けたのである。


 気がつけば、父親の会社は傾いていた。

 婚約者の彼は、いとも簡単に「別に好きな人ができた」と逃げていった。

 自分は友人を陥れようとした悪党として孤立させられ、学校をすぐさまやめることになった。

 恋人を奪われ、下半身を奪われ、地位も立場も奪われ、あとには敗者である【フェリシー・アルバネル】という哀れな人間だけが残っていた。


 そこでやっと彼女は悟る。


 自分が弱いのが悪かったのだと。

 戦う前に、負ける前に、力をつけなければならないのだと。

 だから、力がないうちは戦ってはいけない。

 力の強い者に逆らってはいけない。

 それこそが、力の理論。

 生きる方法なのだ。


 しかし、それがわかっても手遅れである。

 もう自分は、敗者になってしまった。

 取り返しのつかない状態になってしまったのだ。


 ならば、せめて仮想世界でやり直そう。



 ――【Nine Gatesナイン・ゲーツ】――



 このゲームは異常なまでに高額だが、異常なまでにリアルな仮想世界で第二の人生を歩むことができる。

 強い力を手にいれよう。

 それも権力や金だけではなく、まさに戦うための力そのものをだ。

 この世界では、それが最も強い力となる。

 ちょっとやそっとじゃ負けない力を手にいれて、強者として生きていく。


 そのために金の許す限り、ちょっとでも強い降神者エボケーターになって開始しなければならない。


 そして選んだのが、この【アン・マーキー】だった。

 彼女は平民の娘だったのでレア度は低く価格は安めだったが、基本能力は非常に高かった。これに降神者エボケーターとしての自分の力が加われば、最高峰の英雄騎士ヴァロル騎士団ローレに入ることも可能だろう。そうなれば、あとは幸せな人生が待っているはずだ。

 これであとは強くなるまで、強い奴に媚びて上にのぼる。


 そう期待に胸を膨らませて始めてみたゲームだ。



 それなのに……



 それなのに、これはどういうことなのだ。

 自分が敵わないのはまだしも、自分が力を認めた相手であるクーラも敵わない。

 そして、そのクーラが逆らえない世界冒険者ワールド2人と共闘しても苦戦する。


 そんな敵が。

 そんな魔物が。

 自分よりも幼い少女2人に圧されているのだ。


 しかも、2人とも森林冒険者フォレストランクになったばかり。年齢的にも、一人前になるには、まだ経験が足らないぐらいである。

 それなのに、ファイという騎士ロールは、たった1人で日本刀のような武器をふるい、すべての攻撃を打ちはらい、斬りはらっている。

 そして、クシィという魔術士マジルは、聖典騎士団オラクル・ローレパーティー専属の魔術士マジルを遙かに上回る威力で氷の矢を放っている。

 しかも、使い魔のような猫をつれてだ。

 この世界では、すでにいる魔物を操ることはあっても、使い魔を召喚する法術などなかったはずだ。

 そしてなにより、彼女は英語を喋った。


(英語……そして日本刀……まさか……)


 フェリシー・アルバネル――アンが思い当たることは、1つである。


「まさか2人とも、降神者エボケーターかよ……」


「違うよ」


 独り言に応じたのは、パーティーで一番弱い能力職ジョブのはずなのに、リーダーとしてすべてをしきっている守和斗だった。

 弱い者は強い者に従うという掟に、もっとも逆らっている存在だ。

 いや。もしかしたら、彼は強いのかもしれない。なにしろ、クーラの攻撃を小枝1本で止めて見せたのだから。

 だとしたら、なぜ彼は戦わないのだろうか。

 強さなど、使わなければ意味がないはずだ。

 強さなど、誇示しなければ意味がないはずだ。


「彼女たちは降神者エボケーターではなく、この世界生粋の人間だ」


「……NPCだろう……」


 そばでウィローが聞いているが、どうせわからないだろうと話してしまう。

 しかし、守和斗が責めるように眉をひそめる。


「――ったく。そういう話をするなら『英語』で話せよ」


「わりーな。私は『英語』は少ししか話せない。基本は『フランス語』なんだ……」


「“わかった。D'accord.フランス語で話してくれD'accord. S'il vous plaît parler français.”」


「――!! あんた、話せるのか?」


「まあ、ほとんどの主要言語は。でも、詳しくは後で話そう。もう終わるからな」


「え?」


 そこで初めて、激しい冷気が襲ってきていることに気がついた。

 身をブルッと振るわせてから、アンは魔物の方を見た。

 それは驚愕に値した。なんと魔物の巨体が、すべて巨大な氷で包まれていたのだ。しかも、魔物は氷を割るどころか、まったく動けなくなっている。


 その正面に、ファイが跳びあがる。


「――緋鷹あけたか、頼む!」


 ファイの細い刃が赤くなったかと思うと、一瞬で炎を纏った。

 そして、氷の上から炎の刃が走り抜ける。


 ――両断。


 かろやかに彼女が着地すると、あの巨大な魔物が真っ二つに斬れる。

 そして左右に固い音を響かせながら倒れていった。


「おわりね。……そっちも手伝う?」


 クシィが横を見ている。

 そちらにはクーラたち、そしてテラとタウが戦っている。


「ピョン。ご心配無用……こっちも、もう終わります! ――ピョン!」


 テラの蹴りとタウの突きが、魔物の胴体に炸裂する。

 その瞬間、何かに堪えきれなくなったように、その部分から魔物が破裂した。


「ふむ。見事です!」


 倒した魔物が黒い靄に変わり、そして魔種子マシだけを残して消えていく。

 それを背景としながら、ファイがテラたちに近寄った。

 だが、テラとタウは暗い顔で苦笑して迎える。


「ピョン……。人数も時間も多くかかっているのに、『見事』はさすがに受けられませんよ」


「うん。正直、自信喪失……」


 彼らの正面でも、魔物が魔種子マシだけ残して煙のように消えていく。

 アンは複雑な想いで、その2つの魔物のざんを見比べていた。

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