第五幕:用心棒(一)

「ウィロー! このバカ! しっかりしろ!」


 ウィローは、失いかけた意識を揺り起こされる。

 それは必ず助けると誓った女性の声だ。

 ならば、寝ている暇などない。

 力をふりしぼり、うっすらと目を開ける。

 と、目の前には弱々しく目尻の下がったアンの顔。

 こんな情けない彼女の顔を見たのは何年ぶりだろうか。

 そしてその向こうに、なぜか赤い光で描ききられていない法術円が見えた。


「アン……どうなって……」


「肩につかまれ! トゥが止めている間に逃げるぞ!」


 アンに助けられて立ちあがりながら、ウィローは廊下の方を見る。

 するとアンの言うとおり、トゥが魔法師マギタの魔力を振り絞るように法術円に向かって手をかざしていた。

 しかし、ギリギリ。もって、あと数秒。


 剣を杖のようにして、なんとかウィローは体を立たせる。

 アンに左肩を借りているが、折れたらしい前腕から激しい痛みが走る。

 足がふらつく。まさか一撃でこのざまとは情けないと、彼は自分の弱さを呪う。


「オレはいい……逃げ……ろ……」


「うっせーよ! 弱い奴は強い奴の言うことを聞いてろ! 弱っちーくせに無理するんじゃねー!」


 アンの言葉が、ウィローに突き刺さる。


 いや、違う。

 それはここ2年、何度も何度も繰り返されてきた彼女の言葉。

 弱者として、強者にしいたげられた者の苦悩。

 彼女が自身に突き刺している苦痛の現れだ。


 一緒にいたはずなのに、ウィローはそのことに気がつけなかった。

 彼女がいつ、そのような目にあったか気がついてやることができなかった。

 それはきっと、自分が弱かったせいだ。守れなかったせいだ。

 だから――


「む……無理だってなんだって、してやるっ!」


「――なっ!?」


 ウィローは力の限り、アンの背中を突き離した。

 油断していたアンは、前のめりにたたらを踏み、そのまま転んでしまう。

 それでも、ウィローより廊下に近くなって逃げやすくなったはずだ。


 まるでそのタイミングを待っていたかのように、トゥの力が尽きる。

 赤い光が一気に流れだす。

 一瞬で完成する法術円。


「オレは弱い! 確かに弱いさ!」


 新たに中空から現れる魔物。

 葉っぱの代わりの目が、すべて自分に向けられている気がする。

 対峙した迫力は段違いで、恐怖に体がすくむ。

 しかし、ウィローは力をふりしぼって剣を片手で向ける。


「だから……だから、オレはたぶん、お前を守れなかったんだろう! でも、次は守る! 弱くても……背伸びしても……譲れない! 絶対だ!」


 それは、彼にとって最後の決意表明だった。

 もう体が思い通りに動かず、剣を振るどころか、逃げることもできはしない。

 このままならば、確実な死が待っている。

 だから、せめて彼女だけでも助けたい。


「早く逃げろ、アン!」


 魔物の枝が、しなる鞭のようにふりあがる。


 死が迫るのを感じる。


 たまゆら永久とわに感じる。


 トゥの叫びが聞こえる。


 アンの叫びが聞こえる。


 ほかにも聞こえたが、みんな何を言っているかわからない。


 振りあがった枝が頂上で止まる。


 最後の時を待つ。



「――いい最後通告アルティメイタムであった!」



 突如、なぜか意味を成す言葉が、耳元で聞こえる。


 それはたなびく金髪とともにやってきた力強い声。


 声の主が刹那で前に立ち、細い刃をまっすぐ走らせる。


 振りおろされる枝。


 それに沿うように刃が走ると、枝は外側に受け流される。


 そして横ではなく縦に枝が切断。


 斬られた枝先が、バチンッと床をはたいて跳ねる。


(あの細い剣で……捌いた……!?)


 自分よりも小柄な少女の、しかし雄々しく大きな背中を見つめてウィローは固まった。

 すると、少女が顔をかるく背後に向ける。

 巨大な魔物の前に立ちふさがっているにもかかわらず、その表情は優しく微笑していた。


「貴殿は弱くない」


 そして確信を持った言葉をウィローに贈ってくる。


「貴殿は弱くない。『強さ』に負けていないからな!」


 金髪の騎士ロールであるファイの言葉に、ウィローは息を呑む。


 が、次の瞬間には、仕返しとばかりに4~5本の枝がしなりを効かせてファイに向けられる。


「――危ないっ!」


 されど、ファイは慌てない。

 ゆるりと魔物に剣を構えなおす。


 そこに飛来するは氷の矢。


 背後から冷気と共に虚空を貫く青白く美しい矢は、次々と遅い来る枝を射抜いた。


 レベル51の魔術マジアだと、削るのが限界だった魔物。

 その魔物が、5発の氷の矢で数歩退く。


「あたしも、あなたは弱いなんて思わないわよ」


 氷の矢を放ったのは、真っ黒なマントをたなびかせたクシィだった。

 彼女もいつの間にか、ウィローの背後に立っていた。


「あなたは『強さ』に呑まれていない。だから、最後通告アルティメイタムはまもりなさい」


「……ア、アルティメイタムって?」


「最後通告。さっきの言葉……『絶対に彼女を守る』は、いわば彼女への最後通告でしょ。これ以上、彼女からの言葉も、あなたからの言葉もいらないわ。あとは実行なさい」


 そう言うと、彼女がウィローの鎧に触れた。

 とたん風が巻き上がり、ウィローの体はアンのそばまでフワッと浮いて運ばれる。


(えっ!? あれ? まさか……呪文を唱えていない!?)


 自らの力で直接発動させる魔法マギアとは違い、精霊を使役する魔術マジアでは呪文は必須である。

 だがクシィは、無詠唱で風の精霊を操ったように見えた。

 それは、ありえない。

 しかも、彼女はさらにありえないことまでも言う。


「あなたたち2人は、私の背後から動かないこと。いいわね?」


「なっ、なにを言っているんだよ!」


 飛ばされてきたウィローを支えたアンが、裏返った声でいきりたつ。


「バカか、ガキ! 魔術士マジル騎士ロールより前に立つなんて――」


「“彼の獣The beastその身を削りて主を守護するprotected his master at the expense of himself.”」


 だが、クシィはそれを無視して、聞いたことがない言葉を話しだす。

 一呼吸後。彼女の周りに、魔力が渦巻き始める。

 すなわち、それは呪文。


「“それは雪のように白かったIt was withe like the snow.”」


「えっ!? 英語English!?」


 なにか知っているのか、アンが目を見開く。

 だが、今はそれを問うている暇はない。

 魔物がまた、馬鹿のひとつ覚えのように枝を振りあげている。


「――四神覚醒!」


 ファイが叫んだ。

 とたん、彼女の見た目が変化する。


 脛当と具足が変化して、真っ白な毛並みの獣の足となる。

 籠手が変化して、青い鱗のような半透明の層が出来あがる。

 尾てい骨から、黒い蛇が伸びて尻尾のようになる。

 赤い羽の髪飾りが燃え上がる炎のようになり、金髪とまじりあう。


 それは、見たことも聞いたこともない変化だった。


「――よし、斬ろう!」 


 複数の枝が、彼女へ同時に襲いかかる。

 テラやタウたちは、まだ複数人で戦っていたため、敵の攻撃を分散できた。

 しかし、新たな魔物の正面に立っているのは、ファイだけの状態だ。

 結果、同時に左右から10本以上の枝に襲われてしまう。


 だが、ファイはただの1撃も喰らわない。


「“それは風のように速かったIt was fast like the wind.”」


 すぐ近くで、リズミカルにクシィの呪文が聞こえる。

 まるで、それに合わせるかのように、ファイが舞う。


 細い刃で打ち払う。

 籠手にできた青い鱗で受け流す。

 かと思うと、信じられないほど高く飛び上がり、かるがると攻撃を避ける。

 さらに獣のようになった足で、枝を蹴り飛ばしながら降りてくる。


「“しかし、However,彼の獣は私から逃れられないThe beast could never be liberated from me.”」


 その戦い方も、武具も、ウィローが知っている騎士ロールのものとはかけ離れている。

 しかし、強い。

 とんでもなく強い。


「“その獣は、The beast was哀しき運命に縛られた私の奴隷my slave, bound up by sorrowful fate.”」


 それでもやはり1人では捌ききれない。

 枝の一振りが、クシィを狙う。


「“喚起arouse、【ミネケ・プスMinneke Poes】!!”」


 クシィの足下へいつの間にか描かれていた法術円から、なにか白い物が飛びだす。

 それは瞬く間に布のように広がり、クシィに襲いかかった枝をかるがると弾きかえした。


「ミャ~ア」


 布は縮むと固まり、いつの間にか白い猫となっていた。真っ白で汚れ1つない、そしてスリムなスタイルで、首をキュッと高く上げている。


「あら。今日は練習ではなく本番なのかしら、小娘主殿?」


 しかも、喋った。

 ウィローも、そして横で一緒に見ていたアンも、恐怖さえ忘れて口を半開きにして固まってしまう。

 だが、クシィはさも当然のように、白猫と話しだす。


「そうよ、本番。頼むわね、ミネケ・プス。その2人も守ってちょうだい。できる?」


「あら。あなた、誰にものを言っているのかしら? このわたくしが、あの程度の魔物から守れぬわけがないでしょうに」


「はいはい。そうね、悪かったわ」


「小娘主殿のこそ、守和斗様のご指導の甲斐を裏切らぬよう励みなさい」


「なんで主の私が小娘で、関係ない守和斗が『様』付けなのよ! ……もういいわ。とにかく、2人とも私の後ろから出てこないでよ。そうしたら守ってあげるから」


 すでにウィローにもアンにも言い返す気力がなかった。

 前衛と同じ位置に立ち、騎士ロールを守りながら戦う、喋る白猫をつれた魔術士マジルの少女。その異様さに、ただただ呆然としていたのだ。


「さあ、いくわよ!」


 クシィの呪文詠唱が始まった。

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