第八幕:喚起師(二)
「ご存じって……俺だ、守和斗だ。お前の
知っていた。守和斗は目の前に喚起された妖精種の魔物を知っていた。
だが、それは
「
そうだ。その通りだ。
契約中の魔物は、絶対に喚起されることがない。
一時的な喚起や召喚ならばまだわかる。召喚した魔物が帰還すれば、そこで契約は完全終了だからだ。
(まさか……いや、落ち着け。それもおかしい!)
一瞬、守和斗は母親の無事を疑った。少なくとも、彼の知っているミネケ・プスの契約者は母親だからだ。その契約者が死んだのなら、契約が自動的に解除となる。それなら
だが、守和斗を知らないのはおかしい。
目の前の白い猫の姿をした妖精は、知能が高く肉体を持てる上位の魔物である。それはすなわち、記憶をもっている事を意味する。守和斗がこの世界に来た後、母親が死亡して契約が終了しただけならば、守和斗のことを覚えていないことの説明がつかない。
もちろん、中には悪戯や嘘が好きな妖精もいるが、ミネケ・プスは人を小馬鹿にすることはあっても嘘などはついたりしない。
「ど……どういうことだ?」
守和斗は珍しく動揺する。この状態はあまりに予想外だ。
しかし、そんな守和斗に対して、ミネケ・プスは一言、呼ぶように「にゃーおん」と愛らしく鳴いてみせた。
「何のことか存じませんが、まだ話の途中ですわ」
「あ、すまん……」
「ともかく、わたくしを呼びだしたのは貴方様なのかしら?」
そう言うと白猫は、猫背という言葉が似合わないほど背筋を伸ばし、足音も立てずに守和斗の方に数歩、近づいた。
だが、すぐに立ち止まり、鼻をスンスンとかるく鳴らす。
「――あらっ!」
そして目を丸くしてパチクリとさせ、尻尾を左右に大きく揺らし始めた。
「あらあらあら。貴方様は、我が夫の
「あ……ああ。そうだよ。世話になってる」
「まあまあまあ。旦那様たら、いつの間に契約を……。でも、なるほど。わたくしが呼ばれたのは縁。それに、我が夫が仕えるだけはありますわね。その器なら、さらにわたくしと契約しても何も問題ないでしょう。才ある
「あっ、ごめん! 違うんだよ!」
守和斗は慌てて手を横にふって否定した。
そして、クシィを指さす。
「君を呼びだしたのは、あの子だ」
「……あの小娘ですの?」
いかにも訝しげで、不服そうな瞳を白猫はクシィに向けた。不遜さを隠しもしない。それは完全に上から目線だったが、それも仕方ないことだった。守和斗から見ても、今のクシィの技量では過ぎた使い魔だ。【ミネケ・プス】は、まだ彼女には早すぎる。
もちろん呪文的には、器に収まる魔物しか呼びだせない。つまり、理論的には契約可能なのだろう。潜在的能力なら十分あるということは彼も異存はない。
(しかし、初めての契約相手としては、説得難度が高すぎる……)
守和斗はクシィの様子をうかがう。
その表情は、柳眉がつり上がり、口はへの字と、かなり不機嫌そうな顔をしていた。
当然だろう。せっかく呼びだせて大喜びをしたというのに、出てきた使い魔は彼女を無視して、守和斗と話しだしたのだ。しかも小娘呼ばわりされては面白いはずもない。
「……ご主人様を無視して、おしゃべりとはいい度胸じゃないの?」
クシィの言葉に、白猫は挑戦的に口角をきゅっとあげる。
「気の早い小娘ですわね。まだ、わたくしは貴方を
「……認めなさいよ」
「さて。どういたしましょうかね……」
揶揄する白猫に、クシィは憤怒を隠せない。顔を真っ赤にし、目尻をさらにあげて、眉間に皺を寄せる。口がむずむずと動き、今にも怒声をあげそうになっている。
そんな彼女に、守和斗は近づいて肩をかるく叩く。
「クシィ、落ちついて。心を乱しすぎてはいけない」
「……わ、わかってるわよ!」
守和斗の言葉で、クシィが大袈裟なぐらい大きく深呼吸する。そして守和斗さえ何事かと思うような速さで片膝をつき、白猫の斜め上から顔を急接近させる。
それにはさすがの白猫も、すまし顔を崩して一歩後ずさりする。
「私をみ・と・め・な・さ・い!」
「…………」
ほとんど脅しのような口調で、クシィはじっと白猫を見つめた。
するとそれに対するように、白猫もクシィの瞳を凝視し始める。
しばらく、そのまま両者は沈黙した。
視線を交えたまま、お互いに相手を探る。
「……なるほどね」
先にため息まじりに目をそらしたのは、白猫の方だった。
白猫は不遜な色を浮かべたまま、その場でお座りする。
「まだまだ力を使い切れていない小娘ですわね」
「なっ、なんですって!? あんた、わた――」
「――ですが、魔力量の器だけは、あちらの御仁に匹敵しますわ」
「…………」
白猫は、クルッとまた守和斗を見る。
「先ほど貴方様は、この小娘に指導されてたようですが、小娘の師をなさっているのかしら?」
「そうだね。そうなるかな」
「ならば、一緒にいれば、夫と会うこともできそうですわね」
「なんなら、呼ぼうか?」
「いえ。それにはおよびませんわ。とりあえず、今は先にやることがございますし」
白猫がクシィを見つめる。
クシィは一瞬、その視線に圧倒されたのか身を少し退くが、慌てて負けじと見つめ返す。
「な、なによ! 認められないっていうの!?」
クシィのむきになった様子に、白猫はまたため息をもらす。
「……まあ、まだまだですが、面白そうなのでよいでしょう」
「……え?」
「小娘、名前を教えなさい」
「……テェィ・クシィ・デモニカよ」
「…………」
白猫は前足を一歩、前にだした。
肉球でスタンプでも押すように地面をたたく。
するとそこに現れる魔法円。
それは次々と描かれるようにいくつもの輪が複雑に広がっていき、白猫だけではなくクシィさえも取りこんでいく。
「わたくしの名、ミネケ・プスにおいて誓いますわ。テェィ・クシィ・デモニカを主とし、契約いたします。報酬は、現し身による暇つぶし」
「……そんなんでいいの?」
「ええ。十分……」
ミネケ・プスの赤い瞳が、一瞬だけ守和斗に向けられた。
その仕草に気がついたクシィが、小さく鼻息をもらす。
「……わかった。報酬に同意するわ」
そして彼女はナイフを取りだし、親指の先を切って血を数滴、魔法円に滴らせる。
途端、魔法円が強い光を放つ。
「承認。……契約成立ですわ。今後、わたくしを呼ぶときは、“
そう言うと白猫は、まさに体が風に舞う粉雪のようになり、一瞬で姿を消してしまった。
法術円も消え失せ、そして元の静寂が戻る。
「はふぅぅぅ……」
その様子を確認したクシィは、大きなため息と共に緊張で怒っていた肩を落とした。
成功だ。守和斗から見たら幸運としか言えないほどの成功だった。まさか、これほどスムーズに契約が完了するとは思いもしなかった。
「ともかくクシィ、おめでとう。これで君も使い魔もちだ。ミネケ・プスは
「……でも、なんか、素直に喜べないわ。あいつが契約に応じてくれたのは、守和斗がそばにいたからみたいじゃない」
クシィは憮然としながら、ミネケ・プスが消えた地面を見ている。
確かに守和斗の影響もあったかもしれない。しかし、ミネケ・プスはクシィの潜在的な力を認めたことも間違いないはずだ。
だから、気にすることはない。そう守和斗は口にしようとした。
「すごいことだな……」
だが、その前にファイが感嘆をもらした。彼女は横で呆然と見ていたが、今は少し興奮気味の顔色で近寄ってくる。
「本当に召喚……いや、喚起だったか? とにかく魔物を呼びだし、自分の支配下におく魔法をこの世界の人間で初めて実現したのだ。魔物を召喚する仕掛けは、
ファイが、目の前の現象に心から感心していた。その素直な碧眼は、きらきらと眩しいぐらい輝いている。
それを受けて、クシィの表情が豹変する。不機嫌さが消えて、彼女の双眸がかまぼこ形に変わっていく。
「ま、まあね! フフン」
鼻息が荒くなり、その長い黒髪を揺らして大きな胸を張って見せた。
現金なものだと守和斗、そしてファイまでも笑いをこぼす。
「……とは言え、守和斗のおかげ。しょせんは『小娘主殿』だがな」
「ぐっ……。う、うるさいわね!」
「調子にのるな、ということだ」
「ふーんだ。あんたこそ、頭撫でられてニヤニヤしていたくせに! 調子にのらないでよね!」
「ななな、なんのことだ!? ニヤニヤなどしておらんぞ!」
「どーかしらね~。……あ、ちょっと守和斗、聞きたいんだけど!」
クシィがつかつかと守和斗へ歩み寄る。そして守和斗の腕にしがみついた。わざとその豊かな胸を腕に当ててくる。
そろそろ、こういう誘惑が無意味だと教えておいた方がいいと思っている。だが、あまりかっこのよい話ではないので、ついつい後回しにしてしまっていた。
「私の使い魔、ミネケ・プスの夫って?」
「ああ。俺が契約している使い魔の中に、【
「――本当に!? つまり私と守和斗で、夫婦の使い魔を持っているということね! それってすごく運命的じゃない!?」
「運命……ミネケ・プスも言っていた縁だろうな……」
シープルの契約者がいたから、関連性でミネケ・プスが呼び出された。そういうことはよくあることだ。
それよりも気になるのは、やはりミネケ・プスの契約のことだ。シープルと会わせてみれば、何かわかるのかも知れない。母親が契約していたミネケ・プスと別の存在なのか確認できたのかもしれない。
だが、守和斗の中には得体のしれない不安があり、それが強いためらいを生んでいた。どこか禁忌に触れるような、悪い予感しかしなかった。
「ちょっと、ファイ。今の聞いた? 運命よ、運命! もう守和斗には黒の血脈同盟に来てもらうしかないわね」
「う、うぐっ……。そ、それは関係あるまい!」
「うふ……うふふふふ……夫婦……ふうふうふふふふふ……」
そんな守和斗の不安をよそに、クシィは気味悪いぐらい嬉しそうにニヤニヤし、その横でファイは非常に悔しそうに顔を膨らませていた。
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