第七幕:喚起師(一)

 早朝。

 剣戟の音が林に立ち並ぶ幹を震わせながら響き渡る。残っていた朝靄が、その音が響いていくたびに打ちはらわれていく。

 だが、その剣戟の音を響かせているのは、金属の刃ではなかった。


「じゃあ、ファイ。また枝に気力アウラを通して」


 守和斗の言葉にうなずき、金髪碧眼の少女ファイ――【ファイ・ララ・エインス】――が、握った50センチほどの木の枝に向かって、全身にめぐらせた気を流していく。

 守和斗は、目を凝らす。その様子は、木の枝が発光しているかのように見えていた。それこそが、物質からあふれる気力アウラの光。普通の者には、感じられても見えない輝き。


「まただ。多すぎる。そんなに流したら枝がもたない」


「ふ、ふむ……こうか?」


 今まで木の枝からあふれんばかりに放たれていた輝きが、まるで木の枝を包みこむように仄かな優しいし光に変わる。

 彼女は、高出力だが微調整が苦手だった。彼女の少し猪突猛進な性格のせいだろうか。それでもかなりましになったと、守和斗は指示を続ける。


「よし。そうやって、気を流した対象からの反発を感じるように調整して。大事なのはフィードバックだ。……では、目をつむって。気を張って」


「了解した!」


 林の中にできた、少しだけひらけた場所。その中央に、ファイが立つ。

 甲高い鳥の鳴き声が、彼女を包んでいる。景色に溶けこむBGMのようで、耳に心地よく届く。その心地よさを嫉妬するように、たまに少し冷たい風が耳を叩き邪魔をする。

 自然なる静寂。


「――!」


 その空気が突如、変わる。

 守和斗には見えた。ファイを中心に気の流れが網の目状にできている。それは瞬く間に彼女を包み、半径10メートルほどまで広がった。


(まだ時間がかかるが……しかし、大したものだ)


 口にはださないが、守和斗はその見事さに舌を巻く。いくら感覚を思念で教えたとしても、これだけ早く操作法を身につけることができるのは驚きだった。もともと気力アウラが使えていたとしても、彼女に教えていることは今までとまったく違う使い方である。


 ファイの能力職ジョブである騎士ロールは、他の攻撃系能力職ジョブと同じように、【装気術アウラエンハンス】という技を使う。

 これは、気力アウラと呼ばれる「気」に魔力を練りこんだようなものを「纏う」か「放つ」だけの技術である。

 もちろん、それだけでも十分に使えぬ者より強くなれるのだが、気の扱いとしては一番簡単な初歩にすぎない。しかも、魔力を練りこんでいるのは、気の操作が完全にできないために過ぎない。拡散しやすい気を魔力で封じ込めている力技なのだ。


 本来、気の操作に魔力は必要ない。また、気の扱いに長ければ、「探る」「読む」「送る」「合わせる」「操る」などできるようになる。

 この中で「探る」という行為は、装気術アウラエンハンスを扱う者ならば無意識にやっていることが多い。いわゆる「気がつく」というやつだ。

 ただし、無意識ゆえに不正確で不安定となる。

 今、守和斗がファイに行わせているのは、それを意図的に行うものだった。薄く周囲に広げた気は、いわばセンサー網である。網に引っ掛かれば、瞬時にファイに情報が行く。


「じゃあ、いくよ……」


 守和斗はファイよりも太く長い木の枝を持っている。ただし、それに気をめぐらしていない。

 それを持ったまま、念動力テレキネシスで体をわずかに浮かす。中空をホバーするように、左右に移動する。これは足音ではなく、気のセンサーのみを頼らせるためだ。


「…………」


 今のところファイは微動だにしない。籠手と脛当てだけ装備した軽装な姿の彼女は、静かに枝を正眼に構えたままである。

 それを確認し、守和斗は少し高く飛びあがる。

 そして急降下しながら、彼女の頭上左横から木の枝で斬りつける。


「――セイッ!」


 気合一閃。長い金髪が冷たい風の中で花咲くように広がり舞う。

 目をつむったまま、ファイは守和斗の木の枝を打ち払った。

 気で強化されたファイの細い枝は、いとも簡単に守和斗の木の枝を斬り裂いていた。


「どうだっ!?」


 開いた青眼の明眸をキラキラと輝かせ、ファイは守和斗ににじり寄る。まるで主人が投げたボールを拾ってきた犬のように、お褒めの言葉を待って尻尾を振っているようだ。

 守和斗は思わず、その様子に頬を緩ます。


「よくできました。合格だ。あとはもう少し早くできるようにならないとな」


 そう言いながら、守和斗はファイの頭に手をのせてポンポンと叩いてやる。

 出会ったばかりのころは、こうするとファイは微妙に困った顔を見せていた。だが、今ではピンクの唇をゆがませて「エヘヘ」とにやけ顔を見せる。そして、もっとしろというように頭を寄せてくる。

 こういう時の彼女は、普段の気張った様子ではなく、少し甘えた子供っぽい感じを見せてくれる。16歳という年齢よりも幼く見えるほどだ。

 それはきっと、多少なりとも心を許してくれるようになったのだろう。そう思うと、守和斗も嬉しかった。彼女たちを助けた当初、誤解から「変態!」と罵られていたことが、懐かしく感じるぐらいだ。


「んっ、んんんっ!」


 横からワザとらしい咳ばらいが響いた。

 刹那、ファイが瞬間移動のように、守和斗から距離を取ってそっぽを向く。


「ちょっとぉ~。あたしの訓練もあるんですけどぉ〜?」


 艶やかな黒髪が美しいクシィ――【テェィ・クシィ・デモニカ】――が、あからさまに不機嫌そうな顔をして、両手を腰に当て立っていた。その真っ赤な唇が、思いっきりとんがっている。

 彼女はファイと同じく、なりゆきで弟子にした、もう1人の女の子であった。


「すまん、すまん。お待たせ」


 守和斗は苦笑しながらも、今度はクシィの方に近寄った。

 と、いきなりクシィは、守和斗の耳を引っぱり、口元を寄せてくる。


「ちょっと、守和斗! あんた、もうあっちに決めちゃったんじゃないでしょうね?」


「は? 決めたとは?」


「……ふんっ! なんでもないわよ! さあ、喚起魔法やるわよ!」


 クシィは、プイッとそっぽを向く。


(――ったく。やれやれ……)


 守和斗とて、そこまで鈍感ではない。彼女が色仕掛けで、自分を味方に取りこもうとしていることは気がついている。実際に、たまに布団にもぐりこもうとしたり、過度なスキンシップを図ったりしてきている。


 しかし、それは守和斗にとって無駄な攻撃であった。

 守和斗は元の世界で、美人揃いの中で育ってきている。ある意味で美人慣れしていた。さらに敵対組織からの色仕掛けは、本気で貞操の危機、力づくレベルの激しいものだったのだ。

 だから、18歳の女の子としてどこか恥じらいを捨てきれないクシィの攻撃は、妹たちがじゃれついてくるのと変わらない。

 それにそもそも、守和斗には色仕掛けなんて意味がない・・・・・


「さて、クシィ。まずは復習だ。召喚魔法と喚起魔法の違いは?」


「なによ、今さら?」


 守和斗の質問に、クシィが大きめの胸を持ち上げるように腕を組む。


「……まあ、いいわ。召喚魔法は、自分より上位存在を呼び出す魔法。自分より上位の存在なので、『命令』ではなく『願い、望み、求め』を行う。そのため、延々とお願いするから、長い詠唱時間も必要だし、呼びだしても細かい指示は聞いてもらいにくい。また、代償として大量の魔力を消費するため、長時間の維持は不可能。その代わり、消費魔力以上の効果や自分の力を超える力を発揮できる」


「OKだ。なら、喚起は?」


「喚起魔法は、自分より下位存在を呼び出す魔法。呼び出した相手の上位に立ち、『命令』により細かい指示をだせる。支配下に置いた使役なので代償ではなく、わずかな報酬ですむ。だから魔力の消費も少なく、長時間の維持がしやすい。詠唱時間も『命令』するだけだから召喚より短め。ただし、自分より下位を呼ぶということは、上限が自分の能力以下であるということ。つまり召喚魔法よりも、効果や力は格段に落ちるが、扱いやすいのが特徴」


「よろしい。というわけで、今回行う喚起魔法の重要なポイントは、呼びだした魔物を支配下に置くということだ。呼びだした魔物によって、好意的なものと敵意を見せるものがいるので、契約のしやすさは変わってくる。どちらにしても、自分があるじであるということを力尽くでもわからせて、契約を結ばせないといけない。それには最初が肝心だ」


「わかったわよ。大丈夫だから、任せて!」


 好奇心が抑えられない顔のクシィは、守和斗に離れろと手ぶりを見せた。

 守和斗は、それに従ってさがる。

 一応、呼びだす魔物は、守和斗もよく知る、初心者でも扱いやすいと言われる種類の魔物を選んだ。契約に失敗しても、そうそう問題ないはずである。

 呼吸を整える弟子の初挑戦を守和斗は見守る。


「……いくわよ」


 そう言ったクシィから、心臓の鼓動が聞こえた気がした。

 とたん、大量の魔力がクシィに集束する。


「“その獣は、盾を持つ守護者であるThe beast was a guardian with a shield.”」


 彼女の周りに渦巻く魔力流が発生する。

 守和斗に喚起魔法を教えてくれたのは、イギリス人とアメリカ人だった。そのため、呪文は必然的に英語となってしまった。日本語での呪文は知らないため、クシィに教えるにしても英語になってしまう。


「“彼の獣、The beastその身を削りて主を守護するprotected his master at the expense of himself.”」


 だが、慣れない英語の発音でありながら、彼女はそれを流暢に唱えた。


「“それは影のように黒かったIt was black like the shadow.”」


 クシィは両掌を胸元付近で上に向ける。


「“それは風のように速かったIt was fast like the wind.”」


 その掌に魔力流が集まりだす。


「“しかし、However,彼の獣は私から逃れられないThe beast could never be liberated from me.”」


 掌に集まった魔力が玉となる。


「“その獣は、The beast was哀しき運命に縛られた私の奴隷my slave, bound up by sorrowful fate.”」


 その玉がまるでみかんの皮がむけるように展開し、不可思議な文様の魔法陣となる。


「“喚起arouse、【猫のパレードCat's parade】!!”」


 呪文の終焉と共に、クシィが魔法円を地面に展開する。

 ちなみに、彼女の唱えた【猫のパレードCat's parade】は、固有名ではない。オランダ語で「Kattenstoet」というベルギーの猫祭りにちなんだ言い方なのだが、要するに猫の魔物を呼ぶときに使われる常套句の一つだった。

 昔から、魔女のお供として黒猫がよく使われるが、これは猫系の魔物が使い魔として使いやすいという理由からである。まさに初心者向けで、喚起するための魔法円もわりあい簡単であった。

 実際、クシィの魔法円も安定して展開されており、守和斗は安堵していた。ここまできたら、とりあえず呼びだしは成功である。

 ただし、これでどんな猫の魔物が召喚されるのかはわからない。


(……来た!)


 数秒の間を置いて、魔法円の中央が盛りあがる。

 まるで魔法円の描かれた透明のシートの中央が、下から無理矢理押しあげられているかのように見える。

 そして、それは限界を超えたように、裂かれて破れる。


「――ミヤアァァァ!」


 そこから射出されるように六〜七メートルほどの高さまで飛びだし、そして空中でクルクルと書いてしながら着地したのは、真っ黒……ではなく、全身が雪のように真っ白な猫だった。


「……いぃぃ〜〜〜やったあああぁぁ!」


 クシィが跳ねて喜び、拳を両手で握る。

 だが、守和斗は喜びよりも、驚きの方が遙かに大きい。


「ミ……ミネケ・プス……なんで!?」


 守和斗の驚愕の声に、真っ白な猫はクイッと首を曲げて見つめた。


「……あら。わたくしをご存じなのかしら、そこの御仁?」






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※本作での呪文の英訳には、haru8さん( https://kakuyomu.jp/users/harutashiro )のご協力を仰ぎました。ありがとうございました。

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