第六幕:師匠(六)
想像を絶するとは、まさにこのことなのだろう。
2人はともに、そう感じていた。
「――せいっ!」
キングサーベルタイガーの爪による横殴りの攻撃をバックステップでかわした後、ファイはその前足を斬ろうとした。
しかし、返す速度が異様に速い。
たとえ間にあっても、甲についた硬質な皮膚に跳ね返される。
それはまるで、金属の鎧のような質感だった。
刃から柄に伝わり、そして手から腕まで激しい衝撃が走る。
身体ごと後ろに吹き飛ばされ、やっとのこと姿勢を立てなおす。
「
そこにクシィは、掌から氷の長い槍のような物を放つ。
冷気を纏う槍は、ファイを弾きとばしたのとは、逆の前足を穿とうとする。
だが当たるものの、いとも簡単に弾かれた上に、構成されていた魔力が四散して槍そのものが消えてしまう。
(本当に魔獣は魔力耐性が高いのね……)
などと驚いている暇もなかった。
白い巨大な虎は標的をクシィに変えたのか、向きを変えて今まさに襲いかかろうとしている。
(ヤバッ!)
魔力障壁を展開する。
だが、この相手にこの程度の障壁が役に立つのだろうか。
――いや、たぶん無理だ。
――死ぬ。
「せいやっ!」
そう思った瞬間、ファイの一振りが作った衝撃波が中空を走る。
空気を斬り裂く音と共に、魔獣の真っ白な腹部に直撃する。
「どうだ!」
ファイは斃せないにしても、ダメージを与えたと期待した。
なにしろ、腹部は最も弱い場所の一つのはずだ。
固い鎧もなく、運動不足なのか少しばかり腹がたれているようにも見えた。
絶対に柔らかいはずだ。
「――逃げて!」
クシィの警告。
だが、その前にファイは飛び退いていた。
見積りが甘かったことにすぐ気がついていたのだ。
魔獣の腹部には傷一つどころか、その白く短い毛並みさえも乱れたところは見当たらない。
「ハレンチ! こいつも獣だ。
「なるほど。なら、バカ騎士は、その隙に直撃を叩きこんでよね!」
「ああ。それしか方法はなさそうだな」
2人はほんの数撃で、すでに察していた。
自分たちの遠距離攻撃は通じやしないと。
さすが伝え聞く、伝説クラスの魔獣だ。
そもそも魔獣とは、普通の獣が強力な
受けた
逆に【
ただ、強力な
また、その原因が関係して、魔獣は総じて
そのため魔術による攻撃や、
(でも、伝説クラスでも下位のはずなのよね、こいつ。なら隙はあるかも知れない)
これを倒すには、心臓や脳といった弱点に、物理攻撃――つまり大剣による直接攻撃――をあてるしかない。
(それにはまず、隙を作らないとね……)
クシィは自分の魔術のレベルが、目の前の魔獣にダメージを与えられないと悟った。
先ほどの魔術は、自分の中で【
それならば、ダメージよりも目くらましだ。
自分の攻撃が効かず、ファイに頼らなければならない状況はプライドを傷つけたが、全くの役立たずで終わる方がよっぽど辛い。
今は戦力として、支援に徹すると心を決める。
「
直径五センチほど炎の弾が、五〇個ほどクシィの周りに現れる。
ふよふよと浮かびながら、まるで鬼火のように揺らめく火を上げている。
彼女は顔に熱を感じながらも、攻撃をひたすら避けているファイの様子をうかがった。
そしてチャンスを見つけると、その炎の弾を魔獣の顔に向かって飛び立たせる。
小さいながら大量の炎の弾が、魔獣とファイの間に割ってはいる。
魔獣が邪魔そうに、それを前足で払おうとする。
「――
クシィの号令に従い、炎の弾たちは爆発するように拡散する。
まるでフラッシュのように、光を放ちながら消えていく。
その様子に、さすがの魔獣も怯んだ。
「――よし!」
ファイは足にこめた
地面を蹴る。
一気に加速。
狙うは、首筋。
脳を狙いたくとも、頭は鎧の皮膚に囲まれて攻撃できない。
心の臓は、位置もつかみにくく体の肉厚もある。
ならば、もうひとつの弱点である脊髄を狙う。
タイミングを見計らって、前方に大きく飛ぶ。
(もらった!)
と思った刹那、魔獣は体を捻る。
ファイの左より、何かが迅雷のごとく迫る。
(尻尾!?)
ぎりぎりで気がつくも、不可避。
異様に伸びた尻尾は、まるで別の生き物みたいにファイの横っ腹を尖った先端で突き刺そうとする。
――が、なぜか直前で横向きになり、突き刺すかわりに殴打となる。
硬質化した尻尾の先端は、彼女の鎧を陥没させながら、その体を建物の端まで弾きとばす。
「――バカ騎士!」
地面を10メートル以上転がったファイを一瞬だけ目で追って、すぐに視線を戻す。
しかし、手遅れだった。
頭上に魔獣の前足が振りかざされていた。
もう障壁の展開など、とても間にあわない。
――戦闘中によそ見をする方がバカだよ。
こんな時に、守和斗の言葉が走馬灯のように脳裏に響く。
今度こそ、死ぬと覚悟する。
しかし。
その足と爪は、なぜかクシィの眼前に振りおろされた。
それでも恐ろしいほどの衝撃波と、弾かれた小石や土が、クシィを襲う。
悲鳴をあげながら、彼女は背後に飛ばされて、地面を転がり伏せた状態となる。
(ずれた!? 先の目くらましのおかげかしら……でも……)
直撃されなかったのは助かったが、もう立ちあがろうにも、体が悲鳴をあげてなかなか動かない。
「だ、大丈夫か……」
脇腹を押さえながら、ファイが近づいてくる。
美しかった金髪の長髪もボサボサだった。
薄汚れた額に、苦悶に歪む吐血が見える口。
青い双眸も、どこか虚ろな色を見せている。
「じょ、丈夫……まだ歩け……るの…ね」
なんとか体を起こすも、クシィは立つことはできない。
これは肉体的ダメージよりも、精神的ダメージの影響が大きかった。
目の前の巨躯に、大きな畏怖を抱いてしまっている。
体が震えていることがわかる。
勝てるはずなどないと、改めて実感してしまったのだ。
それはファイも同じようだった。
クシィの隣まで来たファイはその場で膝をついてしまう。
「さすがに無理……だな……」
「そのよ……ね……」
あとは獲物を喰うだけと、魔獣【キングサーベルタイガー】は、ゆっくりとした足並みで近づいてくる。
獣ながら、勝利を確信した王者の貫禄を見せる。
グルグルと喉を鳴らす魔獣から、強い獣臭が鼻腔を刺激する。
その臭いは、ひたすら確実な死を想像させる。
「悔しい……悔しいのに呪文を唱える気力もないの」
「ああ。悔しい。私ももう、剣が振りあげられない」
2人は、ゆっくりと目を閉じて覚悟を決めるのだった。
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