第三幕:師匠(三)

 村に到着した2人がまず目にしたのは、燃え上がる家屋だった。

 火の粉をまとった黒煙が、高熱と息苦しさを撒きちらしている。

 逃げ惑う者、火を消そうとする者、動かぬ者。


 クシィは手前の井戸に、もたれかかるように倒れている女性を見る。

 背中には、くっきりと染みを作る赤い筋。まちがいなく深手である。

 万が一と、その女性を抱きかかえた。

 はたして、もう息はない。

 50ぐらいの農夫の妻と言ったところだろう。

 抱きかかえた途端、頭に巻いていたずきんがとれて白髪交じりの髪がバサッと下にこぼれる。

 苦悶の顔のまま、ギョロッと目を開いて絶命していた。


 クシィは、静かにその目を閉じさせ周りを見る。

 少し離れたところに、男性が同じように転がっていた。

 腹部から血液が広がり、地面に染みが広がっている。

 彼もまた、生きていないだろう。


「ちっ! ……セレナ!」


 叫んだ後、セレナの家の目の前に行く。

 見れば、奥の方に炎が上がっている。


 クシィは、急いで水の呪文を唱え始めた。

 すぐさま中空から大量の水が降りそそぎ、あっという間に鎮火させる。

 まだ熱と煙が充満する中、かまわずクシィは家に入りこんだ。

 天井の一部や壁が崩れるが、それにかまわず辺りを見まわす。


「セレナ、どこ!?」


 喉がかすれるように叫ぶが、やはり返事はない。

 家の中に、それらしい姿もない。


「おい、ハレンチ!」


 外からただ事ではない声で呼びかけられ、言い返すことも忘れて踵を返す。

 外に出て見れば、少し離れた場所で片膝をつくファイがいた。


 クシィは駆け足で近寄る。

 そして息を呑む。

 ファイの足下には、あのパズルを解くことをねだった少年が、ぐったりとうつ伏せに横たわっていたのだ。


「まだ息がある! 貴様、魔術は得意だろう! 私の弱い回復魔術では間に合わん!」


 一緒にパズルを解いて、喜び笑っていたあのあどけない顔は、今は涙と苦悶の表情に変わっていた。

 息を荒げており、吐血も見られる。

 そして背部は真っ赤に染まっていた。


(内臓に届いている!?)


 クシィも慌てて回復魔術を唱える。

 だが、彼女も回復魔術は得意ではない。

 資質の問題もあるのだが、彼女は自分で「攻撃専門」と豪語するぐらい、攻撃魔法に特化していた。


(もっと回復魔術を学んでおけば良かった!)


 外傷だけならまだしも、彼女の術では内臓の修復までうまくコントロールできない。

 ここまでの怪我になると、生命を何とか維持させるのが精一杯だった。


「くっ……。パイを連れてきていれば……」


 ファイがそう悔やむが、どう今からがんばって往復しても、この少年の命を助けるのに間に合うとは思えない。


「この子を頼む。私は領地管理官の屋敷に向かう」


「ちょっとあんた、今は――」


「副管理官が来て、この子の妹と村の若い者たち、それにセレナ殿も連れて行かれたらしい」


「――なっ!?」


「さっき、別の村人に聞いた。この子はセレナの家で斬られたのを他の村人が助けてくれたそうだ。その者は、近くの回復魔術が使える医者を呼びに行ったらしいが……」


 ファイが言葉を呑みこむ。

 わかっている。間にあうわけがない。


「……これ、もしかしてあたしたちのせい?」


 その問いに、ファイが顔を顰めて下を向く。


「悪い予感は当たるものだな。『村人が咎人をかくまった。咎人が今日の夕方までに出頭しなかったら全員殺す』と言ってたらしい」


「外道……」


「悔しいながら、同じ聖典神国セイクリッダムの人間として返す言葉もない……。ともかく目的は私だろう。私は行く!」


「医者が来たら、私も行くわ!」


「……これは私たちの問題だ」


「べ、別にあんたたちのためじゃないわよ! あんたが行ったからって、セレナたちが無事に帰れる保証はないでしょう。それなら、あんたが殺されている間に、あたしが助けた方がいいじゃない。……だから、すぐに殺されたりしないで、あたしが行くまで粘りなさいよ!」


「……なるほど。承知!」


 ファイが立ちあがって小さく一言、「すまん」と少年に謝る。

 そして「必ず助ける」と誓うと、まるで突風のようにその場を去って行った。


 クシィは、その背中を見送った。

 不思議なことに、ごく自然に「死ぬな」とファイの無事を祈った。


 そして少年に回復魔術をかけ続ける。

 生命維持ぐらいならできるかと思ったが、やはり少しずつ弱まっている。

 血が流れすぎてしまっている。今は血を止めているが、術をかけるのが遅すぎたのだ。


 理性的に考えれば、きっと自分の力で助けることができないことはわかっている。

 だが、回復魔法をとめることはしない。

 なぜなら、一緒にパズルを解いて笑いあった無邪気な少年の顔が、瞼の裏に焼きついている。


 ふと考える。


 クシィとて、多くの敵兵を葬ってきた。

 ならば今さら1人、敵国の子供が死んだところで自分が胸を痛める必要はないはずだ。

 今まで殺してきた敵国の者たちと、なんら変わらないではないか。


(敵……味方……ああ、もう! そんな枠はどうでもいいわ!)


 クシィはとにかく医者が来るまで、なんとか命をつなごうと精神を集中する。


(あたしは……あたしは自分の思うようにできない、自分の力不足が許せないだけなんだから!)


 願いは自分の力で叶えるもの。

 しかし、この子を助けるという願いは叶えられない。


 でも、でも……それでもクシィは、どうしてもあきらめきることができなかったのだ。

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