第八幕:学徒(四)

 岩で囲まれた湯船から、白い湯気と共に湯水が手桶にくみあげられた。

 そして、かるく桃色に染まってきた肩へ浴びせられる。

 湯水は湯気を纏いながら、半分は黒い文様の描かれた背筋を流れ、半分は張りのある胸を通って、くびれた腰を渡り、そして足の先までたどりつき、その全身を包み温める。

 その快感に、ほぅとクシィは息をもらしてしまう。


(まさか温泉があるなんてね……)


 ずっと入りたかった風呂にありつけ、クシィは至福だった。

 湯温もほどよく、水質もさらっとしていて肌に良さそうだ。

 こんな良い湯ならパズルなどにかまけていないで、とっとと入りたいところだった。


(でもまあ、達成感のあとの風呂も悪くはないわ……)


 子供達にせがまれて、挑戦したパズルはかなり難解だった。

 どう考えても、子供に解けるものとは思えないほどだ。

 しかしクシィは意地と根性で、とうとうそれを解いてみせた。

 そして子供2人から賞賛の拍手を受け、「むかつくご主人様」からも感嘆を受けた。


 気分が良くなったクシィは、さらにそのパズルをファイとパイにも自慢げに突きつけた。

 なにしろ2人のせいで、パズルを解く羽目になったのだ。大賞賛の嵐を贈ってもらわなくて気がすまない。


 ところが、2人の反応は非常に淡泊だった。

 こちらのことなど、どうでもよさそうに、2人そろってなぜか湯気をまとって、ホクホクと満足げな顔をしている。


「ああ。学徒殿がパズルを解くまでに時間がかかりそうだったので、今夜は泊まれる空き家を借りることになったのだ」


 ファイが、いつの間にか決まったらしいことを説明してきた。


「この家の裏の方には、村の名物の温泉の10人ぐらいが入れる大浴場があるんですよ。クシィさんは集中されていたようなので、わたくしとファイ様は先に湯をいただかせてもらいました」


 パイが続けて、しれっと満足顔の理由を述べた。


「今夜は客人のために借り切ってある。クシィ殿もぜひ汗を流してきてくれ。そうしたら、質素ながら食事をだそう」


 家主であるセレナが、ありがたい言葉をかけてくれた。


 ファイとパイには苛立ちを感じたが、セレナには感謝こそあるものの怨みはない。

 だから、ファイとパイにだけ苦虫をかみつぶしたような顔を見せながら、クシィはセレナに礼を言って風呂を借りたのだった。


 ちなみに、守和斗は食事後に入浴すると言っていた。

 だから食事の時間まで、クシィはなるべくゆっくり風呂を楽しもうと思っていた。

 大好きな風呂に、久しぶりに入れたのだ。

 ゆるりと楽しみたい。


「失礼。申し訳ないが、私も一緒に――」


 そんな気の緩みがあったせいだろう。

 湯を浴びている最中、クシィは風呂場にセレナが入ってきたことに気づくことができなかったのだ。


(――ヤバッ!)


 と思ってふりむいて背中を隠した時には、遅かったであろう。

 彼女の白い背中に描かれた黒き大きな文様は、セレナに見られてしまったはずだ。

 せめて長い黒髪を後ろに流していればよかったのだが、今はすっかり頭の上でまとめてタオルで巻かれてしまっているために丸見えである。


(バレた!? 口を封じるか……)


 その文様は、血流が活発になった時に浮かびあがる【黒の血脈族】の証であった。

 この文様が複雑なほど強い魔力をもつ証明となるのだが、純血種であるクシィは複雑なだけではなく、かなり大きい。

 一般的な文様が掌サイズから両掌サイズ程度までなのに対し、彼女の文様はほぼ背中一面に現れていた。


 ただ、リラックスせずに意識していれば、現れないようにもできるものだ。

 今は文様を沈めたが、クシィは自分の油断に我ながら呆れてしまう。


(ごまかせるか……)


 クシィは言い訳を考える。

 【黒の血脈族】でも、国に所属せず自由な冒険者として旅をしている者もいる。

 しかし、連合側エリアで【黒の血脈族】の冒険者は希有な存在。さらにこれだけの文様を持っている者は、そうそう存在しないはずである。

 冒険者証明書でも持っていればごまかせたかもしれないが、普通は聖典神国連合の敵国である【黒の血脈同盟】の者であると疑いの目は免れない。

 だいたい、自分は【学徒】ということになっている。学徒は普通、国の研究機関に所属するため、ごまかしは難しいのではないか。


「いや、すまないね。驚かせてしまったみたいで」


「…………」


 だが、おかしな事に、セレナはそのことに触れなかった。

 何事もなかったように微笑しながら、お湯を浴び始める。


「食事の支度が終わったので、私も先に風呂をすませたいから、悪いけどご一緒させてくれ。食事のあとは、スワト殿がはいるから、さらにその後だと遅すぎるのでね」


「え、ええ……」


(気がつかれなかった……のか……)


 この露天風呂にある灯は、松明が一つだけ。

 クシィの住んでいた城の大浴場のように、発光石の輝きで夜でも明るいなどと言うことはない。

 確かにこれだけ暗ければ、とっさならば気がつかれないこともあるかも知れない。

 ならば、あとは見つからないようにすれば良い。


 クシィは、念のために背中を見せないよう、湯船へ入ることにした。

 本当なら至福の時のこのリラックスタイムも、今は緊張で体が強ばってしまう。

 今、温まりもせずに風呂を出たら怪しまれるかもしれない。しかし、あまり長い間、温まった体の文様を隠しているのも難しい。

 さて、どうするか?


 そんなことを悩んでいるうちに、少しやせ気味の体を洗うセレナが話しかけてくる。


「実はね。私の父は、元正騎士ラロルだったんだ」


「……え?」


 唐突な話題に一瞬、クシィは戸惑う。

 だが、すぐにこれは、自分の正体を知ったための警告かと警戒する。

 わざわざ、自分が騎士レイト……ではなく、連合でいう騎士ロールの家系だと名のった。

 連合の騎士ロールならば、敵国の者を見つけてただではすまさないだろう。

 クシィは、彼女を仕留めるために隙を探りはじめる。


「すごく正義感の強い人でね。困っている人を見逃せない人だった」


「…………」


「でもね。ある日、父は突然、騎士ロールをやめてしまったんだ」


「……どうして?」


 話の流れが妙なことに気がつき、クシィは話を合わせた。


「父曰く、第六の英雄騎士ヴァロルは腐っていると。父の憧れた、英雄ではなかったんだ」


「…………」


「彼らは私欲に走り、本当に困っている者達に見向きもしないどころか、むしろ害をなしている。だから父は騎士ロールをやめて、自分の手の届く範囲だけでも困っている人たちを助けようと思ったらしい」


「……騎士ロールをやめた一人の人間が、やれることなんて、たかが知れるんじゃないかしら」


「……そうだね」


 セレナは苦笑いを見せる。


「だけどね、父はできるだけがんばった。いざという時に、より多くの人を救えるようにと、正騎士ラロルの時よりもさらに強さの鍛錬もした。そして気持ちも広く強くしようとしていた。それこそ、自分に敵対する人間さえも、困っていれば手をさしのべた。そして自分の命をかけて、この村の人たちを守ろうとした」


「……ここの領地管理官に殺されたって言ってたわよね」


「ああ。あまりにも酷い税の取り立てに苦情を言ってね。でも、自分が処刑されると知っても、自分のことよりも人のこと……いや。私のことを心配していた。私に『生きろよ』と言ってくれた」


「…………」


 クシィの中で、セレナの話と自分の記憶がオーバーラップする。

 空に広がる黒い渦。

 その下にいる、馬上の父。

 少しは慣れた場所にいる自分。

 迫る渦。

 風の魔術を放つ父。

 吹き飛ばされる自分。

 その最中、風が一緒に運んできた父の最後の言葉。



――生き残れ!



 まるで、命令のような言葉。

 自分が逃げ切れないと判断した父は、クシィだけでも逃がそうと最後の力をふりしぼったのだ。

 その後、自分は気を失い、第五英雄騎士ヴァロルに捕まるものの、守和斗のおかげでこうして無事に生きている。

 父の命がけの最後の命令を守る事ができている。


(父上……)


 クシィは何かがあふれそうになるのを抑えるように、湯船のお湯を顔に浴びせる。


「そんな父は、私にとって本当の英雄なんだ。だから、私も父のように生きたいと思っている。どんなに独学でがんばっても、単なる男勝りで戦う強さはないけど、せめて気持ちだけでも強く・・・・・・・・・・・・。そして父のように、たとえ敵国の人間でも・・・・・・・、本当に困っているなら助けてあげられる人間になりたいと思っているんだ」


「…………」


 クシィはやっと、セレナの意図を理解する。

 そして彼女の微笑に、自分の緊張が自然にほぐれることを感じていた。

 思わず、クシィにも微笑がこぼれる。


「やっぱり、こんな考え方……おかしいかな?」


「いえ。気持ちはわかるわ。あたしにとっても、父は英雄ですもの」


「そうか……。なら私が、父が守ろうとしたこの村を守りたいということも、わかってくれるよな」


 そういうと、セレナはゆっくりとクシィの入っている湯船に近づいてきた。

 彼女の眼光に、クシィは決意を感じる。

 その決意から、セレナの言わんとすることをクシィは察することができた。


「安心して。あたしもあなたと同じよ」


 だから、クシィも本心を答えた。


「父に『生きろ』と言われたから、生きて無事に帰りたい。……それだけよ」


「……そうか。じゃあ、クシィちゃんも、がんばらないとな!」


「クシィ……ちゃんって……」


「私からみたら、まだ『ちゃん』だよ」


「あたしはもう、成人しているわ! 17よ!」


「17なんて、まだレディとは言えないぞ」


「……そ、そうね。でも、20過ぎて結婚もできないよりは、女としてマシかしら」


「こら! 10代で結婚しているのなんて、士族ぐらいだぞ。普通の国民なら、私ぐらいで結婚していないのなんて……」


「しているのもいるでしょ?」


「そ、そりゃいるけど……。そういうクシィちゃんだって婚約者とかいるのかよ。……あ。もしかして、スワト殿が?」


「ちょっ! 冗談はやめてよ!」


「アハハハ。赤くなってかわいいな!」


「くっ……年増……」


「――ひどっ!」


 クシィとセレナのたわいない話は大いに盛りあがり、おかげでその日の夕食はかなり遅くなってしまった。

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