第三幕:救世主

――協定世界時【2038年1月19日3時14分7秒】



 守和斗と組織の仲間たちは、できる限りの手を尽くした。

 だが、世界の終わり――神が啓示した【黒の黙示録】にある【闇の極相クライマックス】――は始まってしまったのだ。


 守和斗は高度数百メートルの空中に浮かびながら、さらに天空にある暗き大きな穴を見つめる。

 本部からの連絡によると、その直径は約25キロメートル。

 これがこれから、どんどん広がっていくらしい。

 そして地球のすべてを呑みこみ、この星の生命はすべて黄泉よみの存在となる。


 守和斗は、周りを見回した。

 自分と同じように空中に浮いている者が10人ほどいる。

 その者たちに「降りるぞ」と声をかけると、地面に向かって急降下する。

 小さかったビル街が、急激に大きくなってくる。

 あちらこちらから上がる煙と炎。

 一部、崩れた街並み。

 地面には、動き回る死者の群れ。

 守和斗は、都庁の屋上にあるヘリポートをめざす。

 そこには、さらに多くの仲間たちが待っていた。


「兄様……」


「兄さん!」


 着地と同時に駆けよってくる2人の妹の顔には、焦燥と不安が浮かんでいる。

 守和斗は大丈夫という気持ちをこめて、黒髪と栗毛の頭にポン、ポンと手をのせた。

 それでも、2人のしんゆうはぬぐえない。

 周りにいる者たちにも、大きな心痛が浮かんでいる。


 空から守和斗とともに降り立ったものも含めて、この場にいる者は50名以上。

 超能力者、魔術師、法力僧、神主、巫女、占い師、妖術師、呪術師……。

 ここにいる者は、すべて何らかの異能力を持つ者たちだ。

 そして、この【黒の黙示録】を止めるために組織された、世界最大の異能力者集団である【PMO(Psychicers & Magi Operation)】に属する仲間たちである。


〈ヤバいな。邪魔が入ったせいで、始まっちまった……〉


 耳につけられたヘッドセットから、なじみの声が聞こえる。

 守和斗は、なるべく落胆を見せないように応える。


「うん。これはもう止めるのは無理だよ」


〈くそっ! ……こうなったら、九鬼阿闍梨くがみあじゃりに頼みこんで、闇をなかったことに……〉


「何度も言ったけど、じいちゃんは部外者だから無理だよ。それができるなら、俺もPMOもいらないじゃないか」


〈くっ……わかってる! わかっているが……みんなに協力してもらって、ここまでプロジェクトを進めてきたのに! 全部、俺の責任だ!〉


「ローさん……」


 PMOの最高責任者の悔みに、周りのメンバーから「そんなことはない」「やるだけはやった」と励まし、慰めの言葉が飛び交う。


 そうだ。

 彼は異能力などもたない一般人ながら、その才覚と資金、人脈を使って、この組織を作り上げた人物だ。しかも、まだ20代という若さである。

 守和斗から見れば、彼の方がよほど超人だった。

 彼こそが、褒め称えられるべき存在だろう。


 だが励ましも慰めも、今となってはなんの救いにもならない。

 そのことは言っている者も、言われている者もわかっていた。


「やっぱり、俺が行くよ……」


 だから、守和斗は決心を口にした。最初から、そのつもりだったのだ。

 しかし、ヘッドセットから猛烈な反対が響く。


〈ダメだ! お前は今までだって、一番犠牲になってきたんだ!〉


「俺は、犠牲になったなんて思ってないよ」


〈とにかくダメだ! つゆ、そいつをテレポで連れ帰れ!〉


「無理言わんでや、あるじ殿……」


 守和斗のちょうど正面にいた、アジサイ柄の着物姿の女性が、ヘッドセットに耳をあてながら困った顔を見せた。


「いくらわらわが世界最高のテレポーターだとしても、相手は最強の万能力者アルティメイタムや。わらわのテレポートで捕まえることなど、無理に決まっているのや」


 空間転移テレポーテーションの先生役だった彼女が、寂しく苦笑する。

 守和斗も苦笑しながら、「すいません」と一言謝った。


「ローさん……」


 そして、かるく深呼吸してから空の闇を睨み、兄のように慕っている相手に少し強めの言葉を放つ。


「このまま放置してたら、結局どこにいても死ぬんだよ。しかも、みんなだ。……ローさんだって、本当はわかっているでしょ」


〈だからと言って、お前が死んでいい道理はない! 俺のプロジェクトの成果物は、お前を犠牲にすることではないぞ! この危機を乗り越えて、お前や他の者たちに『普通の生活』をさせてやることこそが、最終成果物なんだ!〉


「……ありがとう。ローさんがいつも、俺たちのことを考えてくれていることはわかっていたよ」


〈礼なんて言うな。結果がでなければ、いくら考えても意味がない〉


「そんなことはないよ。それにローさんはこれから、いろいろなことをまだ考えなければならないじゃないか。この秩序が乱れた社会を元に戻す役目もあるでしょう? その【ロー】の名のとおり、新しい法の秩序を作ってよ」


〈……悪いが、俺のプロジェクトにそんなことは入っていない。お前たちに、おんぶにだっこの奴らの心配より、お前たちの心配が先だ。それにな……本当は『ロー』なんていう立派な語源じゃない。いつの間にか、【境界のバウンダリーロー】なんて呼ばれていたが、笑っちゃうような、くだらない語源だ〉


「え? そうなの? 初めて聞いたよ。語源はなに?」


〈……この危機を乗り越えたら、教えてやるよ〉


「あはは。それは絶対に戻って、聞きださないとね」


 守和斗は、力を抜いて笑った。

 自分が犠牲になるなんていう想いはなかった。

 自分が助けることができるという喜びしかなかった。

 彼も、家族も、仲間も、守和斗は必ず助けるんだと強く思う。


「兄様……。ボクも行く」


 黒髪短髪の妹が、漆黒の太刀を握りしめて一歩前にでる。

 その決意の声は、その手の太刀の切れ味のように鋭かった。


「当然、わたしも行きますよ、兄さん」


 栗色の長髪の妹も、透きとおるような声と共に一歩前へでる。

 その決意の声は、その手に持つ鞭のようで守和斗に巻きつき逃がさない。


「…………」


 同時に2人の声は、誰よりも優しい。

 だからこそ、守和斗は2人の声を受けいれなかった。


「ダメだよ。2人には、もれた闇の力の処理をしてもらわなければならない」


「で、でも……」


「兄さん1人に……」


「それに、2人の力――闇を切り裂く力、闇を浄化する力――で、あの極相クライマックスの核まではたどりつけない。今、必要なのは闇を受け入れる力……つまり、これは俺の役目だ」


「…………」


「…………」


 2人は黙ってうつむく。

 守和斗は、「この2人と別れる哀しみ」を「助けられる嬉しさ」でごまかすように、また2人の頭に手をのせる。


「大丈夫だよ。あの闇の核と一緒に亜空間に飛ぶだけだ……」


「でも、亜空間に飛んで力を使い果たした後……」


「そうよ。出られなくなって死んじゃうかもしれないわ!」


 瞳に涙を浮かべる、1つ下の2人のかわいい妹たち。

 彼女たちにかける言葉を守和斗は懸命に探す。

 自分はもちろん、死にたいわけではない。

 できるなら、亜空間であの闇の核を破壊して、さらにこの世界に戻ってきたいと思っている。

 しかし、たぶんその力は、妹たちの言うように残っていないだろう。そもそも力が残っていても、亜空間から戻れる保証はない。


(ここで虚勢を張るのは簡単だが、俺が生きているかもしれないという未練を残すのも……)


 妹たちには、新しい世界で新しい人生、ローの言う「普通の生活」をぜひ送ってほしい。

 それには、俺への未練など早く捨てるべきなのだ。

 だけど「俺は死ぬと思うからあきらめろ」とも言いにくい。

 守和斗は、そう思うとなにも言えなくなった。



〈――大丈夫。守和斗は死なない〉



 黙した守和斗たちの耳元に響いてきたのは、優しい響きの女性の声だった。


櫛灘くしなだ母様……」


櫛灘くしなだ母さん……」


 妹たちがその名を呼んでから、やっと守和斗も反応する。


「母さん……」


〈守和斗。あなたは死なない。死ぬのではなくて、あなたはこれから長い旅にでるの。だから、帰っては来られないかもしれないけど〉


 なるほどと、守和斗は思った。

 死なないけど、帰っては来られない。

 守和斗は、自分の母親の優しい言葉に感謝した。


「そうか。旅にでるのか、俺は。……しかし、母さん。いつから占い師になったんだい? それとも予知能力でも目覚めた?」


 明るく冗談めかしながら、守和斗は話した。

 これが母親との最後の会話になるかもしれない。

 ならば、せめて明るくしようと思ったのだ。

 だが、母親は意外なことを口にする。


〈違うのよ、守和斗。予知ではないの。……思いだしたのよ。あの極相クライマックスを見て〉


「え? 思いだした? ……ってまさか、過去のこと、父さんと出会う前のことを思いだしたの?」


 驚いた。

 自分の母親は、昔の記憶を失って倒れていたところを守和斗の父に助けられたのだと聞いている。

 そして今まで、昔の記憶を思いだすことがはなかったというのに。



――ピーィ、ピーィ……



 突然、耳元に鳴り響く警報。

 続く女性の声。


〈大量の魔物がそっちに終結しているよ! それに闇もこれ以上広がると、核までの距離がテレポ範囲外になるかも!〉


 守和斗は、その警告に空の穴をにらむ。


「アネさん、限界は?」


〈あと、573秒!〉


「よし!」


 母親のことも気になったが、それどころではない。


「母さん。それじゃ、旅にでるよ。他の母さんたちと、父さんにもよろしく言っておいて」


〈うん。……守和斗も、私の言いつけ、ちゃんと守ってよ〉


「期待を裏切らず、自分を曲げない、女の子を大切にする男になる……だろう?」


〈そうそう。特に最後のは大事よ。これから・・・・女の子にもてるためにね〉


「また、それかよ」


 守和斗はヘッドセットの向こうの母親と同時に笑いだす。

 だが、すぐに無粋な警告がまた聞こえて笑うのをやめた。

 そして、守和斗は大きく深呼吸する。


「じゃあ、行ってくる」


〈うん。……覚えておいて、守和斗。あたしはあの人と逢えて、あなたを生んで幸せだったわ。……じゃあ、また会いましょう。よろしく・・・・ね〉


「よろしくって……ああ、闇の核は任せて……っと、団体さんのおでましだ。一気に片づけるから、みんなさがって!」


 上空に開けられた黒々とした大穴の下には、どこからともなく集まった魔物が約100体ほど飛んでいた。

 圧倒的な禍々しさが、頭上を埋める。

 しかし守和斗は、その迫力に怯むことなく不敵に笑って先手をとった……。






「――うむ。その時のことは、ワシも覚えている。あのガーゴイルどもを引き裂いてやった時のことであろう」


 緋鷹は、床に尻をついて座りこんでいる守和斗を見下ろした。

 言語交換と記憶の想起が終わった彼は、2人の少女が寝ているベッドの横で脱力している。

 かなりの力を使ったのだろう。しかし、続きを聞かないわけにはいかない。

 緋鷹は、話をうながす。


「問題は、その後じゃろう」


「ああ。……その後、俺は闇の核を見つけて亜空間まで飛ぶことに成功したんだ」


「そうか。成功したか……」


「そうだ、成功した……。そして、人のの感情……その供給を切りはなした亜空間で、闇の核を無に帰そうとした……」


「ふむ。それで?」


 窓辺で赤い陽射しを浴び、その体をより朱く見せる緋鷹は、少し身を乗りだすように守和斗を見た。

 その視線に、守和斗が少し目を曇らせる。


「でも、その時、なんか邪魔が入った……」


「邪魔じゃと? 亜空間にか? いったい誰が……」


「それが、そのあたりの記憶がまだ……曖昧なんだ。なにかいた・・気がするんだが……気のせいかもしれない。亜空間は……どうも……でも、俺はとにかく……慌てて闇の……核を壊そうと……。そして……たぶ……ん……破壊し……た……」


 少しずつ言葉が途切れ途切れになり、守和斗がそのまま辛そうに上半身を倒し始める。

 重い瞼をなんとか持ちあげようとしているようだが、自分の意志ではもう開けていられなくなっているらしい。


「すま……ん。疲れ、た……」


「それはそうであろう。3人で言語交換をいっぺんにやったのだからな。とにかく少し休め」


「ああ……深睡眠ディープスリープに……はい……る……見張り……よろ…し……」


 途切れた言葉は、すぐに寝息に変わる。

 その様子を緋鷹は嬉しそうに見て、安堵のため息をもらす。


「少しではなく、ゆっくり休むが良い。もうヌシは、戦わなくて良いのだ。立派に救世主の役割を果たしたのだからな……我が誇りたるあるじよ」


 誇らしげに主を見る緋鷹。

 彼は、自分を生みだした最高の主に仕える喜びを感じていた。


 翌日。その誇りたる主が、苦労して助けた小娘2人から、「変態」「スケベ」と貶されるとは未だ知らずに……。

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