第六幕:手品師(二)

 白銀の鎧をまとい、金髪をたなびかせる彼女が、なにかを懸命に守和斗へ語る。

 しかし、やはり守和斗は言語を理解することはできない。

 それでも何が言いたいのか、首を捻って思考を巡らす。


「えーっと……もしかして、逃げろってこと?」


「くっくっくっ。そのとおりだよ、チープ野郎」


 守和斗の疑問に答えたのは、トラクトだった。

 その声は、どこか嬉しそうだ。


「その娘は、こう言っているんだよ。英雄に逆らうのはバカなことだ。英雄と渡りあえるのは、同じ英雄レベルの者だけだ。一般人が逆立ちしても勝てやしない。自分が時間を稼ぐから、お前は逃げろだとさ。まあ、時間稼ぎなんてさせないから、逃げられないけどな」


「……なるほど。まあ、確かに『実力のよくわからない相手とやるべきじゃない』と教えられてきたけど」


 彼女を後ろに押しやって、守和斗は自分が前にでる。

 そして、その金髪の頭にポンッと手をのせる。

 よく自分のことを心配する妹たちへやっていたのと同じように、安心を伝えるための笑みを浮かべながら。


「大丈夫だよ。この程度の英雄なら、手品師で十分だから」


「バカが! こっちは本当にタネもシカケもねーぞ!」


「奇遇だね。こっちもだよ」


 そう言うと守和斗は、転がっていた茶色い布を拾いあげた。

 それはたぶん、兵士の誰かがつけていた外套かなにかなのだろう。

 彼はそれをはためかせて広げた。


「……なんのつもりだ?」


「手品道具。これで戦ってみせましょう」


「ふさげたことを! じゃあ、こっちも見せてやるよ。本当の魔術を!」


 トラクタが、守和斗に向かって左掌を突きだす。


「……うおおおおぉぉぉ~~~ぉ……α ν πアルニューパイラ!」


 呪文と共に、人の頭ほどの大きさがある炎の玉が掌の前に現れた。

 それは間髪いれず、守和斗に向かって飛来してくる。

 しかし、守和斗にとってそれは想定内。

 持っていた布で、払うように受けとめる。

 もちろん、本当ならばそんなもので受けとめられる勢いではない。

 だから、トラクトも燃え尽きる守和斗を想像していたのだろう。


「――イイイィィィッッ!?」


 ところが布が焼けるどころか、布に包まれた途端に炎の玉は消失してしまっていたのだ。

 その不可思議に唖然としたトラクトは、開いた口が閉じなくなってしまう。


「英雄さん。後ろ、後ろ」


「へ?」


 そこに守和斗の間の抜けた警告。

 刹那、トラクトの背中に強い衝撃と、高熱が襲いかかる。


「――ウップッ!!」


 トラクトは、思いっきりエビ反りで前方に飛ばされた。

 さらに前のめりに倒れ、地面に深緑の鎧をこすりつけてしまう。

 衝撃で霞む視界と、軋む背筋。

 その辛さに悶えながら、彼はなにがおきたのか咄嗟に理解できなかった。


(……まさか……)


 しかし痛みに耐えて、なんとか体をおこすころには察していた。

 背中に当たったのは、自分が放った炎の玉だったということを。

 魔力による保護膜をまとっていたからよかったものの、なければ背骨が砕けた上に燃えかすになっていたはずだ。


「ど、どうなって……」


「思った通りのつまらない攻撃だなぁ……。悪いけどね、その程度のファンタジーRPGチックな魔術、俺にはまず通用しないよ」


 守和斗が「遊びはお終い」と言いながら、持っていた外套を放り投げてため息をつく。

 その態度に、トラクトは激怒した。

 怒声で「ふざけるな!」と叫んでから、また炎の玉を放った。

 ところが、今度はもっと無残な結果が待っていた。

 炎の玉は放たれてすぐに、守和斗の「伏せ」という言葉と共に、たたき落とされるように落下して地面にめりこんでしまったのだ。

 信じられない顔で、懲りずにトラクトはまた放つ。

 しかし、結果は何も変わらない。

 トラクトは手を前に突きだしたまま、放心した状態で固まってしまう。


「あのさぁ、炎の玉をなんの芸もなく飛ばしてもダメでしょ?」


 それに対して、目の前の謎の若造は偉そうに説教してくる。

 この英雄トラクト様に対して。


「そんなものまっすぐ飛ばすなら、銃を撃った方が早いじゃないか。せっかくの魔術なんだから、もっと工夫しないと」


「ふ、ふざけんなよ……。なら、特大の雷だ! デルタズ――んっ!?」


 突然、上唇と下唇がひっついた。

 自分の口だというのに、まるで貼りついたように動かせない。

 手で唇を開こうとするも、ピクリとも開こうとしない。

 これでは呪文を唱えるどころか、トラクトは唸ることしかできなくなってしまう。


「もう魔術はいいので黙ってください。しかし、最強クラスの英雄ってのが、このぐらいの力なのか」


「んっ! うんんんんっんっ!」


「ん? なんか、ほかに言いたいことでも? ――ったく。はい、どうぞ」


「――ぶはっ!」


 守和斗が「どうぞ」と許可した途端、トラクトの口が開いた。

 瞬間、ボンドでもくっついていないかと、トラクトは自分の唇を触ってしまう。

 数秒触って、やっとなにもついていないことに安堵した。

 そして、怒りの表情のまま守和斗を睨む。


「テメー、どうやったかしらねーが……。俺たち聖典騎士の本領は、気力アウラを使った剣技なんだよ!」


 トラクトは、剣先を守和斗に向けた。

 そして「剣を取って、正々堂々と勝負しろ」と決闘を申し込む。


 守和斗の使う奇妙な魔術は得体が知れない。

 ならば、剣技で勝負すればいい。

 それならばなんとかなるはずだと、気合と共に剣に力を注ぎこみ始める。

 すると体の周りに、魔力とは違う力の奔流が生まれる。

 これぞ、聖典騎士セイクリッド・ロールの真骨頂だ。


 今まで余裕を見せていた守和斗の顔も、さすがに驚きを露わにする。


「おお。これはすごい。気の物理エネルギー化か。言うだけあって、ランクAAの力だ……」


「ハッハ! これが英雄の力だ! 驚いたか!」


「正直、驚いた。これは手品師じゃ力不足だ……」


「当たり前だ、バカが! もう謝っても遅いぞ!」


「もちろん謝まらないけど、試しに武器ぐらいは用意してみるよ」


 そう言うと、守和斗が周囲を見まわした。

 周りには多くの兵士が寝ており、彼らが持つ剣も転がっている。

 その中のひと振りに手を伸ばす。

 すると、数メートルほど先にあった1本の剣が、見えない力でフワッと浮きあがった。

 そして空中を滑るように飛び、スッと当たり前のように守和斗の手に収まってしまう。


「ちょっ、ちょっと待て!」


 鎧の中で青い目玉が落ちるのではないかというぐらい、トラクトは大慌てした。

 違う。魔法などではない。


「そ、その能力アビリティ……。さっきから思っていたが、もしかして念じているだけか!? 魔法とかじゃなくて、まるで念動力テレキネシスみたいじゃないか!」


「あれ。もう種明かしされちゃったか」


「な、なんだ…と……なんなんだ……それ……なんなんだ、それ!」


 自分の知らない力。

 自分たち英雄をも超える力。

 あってはならない力。

 その事実に怒りを覚えたトラクトは、破裂したように剣を頭上に跳ねあげ、そして振りおろした。

 その刃の軌跡に衝撃波が走り、空気を割って守和斗を正面から襲う。


風振る領巾かぜふるひれ!」


 守和斗も大上段から刃を振りおろす。

 走る衝撃波。

 2つの波は、正面からぶつかる。

 破裂する空気。

 その勢いに、2人の少女たちが横に転げる。

 土煙でふさがる視界。

 一瞬のひるみ。

 瞬刻、その風塵の壁を破り、守和斗の姿が現れる。

 気がついた時には、自分の懐内。

 トラクトの胸に守和斗の蹴りがヒットする。

 しかも、ただの蹴りではない。

 足の底から、この世界で言う気力アウラを発し、その振動を鎧の中に伝達させてくる。


「――グハッ!」


 トラクトは予想以上の衝撃を受けながら、後ろにふっとぶ。

 鎧を着込んだまま後転しつつも、なんとか身体をおこす。

 胸の奥から喉にあがってくる異物感。

 吐血。

 だが、それに驚く暇もなく、守和斗が迫る。

 トラクトは大剣を横薙ぎにした。

 しかし、手応えはない。

 すでに守和斗の身体は、中空にあった。

 閃光が手元に走る。

 激しい金属音。

 強い衝撃が両腕に伝わる。

 掌から喪失感。


「……あぐっ……」


 トラクトが覚えているのは、そこまでだった。

 気がつけば、まだ10代後半程度の少年に、足で胸を踏み押さえられ地面に寝転がされていた。

 喉元には剣先。

 動けば殺すという意思表示のように刃が光を流し、トラクトは一瞬で全身を強ばらせた。


 負けた。

 完膚なきまでに負けた。

 だが、なぜ負けたのかと、言い訳のように思考を巡らした。


「……なんだろう。この達人と素人が混在した違和感は。ひとつひとつの技も剣筋もすばらしいんだけど、それがまったくバラバラで組み立てられていない」


「……い、いくらだ?」


 トラクトは、守和斗の疑問など聞いていなかった。

 自分は、英雄役なのだ。

 英雄はこの世界で最強クラスであり、それを圧倒できる者など存在しない。

 たとえ他の英雄や黒帝上級騎士ブラディッシュ・トプレイトでも、ここまで実力の差があるわけがないのだ。

 この自分がまるで、赤児の手を捻るように負けるとすれば、理由は1つしかないはずだ。


「そんな特殊能力スペシャルアビリティを与えられたのが、プアプレイヤーのわけがない。いったい、いくら払ったんだ? それともなにかの権力コネのおかげか?」


「…………」


「教えてくれ! オレもその能力アビリティが欲しいんだ! それがあれば、オレは英雄騎士ヴァロル王たる【勇士ブレアル】の称号をとれる! すなわち、この世界の真の勇者になるんだ! ……第八は死んでくれたが、まだ第一と第六、第四の英雄騎士ヴァロルがいる。あいつらに勝たないといけないが、今のままでは……。いくらだ! いくらで買ったんだ!?」


 トラクトは殺されるという恐怖よりも、欲望の方が強くなった。

 刃が首元に近づくのもかまわず、興奮気味に守和斗に迫った。

 しかし、対する守和斗は眉間に皺を寄せて、低く唸るだけだ。


「頼む! 教えてくれ! もちろん、礼金も払う!」


「あのねぇ……。俺の能力は、金で買ったもんじゃない。もちろん、女神様が与えてくれたもんでもない。自前なんだよ、自前」


「自前……。な、なにを言って……ああ! そうか! 教えたくないんだな! よし、わかった! なら、教えてくれなくてもいい。手を組もうじゃないか! オレとお前が手を組めば、勇士ブレアルに……いや、この世界を征服できる! もちろん、あの女たちも、お前に譲る! 気にいったんだろう? な? このゲームの勝者になれるぞ!」


「世界征服って……俺の能力は、そんなことのためにあるんじゃないよ」


「じゃ、じゃあ……お前は、なんなんだよ!」


「俺がなんなのか……ね」


 そう言うと、守和斗がグイッと顔を下げてくる。

 そして、今までにない重い声で呟くように開口する。


「俺は、【黒の黙示録】から世界を救うために創られた【万能力者アルティメイタム】だよ」


「ア、最後通告アルティメイタム?」


「そう。だから、あんたに最後の言葉を届けよう。……勇士ブレアルは、あんたじゃ役者不足だよ」


「なっ、なんだとぉ!?」


勇士ブレアル……よくわからないけど、勇者様なんだよね? なら、力でなるもんじゃないでしょ。きっと勇者ってのは、たくさんの苦しんでいる人たち、哀しんでいる人たちの辛い顔を見てきた人だ。その気持ちを感じて、それをなんとかしてやりたいと、勇気をもって立ちあがった者のことを言うんだよ」


 守和斗が、まだ座りこんでいる2人の女性を一瞥する。


「なのに、あんたはあの2人の哀しみを感じられなかった。だから……最後通告アルティメイタム、『あんたに勇者の大役は務まらない。あきらめろ』」


 その語尾で、守和斗が指を顔の前で鳴らせた。

 途端、トラクトは開こうとしていた口を動かせず、スーッと闇に落ちていく。


「――ったく。結局、ここはどこなんだよ。まいったなぁ……」


 最後にトラクトが聞いたのは、自分という英雄を前にした時よりも、ずっと困惑している守和斗の声であった。

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