第一章:救世主は、貧乏人?

第一幕:囚人

――……ワト……――



――……スワ……ト……――



 暗闇から聞こえる呼びかけ。

 その後に感じたのは、全身のギシリとした痛みだった。

 そして、右頬に冷たく固いものが押しつけられている感覚。

 ああ、自分は横になっている。

 さりとて、とてもベッドの上とは思えない。

 いったいここはどこだと、守和斗はゆっくりと瞼を開ける。


(……あれ?)


 彼の黒い瞳に入ってきた景色は、見たこともない石の壁だった。

 薄暗い中に、びっしりと浅黒い石が敷きつめられている。

 湿気くさく、苔が生えた、世辞にもきれいとは言えない石壁。

 瞳だけを動かして周りをうかがうと、全体が石でできた部屋のようだった。

 頬が冷たかったのも、石畳にひれ伏していたからだ。


(俺はなんで……んっ!?)


 立ちあがろうと、手を動かして気がつく。

 腕が後ろに回されて動かない。

 どうやら金属製の手枷がつけられているらしい。

 しかも、普通の手枷ではない。


(魔力や気力を吸って封印するタイプか。俺にこんな無意味な手枷……)


 彼は手枷を解錠しないまま・・・・・・・はずした。

 カランと高い音を立てて、手枷が閉じられたまま石畳に転がる。

 魔力や気力を抑えられても、超能力である空間転移テレポーテーションには影響ない。

 もちろん破壊することもできたが、警報が働くタイプだと面倒である。


(確か……俺は妹たちと別れを告げて……闇の核と亜空間へ……あれ? 飛んだのか?)


 いくら想起しようとしても、都庁の屋上にたどりついたあたりから記憶が曖昧だった。

 目覚めた瞬間に、それまで見ていた夢の内容を思いだせない状態とそっくりだ。

 なにか見ていた記憶はあるのに、それがどんな内容なのかロックがかかったように出てこない。


 上半身をおこして座すと、ところどころ身体が痛む。

 この痛みは、擦り傷と打ち身。

 なんで自分は、こんな傷を負っているのだろう。


 自分の体を改めて見ると、黒地に金ラインの入った戦闘用ジャケットスーツが、あちらこちら裂けたり、焦げたり、腐食したりと、無残な姿となっていた。

 身体の動きを妨げることない伸縮性を保ち、それでいて耐熱、耐寒、防刃、防弾効果等もある、丈夫な最新鋭の特殊素材だ。

 それがここまでひどい状態になったことなど、守和斗は一度たりともない。


 少し上に視線を動かした。

 白い光に、少々目がくらむ。

 それは、小窓から入り込む太陽の光だった。

 大人が通り抜けるには、辛いサイズの小窓。

 窓ガラスがなく、縦に刺さる鉄格子が2本。

 その横から、青々とした草が室内に入りこんでいる。

 草をたどった水滴が、床にポツッとたれていった。


(……地下牢? ……そんなことより、闇の拡大はどのぐらい……)


 守和斗は立ちあがり、空を見上げた。

 透視能力クレヤボヤンスを働かせて、天井を突き抜け、さらに屋根を抜けて視界を伸ばす。


「……えっ!? ない!?」


 そこに闇などというものはなかった。

 雲ひとつない、きれいな快晴の空が広がっている。

 世界のどこにいても感じた、強大な陰の気配さえも感じない。

 ということは、亜空間に闇の核を運んで、無事に元の空間へもどってこられたということなのだろうか。


(それなら、神様に初めて感謝するよ)


 とにかく、外に出て状況と位置を確認する必要がある。

 守和斗は空間転移テレポーテーションし、一気に上空まで舞いあがった。

 そして身体をそのまま念動力サイコキネシスで浮かせる。


 はたして眼下に広がっているのは、地獄絵図と化した東京のオフィスビル街――


(……えっ!?)


 ――ではなかった。


(ちょっ……嘘だろう……)


 美しく鮮やかな緑の森。

 清らかで雄々しくそびえる山。

 きらめく光を返す、自由に流れる川。

 埋め立てられた所などなさそうな海。


 どこまでいっても、高層ビルどころか電柱ひとつ見えやしない。


 代わりに見えたのは、遠くで煙を上げる小さな村の姿。

 広がる牧草、田園。

 さらに遠くで威厳をかもす、西洋風の城の姿。


 そして、背後。

 太陽の方角から考えて、北西側だろう。


 そこに、巨大な針葉樹が見えていた。


 いや。「巨大」と一言で形容しきれない。

 その大きさは、東京都庁舎ビルなど目ではなかった。

 まるで富士山が形を変えて樹木に化けたかのようだ。

 いや、それよりも高い。

 しかも、その素材は輝きを吸収し、反射し、変色している。

 恐ろしさを感じるほどの神秘的存在感。


(ク……クリスタルの巨木……)


 目を凝らせば、その周辺を飛ぶ影がある。

 飛ぶことに適さない巨体と立派な脚をもつ、首の長い翼竜。

 その生き物を表わす言葉を守和斗は知っていた。


「ドラ……ゴン……って……」


 その時点でやっと気がつく。

 周りには、元の世界・・・・では考えられないほどの魔力が満ち満ちていることに。


精神波通信監視衛星ホルスズ・アイ……6機とも固有精神波の反応なし。どこにいても感じていた妹たちの気配も……ない……。まさか……まさか!?)


 すべての状況が、ここを異なる世界・・・・・だと示している。

 考えられるのは、亜空間転移後になにかがあり、空間の境界を移動してしまったということであろう。

 まあ、もともと死も覚悟していた自分がどうなろうとかまわない。

 ただ、少なくとも闇の亜空間転移ができていなければ、元の世界が救えていないことになる。

 しかし、どうしてもその部分の記憶が思いだせない。

 確かめようにも、亜空間転移は気楽にできることではない。

 そもそもこの世界のことさえ、よくわかっていないというのに。


「そういえば……」


 ふと思いだし、少し高度を落として足下の地面を見る。

 自分は牢屋にいた。

 ということは、自分を捕らえた者がいたはずだ。

 その者から、なにか情報が得られるかもしれない。


「あれか……」


 自分が囚われていたのは、小規模な長方形の砦、その地下牢のようだった。

 砦の庭には、数十人がなぜか酒宴をくりひろげている。

 仙術【千里眼】を使い、遠方からよく観察すると、彼らの多くが、片手剣ワンハンドソードたずさえ、黄土色をした鱗衣鎧スケイルアーマーをまとっていた。

 ほとんどが男で、金髪や赤髪。ヨーロッパ系の白色人種コーカソイドだろう。

 しかし、その中に数人、異様に耳が長い人間や、異様に身長が低い人間、獣の耳や尻尾を生やした者が混ざっている。


「うわぁ……本当にファンタジーじゃないか……ん?」


 見ていると、庭の端の方から2人の人間が兵士に連行されてきた。

 1人は、金髪の女性で軽量そうな白銀の鎧を着ている。

 1人は、黒髪の女性で真っ黒なマントを羽織っている。

 守和斗と同じぐらいの年齢の少女2人。

 見た目は違うが、どこか凜とした雰囲気だけは似通っていた。

 そしてもうひとつの共通点は、後ろへ回された両手につけられた枷。


(2人とも、うちの妹たちとはれるぐらいの美少女だ……けど……酷いな)


 今の2人は、その元来の輝きをせさせてしまっていた。

 顔には疲労困憊ひろうこんぱいの色が浮かび、身体のあちらこちらが薄汚れてしまっている。

 それどころか歩き方も、よろけたり、足を引きずったりしている。

 たぶん、怪我をしているのにも関わらず、手当もされぬまま、魔力も気力も手枷で抜かれ続けている。

 無論、どう見ても捕虜の扱いだった。


「……さて。どうしたものかね」


 独り言ちるが、「どうするか」は決まっている。

 決まっていないのは、「どうやるか」だ。


「う~ん……。事情もわからないし、とりあえず捕虜に戻るか」


 守和斗は一度、元の牢屋に戻ることにした。



 ――この時は異世界といっても、自分の力はすべて使えるようだし、なんとかなるだろう……そう思っていた。

 でもまさかこの後、「ここはゲームの世界だ」と告げられることになるとは、さすがに思いもしなかったのである。

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