本質はいらない

 温かいものを飲むと自分が冷えていることに気付く。恋人ができると運命の人だと思う。人が死ぬと大切な人だったと思い返す。

 ことに本質的な意味はいらない。まして核心的な証拠なんてもってのほかだ。

確かに就職試験とか面接とか経歴とか、その人の力を計るものはいくらでもある。しかしどんな手を使っても、その人の本質的な力を計ることなんでできないと思う。経歴なんてたかが文字にできる事実だけであって、その人のほんの一部でしかない。だから人はいくら力を蓄えても、評価されるのはほんのわずかであるということだ。

 では、例えば人の力を正確に測れるテストがあったとしよう。そのテストがあれば人を正しく評価できるかもしれない。しかしそれを人々は使おうとするだろうか。きっとそのテストはずっと使われないままになるのではないだろうか。それは、そもそも人は本質的な評価、正確な評価を求めていないからだ。あるカップルで例えれば、彼氏Aは彼女Bと出会ってからその人を運命的な人と思うようになった。全人類と出会ったわけではなくても。たまたま二人は出会って付き合うようになった。お互いに本当はどういう人か知らず、運命的であるという証拠もないまま結婚をする。そして幸せな生活を送るようになった。人は自分が求めていること以外のことを知ろうとは思わない。幸せな生活が送れるならたとえ相手が犯罪者でも構わないと思う。そういうことだ。

つまり、人は自らを本質的に評価してもらおうとする一方、他人のすべてを知ろうとは思わないということだ。多くの人が自分のために生きている。

世界平和が遠いのはそういう理由だともいえるだろう。世界平和を自分の幸せと感じることができる世の中でいたい。

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