ドSとドM

 人は、生きているうちに、その人の個性から「キャラクター」が決まってくる。そのキャラクターとは、自分を客観的に見たときの印象である。自分がそうでないと思っていても、他人から見てそう映る以上は、それが人間関係上の自分なのだ。

 こういうキャラクターになりたい、とか、あの人のような状態でいたい、と思うことがあるかもしれない。しかしそれは、実現してしまうと逆に自分にとって悪影響を及ぼすことになる。なぜなら、あくまで憧れのキャラクターとは、その人特有のものであるから、無理に真似しようとしてもできないし、逆に生きていることに苦しさを感じてしまうようになるかもしれない。

キャラクターとは、自分が最も気が楽な状態を客観的にとらえたものであると考える。だから、このキャラクターは自分に合っていないというのは大間違いなのだ。そのキャラクターこそが自分の最も快適な状態なのだから。

 キャラクターは、近代で言えば「ドS」と「ドM」に分かれる。ドSとは友達を自らいじり、いじられることがない人のことを言い、ドMとは友達にいじられ、いじることがない人のことだ。

どちらかというと僕はドMなタイプだと思う。人を頻繁にいじることはないし、あまり怒ることがないせいか、いじられることが多いように思う。

人によっては、ドSの方が良いのではないかと考える人がいるかもしれない。しかし僕はドSになることに反対したい。ドSは他人をいじり、自分がいる場から自分の話題が出にくいため、少々一人ぼっちになってしまうことがあるように感じる。一方ドMの場合は、常に自分のいる場所では自分の話題が出るし、いなくても自分の話題が出る可能性は高いと言える。よってドMはドSよりも人間関係を安定なものにしやすいのだ。

もう一つ、ドSとドMの違いを挙げておこう。それは、宿題を忘れた時、自分から先に先生に申し出るか、授業が終わるのをドキドキしながら待つかの違いである。

なぜこのような違いが生まれるのか。それは、ドSとドMの自分の意識の違いにある。ドSタイプの人は、普段から自分が馬鹿にされたり攻められたりすることがないため、自分が悪い立場になると、途端に臆病になるのだ。だから先生に申し出る勇気はなく、先生に呼び出されて初めて謝ろうという気持ちになるのだ。

しかしドMタイプの場合は真逆である。日ごろから自分の事について客観的な意見を耳にしているわけだから、ドSに比べればはるかに自分のことを理解している。

だから宿題を忘れても、「自分ならこうする」という意思が固まり、すぐ自分にとって的確な行動をとることができるのだ。

 どこか新しい現場で生活していかなければならないとき、ドSにはならない方が良いと僕はお勧めしたい。

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